マシュセリ

Lost Memories

「……せ、セリスが記憶喪失ぅ!?」
男四人の素っ頓狂な声が、飛空艇の廊下に響き渡った。

 その眼前に立ち、ティナはおどおどしながらこくりと頷く。後ろ手にセリスの部屋の扉を閉めて、彼女は俯いた。
「魔法で怪我を治したら、意識は戻ったんだけど……なんだか話が噛み合わなくて」
「一体、どういった風にだい?」
「私の顔を見た途端、操りの輪はどうしたんだとか、レオはどうしてるだとか……昔の話をするの。それで……多分、記憶がないのかなって」
 ティナはひどく戸惑った風に口元を両手で覆う。その瞬間、その場で一番衝撃を受けていたのは他でもない、ロックだった。記憶喪失の恋人を失ったことのある過去を持ち、そして帝国を裏切ったセリスを救った本人なのだから、言うまでもない。
「……セリスの記憶は、帝国から離反する前まで、ってことかよ? じゃあ俺のことは……」
「いや。となれば、彼女が忘れてしまったのはロックだけではないだろう。辛うじてティナと、フィガロ王の私くらいしかわからないんじゃないのか?」
 エドガーの言葉に、その場の全員、返す言葉がなかった。帝国時代のセリスを知る者は、多くはいない。
 静まり返った廊下に、ティナの軽い靴音が響いた。
「とりあえず、私が話をしてみるから……みんなは少し待っててほしいの。今のセリスにとって、みんなは赤の他人だから……」
 赤の他人、というティナの素直な言葉は、男たちの胸に四者四様に突き刺さった。
「俺をここまで飛ばせておいて……今更、そりゃねえだろうよ」
 はっ、とセッツァーが皮肉めいた笑い声を上げる。
「誰を責めたって仕方がねえよ。実際に記憶がないんなら、兄貴の言う通り……俺たちは赤の他人でしかないんだろうさ」
 珍しく、マッシュも吐き捨てるように呟いた。

 そもそもセリスに一体何があったのか。話は数時間前に溯る。
 世界崩壊の折、地殻変動により太古の遺跡が現れた事例は少なくない。そういうところには決まって太古の怪物が住み着いてしまっていて、近隣の町村にとって恐怖の対象となっていた。
 今回も困っている町があるという噂を聞き、仲間を探す傍ら、退治を行うことになった。すでに何回かそのような怪物を退治したこともあって、皆程よい緊張と余裕を持って遺跡に向かった。しかし、その遺跡には、今までに見たことがないものが設置されていた。
 対魔導士用の罠、とでも言うのだろうか。魔力に反応して発動する不可思議な呪術が、そこには張り巡らされていたのだった。魔大戦の時代には必要な防衛策だったのかもしれない。遺跡に住まう怪物との戦いの中、トランスしかけたティナにそれは発動した。
 トランスに意識を集中していたティナを、咄嗟に体当たりで突き飛ばしたのはセリスだった。その直後、呪術式が動きだし、激しい爆発が起こった。

 遺跡の怪物は、それに巻き込まれる形で息絶えた。だが、セリスもまた酷い怪我を全身に負うことになった。
 幸い、怪我は魔法で治すことができる程度ではあった。罠がまた発動してしまう可能性を考えて、飛空艇に戻ってから治癒に専念することにし、マッシュがセリスを担ぎ、皆で遺跡を駆け戻った。
 ティナによる治療は、長く続いた。


 そしてようやく目が覚めたセリスの第一声は、はっきりとティナを呼んだ。だが、それはいつもと確実に違う、驚きと虚勢に満ちたものだった。
 しばらく話すうちに、ティナは悟った。
 彼女は、帝国時代のセリスなのだと。

「……セリス? 入るね」
 トントン、と扉を叩くと、中からやはり無理に低くしたような声が返ってくる。ティナにとってはほとんど聞いたことのない声色だった。わずかに、いつかナルシェで出会ったときに、こういう話し方をしていたかもしれない、と思う程度だった。
「ティナ。どこに行っていたんだ?」
 セリスはベッドで上半身を起こして、無沙汰に本を眺めていた。元々飛空艇に置いてある、謎の哲学書を読んでいたらしい。
「ちょっと、ね。具合はどう?」
 つまらなかったのか、本をサイドテーブルにぼさりと置いて、セリスはティナを見上げて困ったように笑った。
「ああ、悪くない。結構な負傷をしてしまっていたのはおぼろげに覚えているが、こんなに体調が良くなるとは驚きだ。……ティナ、貴女は魔法の腕がかなり上がっているようだな」
「……ええ。そうね」
「ところで、帝国はどうなっている? 今は私も貴女も国を抜けてしまっているわけだろう、レオやケフカは帝国にいるのか?」
 ベッド脇の椅子に座り、ティナはゆるゆると首を振る。
「帝国は……滅んだわ」
「滅んだ? どういう意味だ、それは。なにかの比喩か?」
「いいえ。そのままの意味。……もう帝国はないの。ガストラ皇帝は死んだし、レオ将軍も……命を落としたわ」
 セリスはその話を聞いて、呆然とした顔で閉口してしまった。無理もない話だろうと思ったが、事実を伝えるほかないと、ティナは話を進める。
「ケフカが皇帝を裏切ったのよ。三闘神の力を奪い取り、皇帝を殺して、世界を意味なく破壊した……これが一年前の話」
「……三闘神の力、とは? 帝国は幻獣界に入ったのか?」
 ああ、とティナは苦々しく笑う。当然、セリスはそれも覚えていない。
「そういうことよ。私、……私たちリターナーが、魔封壁を開けてしまっていたから……そして、幻獣界は空に浮かんで魔大陸になった。私たちは飛空艇でそこまで追いかけて、帝国の暴走を食い止めようとした。もちろん、セリスも」
「……ああ。私もリターナーなんだったな。……可笑しい話だ」
「……魔大陸で貴女に刺されたケフカは半狂乱になって……三闘神の均衡を壊して、皇帝を殺し、そして世界が崩壊したの」
「……崩壊は、私のせいなのか?」
 え、とティナは顔を上げる。セリスは別段怒っているわけでもなく、ただ疑問に思っているように見えた。
「それは……わからない。きっかけに過ぎなかったと私は思うわ」
「そうか」
 そうして、セリスはじっとティナを見つめていた。居心地の悪くなりそうな視線に、ティナは思わず声を出す。
「どうしたの?」
「いや……ずいぶんと変わったように見えるなと思って」
「変わった? 私が?」
「ああ。……明るいな、昔よりずっと」
 セリスは優しく目を細める。それは見慣れた彼女の仕草でもあった。
「セリスも……変われるよ」
「私はこのままで良い」
「え?」
「これ以上なにを変われるものがある? 私は私だ。ティナの知る私と、今の私は、記憶以外にはあまり多くは変わらないだろう?」
 どう答えたらいいのかわからず、ティナは思わず口を噤む。
 全然違う、と言いたかったが、それは今のセリスを否定することになるのではないかと。かといって、そうだと言えば昨日までのセリスはどうなる?
 ティナは曖昧に、ただ首を傾げた。

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