マシュセリ

その景色を、いつか

 ブンブンと、エンジンが響いている。舞台衣装のパンプスの靴裏から感じる僅かな揺れに、セリスは多少の嫌悪感があった。
 無理言って乗せてもらった飛空艇なのだから、乗り心地に文句など言えないのだが。あてがわれた小部屋にいても聞こえてくる騒音に、セリスは無性に気持ちが苛立った。オペラ用のドレス姿で、コルセットが苦しいからそう思うのかもしれない。教えてもらっていた通りに紐を引っ張ったり緩めたり、なんとか着替えをしたが、その後も居心地の悪さは薄れなかった。 
 もしかしたら、この感情は、帝国に近づいているから起きているのかもしれないと、セリスは髪を手櫛で整えながら、ぼんやりと考えた。
 世界統一のため、各国に侵略戦争をしかけた帝国は、今や世界中の敵になった。統治下の国々はほとんど政治が機能しておらず、無法になった土地を帝国軍が勝手に支配し、人々は圧政に苦しんでいる。
 それが間違いだと思うからこそ、戦うことを決めた。帝国に植え付けられた、忌まわしいこの力さえも刃向かうための力として。

 あまり気分が良くならないままだったが、セリスはブラックジャック号のホールに出た。煌びやかなギャンブル施設となっている船内は、しかし今は誰も遊ぶ者はいない。こんなにも目に眩しいのに、虚ろな空間だった。
 何か水でもないだろうか、とバーカウンターに近づいてみて、しかし酒のボトルばかりでがっかりした。
「何かご所望かい?」
 突然声を掛けられて、セリスはびくりとする。勝手に備品に触っていたわけではないが、見咎められたのかと思った。だが、そこに立つ船主は傷だらけの顔で、薄く笑っている。
「カクテルくらいなら俺が作ってやれるが。どうだい?」
「ありがとう、だけど普通に水をいただけないかしら」
 セッツァーは銀の髪を揺らして肩をすくめてみせてから、カウンターの中に入っていく。
「つまらんオーダーだな……ま、いくらでもアンタには特別に作ってやるよ。……突っ立ってないで、座ったらどうだい」
 促されて、セリスは丸椅子に腰掛ける。カランカラン、と氷がグラスに当たって清涼な音が響くと、なんとなく気が紛れてほっとする。どうやらそれはセリスに限らないようで、今までどこにいたのやら、マッシュとロックがひょこりと顔を出した。
「お、なんだよセッツァー。そこの酒って飲んで良かったのか?」
 言いながら、ロックはセリスの隣に腰掛け、興味深そうに酒並ぶ棚を見上げた。
「野郎に出す酒はない」
 セッツァーは軽く言い放って、セリスの目の前に美しいカットが施されたグラスを置いた。
「ありがとう」
 冷えたグラスに、少し気持ちが落ち着いてくる。水を少しずつ口にしていると、セッツァーとロックが言い合いを始めていた。
「どうせ開けちまったボトルなんて誰も飲みに来ないだろ?」
「だとしても、飲ませるならどこの馬の骨かもわからん男より、俺好みの女だろ。バカか?」
「飲みたがってるやつに渡す方がよほど有意義じゃないか?バカか?」
「意義の有る無しは俺が決めることでお前が決めることじゃないね」
 どうやらセッツァーの方が一枚上手らしい。ロックの方も、そんなに酒が好きなのだろうか。珍しく言い争う姿に、セリスは思わず瞬く。男の低い声での争いは、どこか少し不穏な気持ちになる。
「……大丈夫か?」
「えっ?」
 突如として言われて、セリスが振り向くと、じっとこちらを見つめるマッシュの青い目と視線がぶつかった。背の高い彼は、見下ろすようにセリスをしげしげと見ている。
「……何が?」
「あまり顔色、良くないんじゃないか?」
 ぎくりとして、思わず視線を逸らす。逸らした先には、今度はセッツァーの目が待っていた。見透かすような、嫌な視線だった。
「なんだ、船旅はあまり好かないか?」
「そんなことは……乗せてもらえて感謝しているわ」
 飛空艇の乗り心地がなんとなく悪いのは確かだったが、機嫌を損ねまいとセリスは微笑を浮かべて答えた。が、セッツァーは笑わない。
「気に入らないようでも、しばらく船は止まることはできないぜ」
 琥珀色の酒をグラスに注ぎながら、セッツァーは切れ長の瞳でセリスを見据える。そこにどういう感情をたたえているのか、判別できるほどの付き合いはまだない。
「……気分転換には、そうだな、」
「あ、そうだ。甲板に出て風でもあたるといいかもしれないぜ」
 名案を思いついたと言わんばかりにぽんと手を打って、セッツァーの言葉に被せるようにマッシュがそう言った。セリスがドレスの脱ぎ着に手間取っている間に、ちゃっかりマッシュとロックは飛空艇探索を済ませていたようだった。
「どうだ?案内するけど」
 にっこりと人好きのする顔で笑いかけられて、ここにいるよりは良いかもしれないと、少し考えた後、セリスはこくりと頷いた。
「よし。じゃあ決まり!」
「……俺の船なんだが?」
 セッツァーが苦々しく呟くと、今までの言い争いはどうしたのだか、その言葉にロックが同調していた。
「ああいう悪気ないやつが、一番効くんだよな……」

 歩調を緩めてのんびり歩くマッシュの後ろを着いていく。歩いているうちは、自身の靴音と歩く行為そのもので、気分が紛れることをセリスは知った。
「帝国に戻るのは、つらいか?」
「え、……いや。自分で行くと決めたことだから」
「そうか。……」
 広い背中に返事すると、それきりマッシュは何も言わなかった。
「……ああ、ここの梯子を登ると甲板に出るんだ。風が強いから驚くぜ」
 くるりと振り返った彼は、いつものようににかりと快活に笑んでいる。マッシュは不思議な男で、カイエンにもセリスにも、あるいは恐らくティナにも、誰にも変わらず笑いかける人間だった。裏表のないその態度は、最初こそ不審に思えたが、段々慣れてくると当たり前のように思えてしまうのだから、恐ろしい。
 随分と頼りない梯子をスイスイ登っていくマッシュを見上げて、どうやら見た目よりも梯子は頑丈なようだと独りごちて、セリスもそれに手を掛けた。
 がぱ、と天窓を開け放ち、先にマッシュが甲板に出る。
「大丈夫か?」
 ずいっと差し出された太い腕に、セリスはよく考えずに己のそれを返した。
「あ、ええ。……ありが、……?!」
 途端、世界が猛然と走り去ったかと錯覚するほどの力強さで引き上げられて、セリスは目を白黒させてしまった。ぽて、と床板に下ろされて、一瞬呆ける。
「お?悪い、肩痛かったか?」
「い、いえ……大丈夫よ、ありがとう……、あ、」
 ぶわりと、風がセリスの身体を突き抜けていった。遠くに見える果てしない地平線が、終わりもせずに延々と眼前に広がり続ける。
 なんて景色だろう。次々と変わっていく風の感触と匂いを確かめながら、セリスは息を呑んだ。
「……これは、いい眺めだわ」
「だろ?こんなのが見られるとは思ってもみなかったぜ」
「そうね、……空には国の境なんて、大した話ではないのかもしれない……」
「少しセッツァーが羨ましいかもしれないな、こんな毎日を過ごしてるって考えると。……まあ、帝国のせいで商売にはなってないみたいだが」
「羨ましい、か……どうかしらね」
 ふと漏らして、セリスはにわかに立ち上がって、欄干に身体を寄せる。覗き込んだ下は、黒々と波打つ海だった。時々なにかの影が映る、ような気もした。気になって、セリスはしばらくじっと眼下の海を見つめていた。
 こんな景色を延々と眺めていられたら、どれほど心穏やかでいられるのだろう。決して望んではならない生き方だと自覚しながらも、どこか心惹かれるものがあるのも確かだった。
「……少しは気が紛れたかい?」
 話しかけられて、セリスはそこにマッシュがいたことを忘れかけていたことに気がつく。気分転換を超えて、景色に没頭してしまっていた。慌てて振り向いて、こくこくと頷いてみせると、ひどく優しい微笑みで頷き返された。
「海も良いけどな、さっきもっと綺麗な大地も見えてたんだ。帰りにもう一度見れるようにセッツァーに頼んどくよ」
「それは楽しみ、……花畑かしら、それとも草原?」
「そりゃ、帰りまでの秘密」
 穏やかな言い方に、セリスは釣られて笑ってしまう。この人が言う綺麗な景色とは、どれほどのものなのだろうと単純に興味が湧いた。帰りの道が自分たちに約束されているわけでもないというのに。
 さてと、とマッシュは一際大きく言って、自らの腰に手を当てる。
「それじゃ、そろそろ俺は退散するかな。……風が強くて冷えるからな、長居しすぎるなよ」
「わかった、……ありがとう」
 セリスは手を上げてその言葉に応えて、立ち去るその大きな背中を見送った。そしてしばらく、甲板に腰を下ろして食い入るように空を眺めていた。

 辿り着いた魔導研究所の最奥で、計画通りに魔石を手に入れることはできた。だが、脱出する段になってケフカの急襲に遭い、セリスの転移魔法によって、マッシュたちは全員無事に飛空艇に戻ってくることができた。帝国を飛び去りゾゾに向かう飛空艇には、セリスの姿だけがなかった。
「……約束、破っちまったな」
 甲板で、一人。マッシュは景色を見た。山々の合間に色とりどりの花々が咲き誇る小さな場所。荒れた山地の中の秘密基地のように、ぽっかりと花畑が彩る景色を、張り詰めた様子のセリスに見せてやりたかった。
 それを見て、彼女は笑ったろうか。あるいは食い入るように見つめるのだろうか。答えは無い。

 

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