マシュセリ

傍観者にはなれない

 セリスはロックを好きなようだった。気がついたのはオペラ座での騒動が終わってからだったが、よくよく考えると、それよりも前から、甘酸っぱいもんだな、と二人を見て兄はによによと笑っていた。そういうことだったのか、とふと腑に落ちる。


 ティナを助けるためにリターナーの面々は帝国に乗り込むことになり、魔導研究所での窮地を脱するためにセリスは自らを犠牲にした。ロックに助けられた借りを返すため、その道を選んだ彼女の気持ちは強く深いものなのだと、思い知らされた。ロックもまた、その事実に直面してショックを受けていた。だからこそ、帝国の停戦宣言によって二人が再会できたときは嬉しく思った。二人を見守りたい、そう思って、邪魔しようとするセッツァーを引き留めたりもした。セリスとロックが二人でいるのを見ると、こちらもなんだか嬉しくなり、こう言ってはなんだが、それを見守るのがなにより楽しかったのだと思う。
 そう、俺は、二人が幸せになってくれればいいと思っていた。
 だから世界が崩壊した後、偶然セリスと再会してからずっと、ロックと無事に会わせてやるために、それまで彼女を守り続けることを密かに誓っていた。なにより彼女の傍にいて、不安を取り除き、励まそうとした。


 けれども、どうしてこうなってしまったのだろう。
 旅の道中で見つけた安宿で、何とは無しに談話して、もう夜も遅いと自室に戻ろうとした俺の腕に触れて、潤んだ瞳でこちらを見上げる彼女は、なんと言ったのか。
「もう少し、……マッシュと二人で、いたい」
「えっ??」
「あ、……め、迷惑なら、いいの」
 恥ずかしさで顔を真っ赤にした彼女に胸を鷲掴みにされて、俺は慌てて否定する。
「迷惑?!そんなことは全然、ない!けど……」
「けど……?」
 何故、俺にそんな顔を見せるんだ?
 喉まで出かかった言葉をごくりと飲み込む。と、セリスの細く白い指が、するりと腕を撫でた。
「……セリス?」
「けど、嫌……?」
「え、……そんなこと、思うわけないだろ」
 そう、とセリスは吐息のように呟き、腕を組んでは身体を寄せてくる。やわらかで、ひやりとした身体は、男の肉体とはまるっきり違う。
 良かった、と漏れでた彼女の声は、切実なものに聞こえた。恐る恐るといった風にこちらに体重を乗せてくるのがわかって、俺は困惑していた。
「……セリス?」
 呼び掛けに、彼女は応えなかった。だが、何を言いたいのかわからないほどには俺もバカではない。
「あのな、セリス。……俺だから良いけど、あまり勘違いをさせるようなことはしない方が、いい」
「……マッシュは、私が誰にでもこんなことをすると思っている?」
「そういう意味じゃ、……いや、どういう意味だ??」
 弾かれたように彼女の方に視線を向けると、ばちりと目が合ってしまう。見てはいけないものを見てしまったと思った。懇願するような瞳を無視できるほど、俺は最低な人間ではない。
 何か間違っている。けれど否定はできない。どうするべきか、何を言うべきか逡巡し、そして俺は腹を決めた。
「セリス、」
「え」
 ぱちりと開かれた碧眼を見つめて、彼女の肩をそうっと掴む。途端、ぱっと赤面したその頬に、その額に、そっと口づけた。貴族文化のジドールでは当たり前に挨拶として用いられる所作と聞いた。
「俺ができるのはここまで、……あれ、セリス?」
 真っ赤になって、セリスはわずかにうち震えて、俺にしかと抱きついた。勘違いされるようなことはしない方がいい、と、自分の言葉が山彦のように返ってくる。
「マッシュ、わたし……私、」
 貴方のことが好き。
 聞こえたその言葉が自分に向けられたものであると理解するまでに、長くはいらなかった。にも関わらず、理解するのを拒否する自分がいた。
 でも、セリス、おまえが好きなのはロックだったろう?
 胸のうちに身を寄せる彼女の肩を宥めるように叩きながら、俺は呆然とするほかなかった。

「マッシュ、……おはよう」
 少し照れながら、セリスは俺を見つけるとおずおずと近づいてくる。あれから毎朝のことになってしまった。
「おう、おはようさん」
 セリスの前髪をそっと片手で押し退けて、空いた額に口づける。挨拶代わりなら一応、問題ないはずなのだが、ものすごく複雑な気持ちになる。
 何故、俺がこれを彼女にすることが許されているのか。何故、彼女がこんな表情を俺に向けているのか。
 よくよく考え直した方がいいと、あの晩彼女には伝えてはいた。今目の前に俺がいるから心を動かされるだけであって、本当に会いたい人間に会えれば、きっと。
 酷い人。
 そうセリスに言われて、そして、口づけを挨拶にしてくれと頼まれた。貴方のしたいようにしていいから、と。
 彼女の唇を奪うような真似は、俺にはできない。だから間違いのないように、彼女の額にだけ、己の唇で触れる。挨拶として。 ただそれだけだ。

 ロックの噂をようやく耳にしたのは、ジドールの大貴族、アウザーの屋敷だった。
「本当か!!それは最近の話なんだよな?!」
 復活の秘宝を探すひとりの男の話を聞いた俺は、思わず肩を揺さぶって食い付いてしまった。
「あ、ああ……つい一昨日くらいのこと、だ、は、離してくれっ……」
「おっと……すまない、つい。そいつは俺達の仲間かもしれないんだ。だから嬉しくて」
 ぱっと手を離し、俺は感慨深さに浸っていた。これでようやくだ。これでようやく、正道になる。
「よぉし、セッツァーにすぐ向かってくれるように言おう!な!」
 そうだな、と頷く面々を見渡してから、俺はセリスのほうに向き直った。
「良かったな、セリス!ようやくだ、これで」
 ようやく、再会できる。また二人が笑い合う未来が来る。こんなに嬉しいことは他にはそうないだろうと、彼女の肩を叩いた。
 セリスは、今にも泣きそうに俺を見上げる。
「……そんなに、」
「えっ?」
 いえ、とセリスは目を逸らした。急ぎましょう、とだけ言って、彼女はこちらを振り向かなかった。

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