その他

月の宝物

 月の美しい晩のことです。
 町外れに住む一人の老人は、庭先に捨てられていた赤子を見つけました。赤子は産着にくるまり、泣き張らした顔で眠っていました。
 一体誰が、どうして。
 町では変わり者と有名な老人でしたが、心優しさは人一倍で、老人は赤子を抱きかかえて家へ戻りました。
 家の明かりの下、赤子をまじまじと見つめると、それはそれは可愛らしい女の子だとわかりました。
 老人は家族もおらず、赤子を我が子として育てることを決めました。
「こんな月夜に現れた娘じゃ。名前は月の女神からいただこう」
 こうして赤子は、セリスと名付けられたのでした。

 セリスは大変美しく育ち、また、老人の研究の手助けもできるほど知的でした。
 セリスを拾ってから十五年になった頃、セリスの助けもあり、老人の研究は名声を得、二人は良い暮らしをしていました。そのせいもあってか、既にセリスの評判は隣国まで聞こえるほどになっていました。
「セリスや。そろそろおまえも誰か良い人を見つけて一緒になるころじゃなぁ」
 老人がそう言うと、しかしセリスは眉を寄せて首を振りました。
「ごめんね、おじいちゃん。私にそれは許されないの」
「許されない?」
 思わず聞き返してしまった老人に、セリスはこくりと頷いて目を伏せます。
「私は……私は、月の罪人だから」

 セリスの意志にも関わらず、セリスと結婚したいという若者は大勢いました。東の貴族、西の貴族、とにかくほとんどの貴公子がセリスを娶ろうと貢ぎ物を贈ってくるのです。
 うんざりしながらも、セリスはそれらすべてを丁寧に送り返しましたが、それでも貢ぎ物ラッシュは終わりを知りません。
「私と会ったこともないのに、どうして結婚なんてしたいと思うのかしら?」
 この星の人間は、よくわかりません。セリスは月で罪を犯し、この星に流された罪人でした。しかも町外れで育てられたものですから、こちらの人間の社会について詳しくはなかったのです。
「セリス。気になった貴公子は誰もいないのかね」
「あのね、おじいちゃん。私は刑期が過ぎたら月に帰ることになっているの。だから結婚なんてできないわ」
 セリスは死ぬまでこちらにいるというわけではなかったので、何かに束縛されたくありませんでした。
 老人はしばしば結婚を勧めてきたので、その度にセリスはうんざりだと思って断っていましたが、老人がセリスの犯した罪については一切問わないことには気づいていました。
 老人は、こちらで生きろと暗に伝えていたのです。しかし、月の民が従うべきなのは、月の法です。
「……本当にごめんね、おじいちゃん」
 セリスは謝ることしかできません。ここまで育ててもらったのに、その恩に報いることができないことはひどく心苦しいことでした。
「謝らなくてもいいんじゃ。おまえは何も悪くないよ」
 優しく笑う老人に、セリスは胸を苦しくさせます。罪があるから、ここに来たのに。何も悪くないわけがないのに。老人の優しさに、ただ苦しさを感じていました。

 そんなある日、各地の名だたる貴公子たちがとうとう痺れを切らし、セリスの元に訪れてきました。
「我こそが貴女に相応しいと思うのですが……どうか一目だけでも会ってはくださいませんか」
 扉越しに爽やかな声で問われても、セリスの心までは届きません。
「お引き取りを」
「何故ですか。せめて理由を」
「二度とお越しにならないで」
 今日だけで二十人は断りました。しかしまだまだ玄関から外出できそうな雰囲気ではありません。
「困ったわ、外で調べたいものがあるのに……」
 いつ月に帰るともわからない身です、セリスはとにかく心行くまで研究したいと思っていました。それを阻まれ、今は苛々を通り越す気分です。
「セリス。お茶にしよう」
 一方、そのセリスの浮かない気持ちを知っている老人は、なんとかしたいと考えていました。
「ええ。……あら?鳩が……」
 気がつくと、窓辺に白い鳩が止まっています。セリスはそちらに駆け寄り、窓を開けてやりました。
「ああ、ありがとう。しかし思ったより早かったな……」
「なんの話?」
「いや、おまえが研究に出ていけないことを悲しんでいたのは知っておったからな。なに、ちょっとした依頼をしたのじゃよ」
「えっ、本当に?」
 セリスは途端に目を輝かせます。せめて研究のための道具くらい輸送してほしいと思っていたところです。ほんの少しでも研究が進むなら、とセリスはつい全身で喜びました。
「ああ。セリス、鳩の足についた手紙を取っておくれ」
「はい」
 小指の先程までに折り畳まれた手紙を開き、老人は文面に目を滑らせます。
「……なるほど」
「なんて依頼したの?」
「ふむふむ」
 基本的に、老人はごりごりの研究者肌でした。何か書類を読んでいる時は、なにも聞こえないこともしばしばです。
「うーむ。仕事が早いな」
「……おじいちゃーん?」
「よし、セリス!」
「えっ、な、なに?」
「すぐに出かける支度をしなさい」
 え、と思わずセリスは声を漏らします。すぐに支度、とは。
「夕方には迎えに来るそうだ」
「迎え??」
「そうじゃ。おまえは今日、研究の旅に出かけるのじゃ!!」


 革でできた小振りなトランクケースに一通りの生活品を詰めて、セリスは一息つきました。女性にしては手荷物の少ない方です。
 まだ日が落ちるには早く、とりあえずすっかり忘れている昼食を摂ろうかとセリスが立ち上がると、コンコンと窓ガラスが叩かれました。
「また鳥かしら?」
 セリスがそう思うのは、当然でした。ここは二階なのです。
 しかし、窓に視線を向けた瞬間、セリスは固まりました。
 人の拳が、窓ガラスを叩いているのです。ぎょっとして注視すると、下からひょこりとバンダナ頭が現れました。
 若い男性、とわかった途端、不躾な貴公子かと疑りましたが、貴公子がこんな庶民的な格好なはずがありません。
「おーい、開けてくれよ」
 ガラスに阻まれ、多少くぐもった声で男は言います。
「……泥棒?」
「違うって」
 かなり小声の呟きに、男は過敏に反応しました。
「ほら、シドのじいさんに依頼されてきたんだけど。話、聞いてない?」
「依頼……ああ!でも夕方って……」
「ちょっと早く着いちまっただけさ」
 セリスは仕方なしに窓を開け、男を招き入れました。
「ありがとな。あんたがセリスかい?」
 こくりと頷くと、男はにこっと笑いました。
「そうか。俺はロック。世界一のトレジャーハンターさ」
「世界一?」
 トレジャーなんとか、という称号よりも、セリスは世界一というフレーズの方が気になってしまったのですが、ロックは自信たっぷりに笑いました。
「そうさ。こっちの世界じゃかなり名の知れた男なんだぜ」
 ロックの言う、こっちの世界を多少なりとも勘違いしながら、セリスは曖昧に頷きます。 
「……ところで、何か食べるものとかあるか?」
「はい?」
「腹減っちまってさ……ダッシュで来たからさ」
「ちょうど今からランチにしようかと……」
「まじか!」
 ロックは人好きのする顔で笑います。セリスは断ることも出来ずに、やはり曖昧に頷くしかありませんでした。

 腹ごしらえも済み、すっかり辺りは暗くなり始めました。
「よし、じゃあそろそろ行くか」
「えっ、でもまだ支度が……」
 ロックは首を傾げます。
「さっき荷物つくり終えてたじゃないか?」
「あれは本当に生活品だけで、研究用具は何にも入ってないのよ」
「け、研究用具?」
 採取キットやら、保存瓶やら、とにかく持ち物はたくさんあります。ロックはうんざりした顔でセリスを見つめました。
「俺は荷物持ちのためについて行くわけじゃないぞ」
「……というか、貴方はなんのために来たの?」
 そうか、と食後のお茶の準備をしていた老人が思い出したように呟きました。
「セリスには詳しく言ってないんじゃったな」
「私が当事者なのに、おじいちゃんったら……」
 相変わらずのマイペースぶりに、セリスは苦笑しました。
「ロック君にはセリスを研究の旅につれて行って欲しいとお願いしたのじゃ。夕闇に紛れてここから抜け出し、様々な場所へつれて行ってやってくれとな」
「ああ。世界を旅するってんなら俺以上の案内人はいないぜ」
「世界一って言ってたものね」
「そーゆーこと。あ、報酬は後払いでいいからな」
 老人に向かって、ロックはお茶目にウィンクします。なんとなく不安になったのは、セリスは口には出しませんでした。
「……なら、なおさら研究用具は持っていかないといけないわね」
「いーや、必要なら俺が作るか調達するさ。だから大荷物はナシ!旅っぽさがなくなるだろ」
「た、旅っぽさ??」
「細かいことはいいよ、とにかく身軽じゃないと旅は難しいだろ?」
 ロックの人懐こい笑みに、セリスは何も言えませんでした。

 かくして、セリスはロックという正体不明な男と旅に出ることになりました。とはいえ、一応は老人の知り合いなのですから、ある程度は信用できるのでしょう。
「なぁなぁ、セリスはなんの研究してるんだ?」
 背中に小さなバッグを背負っただけのロックは、興味津々に尋ねました。これがロックの全荷物なのだそうです。
「植物とか、エネルギーとか。気になるものは何でもよ」
「ふーん……研究してどうすんだよ?」
「自己満足、でしかないことも多いわ」
 トランクケースを両手に、セリスは目を伏せました。
「でも気になるんだもの。仕方ないわ」
「そうだなぁ、確かに。知りたい!とか見てみたい!とか、あの感じ……言葉になんねえよな」
 心底わくわくしたようにロックは笑います。子どもっぽいその笑顔に、セリスも微笑みました。
「あっ、あの黄色い花はなんだ?」
「ああ、あれはね……」

 セリスたちは、本当に様々なところを見て回りました。ロックは世界中を旅した経験があり、セリスも知らないことを知っていたりもしました。
 ロックのような冒険家は、研究者よりも実際は博識なのかも知れません。ただし、彼らは自らの知識をおおっぴらにしないのです。それが彼らの存在価値を高めることに繋がるためです。
「もったいないわ」
 辺鄙な宿の一室で、セリスがそういうと、ロックはううんと腕組みして唸りました。
「だよなぁ。なんかセリスの話聞いてたらそう思ってきた」
「そうだ、本でも出したらいいと思うわよ?そうしたら、お金儲けにもなるわ」
「本か……なるほどなぁ。考えたことなかったぜ」
 ロックは生粋の現場派です。机で作業は性に合わないのでしょう。
「自己満足だとばかり思ってた知識がみんなのものになるなんて、素晴らしいじゃない?」
「そうだな」
 こういう、他人の言葉をおおらかに聞けるところがロックの良いところでした。
「そういやさ、なんでセリスは結婚したくないんだ?」
「えっ?」
「だってこれ、逃避行だろ」
 そう言われると、言い返せません。セリスは植物の入った瓶を撫でながら、眉を寄せました。
「おじいちゃんは貴方に何て言ったの?」
「シドのじいさんからは……ま、普通に旅の付き添いの依頼って感じかな」
「私のところにたくさん貴公子が来てたのは知ってるわよね」
「ああ。ありゃうんざりするな」
「彼らと結婚したら、私生活が拘束されるでしょ。それが嫌なの」
「へぇ。じゃあ俺なら良いってこと?」
「え?」
 振り向くと、ロックは照れ臭そうにはにかんでいました。
「俺はいつもこんな感じだからさ」
「ああ……楽しそうよね」
「だろ?」
「でもダメね」
 ぱちぱちとロックは瞬きました。知らない貴公子を断る時とは桁違いの苦しさが、セリスの胸に押し寄せます。それでも、駄目なものは駄目なのです。
「どうして?」
 ロックは破れかぶれに尋ねました。
「私は月の罪人だから、刑期が済んだら帰らなくちゃならないの」
 セリスは正直に答えたつもりでした。しかし、ロックは乾いた笑いで応えます。
「なんだそれ」
「……別に、信じてくれなくてもいいわよ」
「そうじゃねえよ」
 ロックは、にわかにセリスに近づきました。
「そんなことで俺をフるのか?って言ってるんだ」
「そんなことって……」
 セリスは植物瓶を机に置き、立ち上がりました。そしてロックと相対します。
「月の掟は絶対。……私は従うしかないの」
「でも俺のこと好きなんだろ?」
 はい?とセリスは思わず聞き返してしまいました。それに構わず、ロックは話を続けます。
「月のなんちゃらが無けりゃ、俺と一緒でもいいんだろ。ならそういうことだ」
「え、それはちょっと早とちりな……」
「俺が守ってやる」
 セリスは、目を見開きました。何故か、その言葉に胸を鷲掴みにされたような気持ちになったのです。
「……どうやって?」
 そう問うと、ロックはにこりと人懐こく笑いました。その笑顔に、やはり心配しながらも、セリスはもうどうでもいいから彼に任せてみようとも思うのでした。

 月には、女神さまがいると言います。しかし、本当にそうかは、真の冒険家しか知らないのです。
 後世に伝えられているのは、ある偉大な冒険家が、月からなにかを盗み取ったという伝説のみです。
 冒険家がなにを得たのかも、冒険家のみが知り得ることでしょう。
めでたしめでたし。
 

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