マシュセリ

初恋は実らない

 翌日、飛空艇は瓦礫の塔に向かって飛んだ。
 戦いは長く、激しいものだった。だが全員が死力を尽くし、ついになり損ないの破壊神は息絶えた。俺は肩口の傷を押さえながら、周りを見渡す。仲間たちはみな、晴れ晴れとした顔でしっかりと立っていた。
 これですべて終わったのだ。
 崩れ落ちる塔から飛空艇で脱出し、そのまま船はフィガロに向かった。これからのことは、ゆっくり考えればいい。そう思っていた。

 祝勝会に沸く城の中には酒や料理がテーブルに所狭しと並べられ、兵士たちも混ざって無礼講の装いだった。
「今宵は好きに飲み食いしてくれたまえ!」
 王の言葉に、城内が更に沸く。ガヤガヤとしながら、中心には主なメンバーが集まり、今までの戦いや旅について振り返っているようだ。
「おお、マッシュ殿! こっちでござる」
「なんだよカイエン、もう出来上がってんのか?」
 ドマの人間は基本的に酒に弱いらしく、すぐに顔に出る。カイエンはそれでも強い方らしいが、既に鼻が赤みを帯びていた。
「いやぁ、セッツァー殿に付き合っていたのでござる」
「ああー……あいつはよく飲むからなぁ。あんまり無理すんなよ?」
「承知しているでござる~」
 こりゃ手遅れだな、と隣に座るティナを見ると、彼女もくすくす笑って頷いた。
「ティナは楽しんでるか?」
「ええ、とっても」
 ティナも、以前と比べると明るくなった。人間らしくなった、というと少し大袈裟に聞こえるが、本当にそうなのだ。
「そういえば、さっきからセリスを見てないの」
「セリスを?」
「あと、ロックも。二人ともどこに行っちゃったのかしら……」
 急に腹の奥の方がざわざわとして、俺は思わず拳を握っていた。
「マッシュ? どうかした?」
「うん……」
 二人ともの姿が見えないということは、つまり。
「探しに行くべきかしら?」
「いや」
 短く言い、そのままティナに背を向ける。
「その必要はねえと思う」
「……マッシュ?」
 そうだったのか、と変に納得していた。ロックと、ちゃんと通じ合えたんだな。それで彼女が幸せになれるなら、それが良い。
 彼女が逃げないといったもの。それは、ロックの告白からだったのじゃないか。そうわかれば、彼女の真意もわかる。あの夜、彼女は別れの挨拶をしてくれたのだ。長い旅の仲間として、わざわざ挨拶をしてくれたのだ。
 もう二度と、会うことはないのだろう。あの碧い眼も、金の髪も、薔薇の香りも。二度と俺の手の届くところには来ない。掴むことすら許されない。
 ゆっくり考えている暇などどこにもなかった。いや、どうしたって彼女の心はロックの元にあったのだから、何かを早まったとしてもそれは無意味なことだった。

「あ、ロック」
「へ?」
 ティナの声にハッとして振り向くと、よう、とロックが無邪気に手を振る。
「えっ、ろ、ロック? な、なんで」
「なんでって、なんだよ。俺だってすげえ戦ったじゃないか、飯くらい食わせろよ?」
「え、いや、まぁ……そりゃそうだけど」
「どこに行ってたの? ロック」
 ああ、と既にフォークで肉を刺しながら、ロックは上を指差した。
「ちょっと、夜景見てただけだ。いやー、本当に砂漠は星空が綺麗だよな!」
 八重歯を覗かせてにこりと笑い、ロックは一口で肉を頬張る。幸せそうなその顔を見て、心底脱力してしまった。
「俺の早とちりだったのか……」
「ん? どーした?」
「いんや、何も……ああ、それよりセリスを知らないか?」
「セリス?」
 口をモゴモゴさせて、ごくりと嚥下してから、ロックは首を振った。
「ああ、さっき見たぜ」
「どこで?」
「ここに入ってくるとき、ちょうど入れ違ったんだ」
「入れ違った? ……ってことは」
 つまり、彼女はここから出ていったことになる。まだ始まったばかりなのにも関わらず、だ。
「うわ、この肉うめぇ!! エドガーめ、今まで隠してたな!」
「ああ、そうだな」
 ロックに生返事をしながら、俺は頭を回転させていた。こんな夜に、しかも行く宛てのない彼女が向かう場所なんてどこにあるのか。
 また、胸の奥が変にざわついた。嫌な感覚だった。
「お? マッシュどこ行くんだ?」
 大したことじゃない、と言い残し、俺は城を飛び出した。

 まったく気づけなかったわけではなかった。彼女を見ていれば、わかってやれたことだった。
 彼女は自分自身をひどい人間だと言った。それはきっと、過去の罪を言っていたのだ。もう逃げないとも、彼女は呟いた。それはつまり、過去から逃げないという意味ではないのか。
 彼女は罪を償いたいわけではない。許されない罪があるとわかっていて、だからこそ姿を消したのだ。ここにいてはならないと思ったから。そして、そんな彼女の行動を予測できなかったのは、俺がたった一つの可能性を見落としていたからだ。

 砂漠にはまだ鮮明に、彼女の足跡が残っていた。一度城を振り向いたことも、足跡からすぐにわかる。
 どうしてこうも、彼女は自分を許してやれないのだろう。魔導も帝国ももうないのに、彼女はその全てを背負ったまま、どこかに行こうとしている。
 冷え込んできた砂の海を、俺は迷いなく駆けた。

「――セリスっ!!」
 フードを深く被った人影が、びくりと震えた。そして振り向いて、ゆっくりとフードが取り払われる。金の髪が、あの夜と同じようにか細くなびいた。
 俺は砂だらけになってしまった礼服姿だが、彼女もドレスに外套をまとっただけのようで、月明かりに照らされた俺たちの姿はどこかのパーティーみたいで、可笑しかった。
「マッシュ……」
 呆然と、彼女は呟いた。それに力強く頷いてやり、彼女に歩み寄る。
「散歩にしちゃずいぶんと遠くまで来ちまったな」
 一歩、彼女は後退りした。だが彼女の一歩と俺の一歩では大きさが違う。
「俺が城まで案内してやるけど、どうする?」
 ふ、と彼女は自嘲気味に笑ってこちらを見上げた。
「砂漠は本当に不思議ね。幻まで現れるなんて」
「幻じゃねえよ、俺は」
 距離を詰め、彼女に手を伸ばす。
「むしろおまえが幻じゃないかと、心配してるんだからな」
 ふわりと香る薔薇の匂いに、だがそれは杞憂だと知る。彼女は本物だ。確かにここにいる。
「……どこに行くつもりだったんだよ?」
「貴方には……関係ないわ」
 碧い瞳がサッと地面に向けられ、そのわかりやすいくらいの動揺に、俺はいくらか余裕が生まれた。
「俺が頼んだら、セリスはどっかに行かないでくれたりするのかなぁ」
「何を言ってるの?」
 彼女の声には、はっきりとした嘲りが混じっていた。
「冗談を言うためにここまで来たわけ?」
「冗談に聞こえたなら謝るよ」
「やめて」
「俺は嘘はつかない」
「……もうその口を開かないで!」
「セリスが行かないって言ってくれたら、何も言わない」
 彼女は俯いたまま、それきり押し黙ってしまった。
「……一緒に帰ろうぜ。な」
 そっと、頭を撫でてやる。彼女はなすがままになっていた。
「俺はセリスが好きだよ」
 え、という僅かな声は聞こえなかったふりをして、俺はそのまま話を続ける。
「誰よりも綺麗だ。見かけだけの話じゃなくてな」
 人に恋したり。些細なことで笑ったり。花を優しく見つめていたり。そのすべてが愛らしい。
「俺のために、どこかに行かないでくれ」
「……マッシュのために……?」
「そう」
 彼女が自分を許せないなら、どんなに汚いものだろうとたった一つだけ、俺が理由を手渡してあげられたらいい。
 俺のために。俺の幸せのために、彼女を引き留めてしまえばいい。
「……そんなの」
「へ理屈か? でも名案だろ」
 ぽんぽんと頭を撫で、俺はにかりと笑んだ。あの夜の涙の意味を理解した今だからこそ。
「二人なら、重い荷物だって半分こになるぜ」
 彼女はおずおずと、こちらを見上げた。美しい碧の瞳は潤んでいる。そこに映るのは、俺の姿だ。
「マッシュ……」
「おう」
 彼女は堪えるように唇を震わせ、それでも涙は頬を流れ落ちていった。砂漠に落ちたそれは、一瞬で跡形もなく消える。
「……城まで、案内……たのんでも、いいかしら……」
 無理やり笑ったその顔は、ひどく嬉しそうで。それを見て、俺は破顔した。
「おう。慣れた道だからな、大船に乗ったと思ってくれていいぜ!」
「きゃっ」
 喜びに任せて彼女の足腰をすくい、抱き上げると、暴れるのをものともせず、俺は来た道を再び歩き出す。

 城が見えてくるあたりで彼女はようやく大人しくなって、俺の首に手を回して抱きついた。
「ん、どした?」
「……頼んだのは、城までの案内だから……」
「ああ……そうだったな」
 彼女は静かに、頷く。
「だから、もう……」
「わかってる」
 俺は彼女を強く抱き直して、とくに歩調も緩めずに歩き続ける。そして、笑ってみせた。
「じゃあ今からは、俺のサービスな」
「え?」
 呆然とする彼女の額に、こつんと己の額を当ててやると、ややあってから彼女は目を見開いた。
「さあ、どうする? セリス。おまえが決めるんだぜ」
「……本気で言ってるの?」
「俺は嘘は言わないって」
 俺を見つめる瞳は、子どものように真っ直ぐなものだった。そしてそれは最初から、そうだった。どうして気づかなかったのだろう。
「…………マッシュ、あのね」
「うん」
「あの夜に、本当に貴方に言いたかったのは……」

 初恋は実らない。それは最初から、咲いているものだから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました