マシュセリ

花咲くは土が為

 北に近づくにつれ、徐々に風は冷たくなっていた。吹き荒れる風は、手足や鼻先などの末端から容赦なく熱を奪い去っていく。
 地形が甚だしく変化してしまっても、北が寒いという理は変わらないようだった。呼吸の度に漏れる白い吐息は、どこか懐かしい。
「うーん……見当たらないな」
「そうね……」
 どこにどんな町があり、そこへはどの道を通れば辿り着くのか。それは行き交う旅人たちと情報を交換するしか、知る手段がなかった。例え情報を手に入れても、それが正しいものとも限らない。
「! マッシュ。見て、あそこ」
 荒れ地を見回して、セリスは遠くの影を指差した。
「……あれは、門か? よっく気がついたなぁ、さすがだな!」
 赤茶に錆び付いた、こじんまりとした門だった。大地と同系色で見つけにくく、マッシュはにかりと笑ってセリスを誉めた。


 それから数十分ほど歩くと、その村にたどり着くことができた。
 村には宿がなく、割高だが民家の一室を借りて一夜を明かすことになった。
 部屋には粗末なベッドが一つと、棚などの家具だけ。その部屋の主はつい最近亡くなってしまったらしく、家財も処分してしまったのだという。
 ベッドでの睡眠は交代で取ろうということにして、とりあえずソファー代わりにベッドに腰を下ろしてみる。が、固かった。
 苦笑しつつもセリスは腰にくくりつけていた鞘を外して手の届く範囲内に置き、部屋中の窓を開け放っているマッシュを呼んだ。
「マッシュ。ちょっと休憩したら?」
「おう」
 くしゃみが出そうな顔をしながら、マッシュはセリスの方に歩み寄ってきた。目の前の彼は視線を合わせるのが困難なほどの高さで、セリスは仰け反るように彼を見上げた。
「そういえば気になってたんだけど、貴方って背が高いわよね。それも修行の賜物?」
 話しかけると、彼の目元は穏やかに垂れた。
「さぁなぁ、ある日ふと気がついたらこんなに伸びてたんだよ。ずっとお師匠さまが縮んでるんだと思っててさ、そう言ったら怒られたけどな……」
 懐かしそうに笑って、マッシュは隣に腰を下ろす。ベッドがぎしりと鳴り、こんな固いベッドにもスプリングが入っていたのかとわずかに考えた。
「お師匠さまは本っ当に、強い人だったんだぜ。俺なんかよりもずっとずっと強かった」
 言葉が過去形なことにどきりとして、セリスは視線を床板に向けた。
「……なんかさ、今でも信じられないんだよな。お師匠さまが亡くなったなんて。ひょっこり帰ってきたりしてるんじゃないか、なんて考えちまう」
 彼は一瞬、沈黙する。
「そんなこと、あるはずないのにな」
「……ええ」
 セリスは俯いた。マッシュの何気ない呟きが、胸に突き刺さる。死んだ人間は帰ってはこない。それは曲げようのない真実だった。
 生はやがて思い出となり過去となり、そして死になる。死もまた過去となり、遠くへ流れ去る。それが命の営みだから。理屈ではわかっている。だが、理解できても受け入れられるかはまた違う問題だった。

 とん、と肩にあたたかな重みが乗っかったのに気づいて、セリスは頭を上げた。自分はそんなに暗い表情をしていただろうか、と考えながら。
「……大丈夫よ。もう、大丈夫だから」
 肩に乗せられた彼の手のひらに、自身の手のひらを重ねて、セリスは微笑みを返した。
 それに対して、マッシュはにわかに眉をしかめた。自分でも白々しい言葉だと自覚していたから、ただ目を逸らすしかできない。
 だが、セリスは弾かれたようにまた顔を向けた。
「? ……なに?どうかした?」
 上に重ねたのは自分のはずなのに、その上にまた手のひらが重ねられていたからだった。マッシュはじっと、セリスの手を見ている。
「痛いだろ、これ」
「え? なにが…………あ」
 彼の視線を追うようにして自身の指先に目を向けてみて、その意味がわかった。知らず知らずの間に、指の関節部分がまるで小さな口のように赤く開いていた。一旦気がついてしまうと、今までどうして気がつかずにいられたのかわからないほど、傷が痛くなる。
 そんな手をマッシュはそっと取って、自身の膝上に乗せてなおも観察していた。
「あーあ、見れば見るほどこりゃひでぇな……」
「……確かに、見た目からして酷いわね。すぐに治すわ」
「あ、魔法はちょっと待ってくれ」
「え?」
「俺が治してやるよ、ってこと」
「治すって、でも貴方は魔法を」
 ちっち、とマッシュは指を振る。その仕草は兄のエドガーとそっくりで、どこか可笑しい。
「魔法は確かに使えねえ。けど、まあ見てろって。な」
 悪戯っ子のように年甲斐もなく笑い、彼はベッドから下りてセリスの眼下に座って、セリスの両手を己のそれで優しく包み込んだ。
 マッシュの手は大きく、セリスの手はすっぽりと隠れてしまう。
 とりあえず見ていろ、と言われても、何をするのか気になって仕方ない。そういえば以前、自分も似たような言葉を使ったことがあったが、その相手も今の自分と同じように、心配で堪らなかったのだろうか。
「なにをするの?」
「んー、企業秘密っつーか、流派秘密っつーか……ま、いいか。簡単に言えば一種の気功術かな」
「きこうじゅつ……って?」
 ああ、聞いたことないか、と苦笑してから、マッシュは穏やかな口調で答えてくれた。
「人間にはさ、身体を流れてる気があるんだ。それを操るのが気功術だな」
「キ? それで、キを操るとどうなるの?」
「おう。……セリス、今どんな感覚がする?」
「感覚?」
 一度口を閉じ、セリスは自身の身体に意識を集中させる。
「……あ。少し……あたたかい?」
 口だけではなく目も閉じてみると、確かにあたたかな感じがした。それは包まれる両手から、身体中に巡っているようにも思える。
「マッシュの、キ?」
「おっ、よくわかるな。そうだよ、俺の気をセリスに分けてるんだ」
「ええ……確かに貴方から流れてるのがわかる」
 両手から全身へと流れていくあたたかさは、まるで湯に浸かっているような感覚がして、とても気持ちが良い。セリスは目を閉じたまま、その感覚に囚われた。
「……あ、でもあまりやり過ぎたらマッシュがつらいでしょう。ありがとう、もう平気よ」
「ん。ちょうど終わったぜ」
 花が開くように手のひらを開き、マッシュは笑いながらセリスの両手を見せた。いつの間にか、指の傷は跡形もなく消えていた。
「本当に治ってる……」
「なんだよ、信じてなかったな?」
「だってキがどうとかって、ちょっと胡散臭いじゃない」
「胡散臭いって……酷くないか?」
 ふふ、とセリスは苦笑する彼に笑い返した。
「……でも凄いわ。その、キって」
「うーん……けど、気で治すには限界があるぜ。人間が元々持ってる気の流れを怪我に回して、回復を促すだけだからさ。あ、言ってることわかるか?」
「なんとなくね……」
 赤みも荒れもなくなった手先を目の高さまで掲げ、まじまじと見つめる。マッシュの手助けと、自分の持つ力で治した手だ。そこに魔法なんて要らなかった。
 人間には人間の力だけで良いのだ。それでも生きてゆけるのだから。ぱたりと手を下ろすと、ため息が出た。眼下に座ったままのマッシュが、きょとんとした顔でこちらを見上げていた。
「……セリス?」
 魔法など、要らないのだ。あの時、魔大陸で自分が考えたことはきっと正しい。
 どうして人間はもて余すだけの力を欲するのだろう。力のある者には恐怖を抱くくせに。
「ごめんなさい、キについて考えてただけ」
「……そうか? ならいいが」
 ケフカに追い込まれた人間たちは今、世界をどうにか復興させようとしている。絶望に叩き落とされながらも、日々を生きている。
 皮肉なことに、ケフカは人間の真の力を解放したのかもしれない。そう考えて、不意に、自分が世界に取り残されているような感覚がセリスを襲った。
 ケフカを倒して、そのあとは。
 力のない自分の居場所は。
 自然と、セリスの頭は膝に向かって下がっていく。長い髪が情けない顔を覆い隠してくれた。
「セリス?」
「ごめんなさい、なんでもないわ」
「……なんでもないなら謝るなよな」
 わしわしと頭を撫でられる。その乱雑さに顔を上げようとしたが、すぐに頭を包むように抱きしめられてしまって、それは叶わなかった。
「おまえさ、思考が暗いんだよ」
「……そうかしらね」
「俺の言葉に他意を探したって意味ないぞ? そのまんまの意味しか言ってねえし」
 うん、とセリスは小さく頷いた。
「難しく考えなくても平気さ。きっとなるようになる。最善を尽くしてりゃあな」
 寄り添う彼の低い声は、驚くほど鼓膜を響かせる。よしよしと宥めるように頭を撫でられながら、セリスは目を強く閉じた。
「いいか? 一つ教えといてやる」
 優しい声で、マッシュは告げる。
「俺のここは、いつでも空けとくから。つらくなったらすぐに来ていいぞ。わかったか?」
 彼の言葉には、不要な含みなど一切ない。それは本当に言葉通りの意味しか持たないということであって。つまりは、わざわざ胸を空けて待っていてくれるということだ。
 居場所を、しかも地面のしっかりした広い場所を、彼は与えてくれると。
 ありがとう、という声は掠れていて、言葉にならなかった。
 いつか必ず、この豊かな大地をもっと豊かにすることで礼を返したい。魔法なんかではなく、人間の力を振り絞って、精一杯美しい場所にして返したい。
 そう思いながら、セリスは大地に足を下ろすかのように、彼を抱きしめ返した。

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