マシュセリ

わざとって、こと

 その違和をセリスが最初に感じたのは、帝国大陸に潜入して、首都ベクタを目指す道中だったように思う。

 大陸の端から飛空艇で上陸し、中央にそびえる首都までは厳しい戦いが続いた。帝国内に蔓延るモンスター達は、常日頃魔導アーマーによって苛烈に駆逐されるためなのか、あるいは魔力を異常に浴びせられたせいなのか、驚異的にその構造を変化させていた。その強靱な鱗は剣を弾き、なかなか致命傷を与えられずに戦いは長引いた。
 加えて、帝国は南の国。忘れていた熱射が、身体を容赦なく襲う。
 流れ落ちる汗を砂地に落としながら、しかしすべてはきっとあと少しなのだと、セリスは懸命に戦い続けた。それはきっと、帝国まで着いてきた他の仲間達もそうだった。
「……やれやれ、刀がいつまで保つやら」
 ドマの侍、カイエンが美しい刀身を眺めてそうぼやいた。カイエンはセリスを冷たく監視するような態度を取るが、その冴え渡るような技を見れば、何も言い返せることはない。実力者が、少なくとも今は味方にいる。それに安堵してしまう気持ちに嘘はつけなかった。
「聞いてはいたが、想像以上に堅いな……俺の手甲ももう駄目そうだ。替えはねぇからなあ……困ったぜ」
 割れかけた手甲を、自らの腕ごと布で巻き付けて、モンク僧のマッシュも苦笑した。彼も何故か帝国にまで来て力を貸してくれているが、カイエンとは違い、なんだか気が抜ける物言いばかりしている。
 そんな様を見て、もう一人の旅の同行者、ロックは首を傾げる。
「なんだ、武器の替えがないのか?どっか街に着いたら俺が適当に見繕ってやろうか?」
「おまえが言うと犯罪に聞こえるんだよなぁ」
「バカ野郎。俺は武具の目利きもできるんだよ!」
「ちゃんと代金は払うんだぞ、帝国の人たちだって頑張って生活してんだから」
「……おまえ、俺のこと本当に泥棒だと思ってる?」
「ロック殿は立派な石川五右衛門でござるなぁ」
「いや、誰だよ……」
 やいのやいのと言い合う三人を見て、元気だな、とセリスは思わず肩を落とす。せめて表面だけでも自分もそう装わねばな、と、一度ため息を吐くと、ふと、自らの汗を大雑把に腕で拭うマッシュと目が合った。
「大丈夫か?」
「ええ、まあ……イシカワゴエモンっていうのは、私も知らないけど……」
 言ってから、気の利いた返事ではなかったか、と思ってもう一度マッシュを見上げると、一瞬遅れて彼は途端に破顔した。
「ハハ!俺も知らん。カイエン、誰なんだい?それ」
「む。ドマいち有名な義賊でござる。最期は窃盗の罪で釜茹でにされるのでござるが」
「おい!泥棒じゃねえか!」
 思わずセリスは笑ってしまい、片手で口元を覆った。と、顔に触れた手のひらが濡れた。知らぬ間にそんなに汗をかいていたのか、と苦笑してそれを腕で拭おうとした、その時。
 その腕は、直前でぴたりと止められた。
「こら」
 え、と思ったのか、口にしたのか。わからぬまま、視界が暗くなる。
「ちゃんと拭くんだぞ」
 薄い、上等な布で鼻先を軽く押されて、セリスは呆然と瞬く。
 ほら、とそれを手渡されて、思考が追いつかない。
「?使っていいぞ」
「え、あ、ありがとう?」
「なんで疑問形なんだ?」
 だって、とセリスは言葉を濁した。自身の汗は無頓着に拭っていたのに。普通に考えたって、どういうことだかわからないだろう。
 頻りに眉を寄せて布を握りしめたセリスを、マッシュは不思議そうに見ていた。


 そんな旅のほんの一幕のことなど、その後に起こった色々なことに流されて、今の今まで忘れていたが。
 どうやらこれは彼にとっては何もおかしなことではないらしいというのは、めちゃくちゃな世界の中で見えてきた事実だった。
 夕方に辿り着いた粗末な宿屋の一室で、まずいの一番にマッシュはセリスの後ろに立つと、両手を軽く広げた。
「セリス、」
 呼ばれたその意図がわかるようになってきた自分にも、少し気恥ずかしい気がしていた。セリスがその場で外套を肩からずらすと、それをさも当たり前かのようにマッシュが引っ張り、脱がせてくれる。
 脱いだ外套は当然、掛けるべき場所に綺麗に置いてくれるのだった。
 不必要に甘やかされているのでは、と最初こそ複雑な気持ちになったが、もはや慣れてきてしまっている。果たして良いのか悪いのか。

「……時々、あなたにすごく聞きたくなることがあるわ」
「ぅえ?」
 宿に併設された食堂で、セリスはひどく薄いワインを口にしながら、思わずそうぼやく。向かいに座るマッシュは不可思議そうな顔をして、骨のついた肉を持つ手を止めた。
「俺に?なにが?」
 きょとんと瞬くその表情は邪気がなく、セリスの問いかける意志を幾度となく挫いてきた。
「……食べながら聞いてくれていいわよ。大したことじゃないし……」
「おう、なんだろ。トレーニング方法とか?」
「あのね……まあでも手から理屈のわからないエネルギーが出るのは教わりたいかもしれないわ」
「あれはダンカン流だからな。教えるには俺に弟子入りしてもらう他ないぜ」
「検討しておくわね、……って、そういう話じゃなくて」
 雑穀の多く入ったパンを手に取り、セリスは肩を竦めてみせた。
「マッシュって、……なんだか、変なひとよね」
「え?なんだよ急に」
「大ざっぱに見えて、変なところに細かいし……気が利くし……無意識でやっているのよね?それって……」
「……もしかして、褒めてるのか?」
 わざとらしく怪訝そうな表情をして、マッシュもパンに手を伸ばす。ちぎりもせず、そのままそれを口にする彼はやはり大ざっぱに見える。だが周りが不快になるように見えることは決してしない。そのアンバランスさが、ひどく変なひとに、セリスには思えた。
「私ってもしかして、ひとを褒めるのがヘタなのかしら」
「うーん、まぁ……今のがそうなら、……そうかもしれねぇな」
「そ、そうよね。……じゃあ言い直すわ、少し待って」
 変、という言葉は好意的には聞こえないだろう、と反省して、セリスは眉間に指先をあてて再考する。
「み、……見かけによらないわよね?」
「ハハ!なるほどな。それじゃ、俺がどう見えてるんだ?」 
「え?それは……、その。……待って。ごめんなさい、もう一度チャンスをちょうだい」
 く、とマッシュは堪えきれずに笑っているが、セリスはなんとなく気恥ずかしくて、瞬いて誤魔化してしまった。
「難しいわね、言い方って……」
「そうかなぁ。俺はあんまり考えてねえから、わかんないな」
「……やっぱり無意識で行動してるわけ?見習いたいものね」
「ん?いや、」
 マッシュは数度瞬いて、セリスをじっと見つめる。
「全部が全部無意識ってわけでもないな」
「そう?……」
 返事をして、セリスは何故だかマッシュの視線が離れていかないことに、気がつく。じっと、その青い目が、セリスを射貫くように見ている。
「?あ、……」
 もしや何か付いているのかと、慌てて手の甲で顔を拭おうとして、しかし、セリスの手は止まった。代わりに、いつかのように薄い上等なシルクが、セリスの頬を拭った。
「こういうことは、」

 マッシュはいたって普段の何にも考えていなそうな凡庸とした表情で、続ける。
「意識してやってるかな、好きな相手に」
「あぁ、そう……え?!」
 ガタン、とテーブルが飛び上がったのは、セリスが膝をぶつけたからだった。いたっ、と誤魔化すように言って、セリスは顔を咄嗟に床に逸らす。
 なにを己は聞き間違えたのだろうと、必死で頭を回転させる。
「これくらい直球なら伝わるだろ?」
「う、……」
 グラスを呷って空にして、マッシュは平然としたふうに、からからと笑っていた。
「や、……やっぱり変じゃない!!」
 ムキになってセリスが言い返すと、マッシュはどこか上品に、小首を傾げた。
 変よ、変!と、セリスは誤魔化すように言って、食事に目を向ける。
 だが、ほとんど味がわからなくなってしまって、この日の食事が美味しかったかどうかは、何も思い出せなかった。
 
 俺は美味しかったの覚えてるけどな、と平然と答えるマッシュに、セリスがきちんと返事をできるようになるまでは、今暫く。
 

コメント

  1. 以前からのストーカー より:

    お疲れ様です!
    新作、ありがとうございます!
    自分の仕事上、月初が非常に忙しくて暴れたい気分なのですが、新作のおかげで穏やかで和やかな気分になりました
    マシュセリの力、すごい…

    • コメントありがとうございます~!
      お、おだやかで和やかに……
      マシュセリはお薬なのかも……(効く人間が極めて少ないため極めて流通量は少ない、無念)
      月次対応とか期初の対応とか、暑さにも負けず、なんとか乗り越えていきましょう……!
      こういうライトな感じの話もちょいちょい書けていけたらなと思ってますので、引き続きよろしくお願いいたします~

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