階段

階段

 すべては、階段に過ぎない。

 冬が終わり、山々に新たな緑が芽吹き始める頃、フィガロの砂漠には相変わらずの熱気が漂っていた。ここに季節などあってないようなものだろう。
 フィガロ城の門番を遠巻きに眺めていた青年は、頭のバンダナをぐいと目深に被り直し、城の壁に走り寄った。門番の視線がこちらにないことを悟ると、青年はそのまま、砂を蹴ってその壁をよじ登り始めた。
 目的の部屋はかなり上だが、正面から入るよりよっぽどこの方が手っ取り早いことを、青年は知っていた。その部屋を目指して、ひたすら真っ直ぐ壁を進んでいく。
「おいエドガー、いるか?」
「やあロックか」
 いきなりひょこっと窓から顔を出した青年に対し、部屋の中にいた男、エドガーはちらりとこちらを一瞥して名前を呼んだだけだった。その整った顔をわずかにも変えないまま、滑らかに書類の上で羽ペンを走らせ続けている。豊かな金髪をリボンで結っているこの優男は、本来なら不法侵入者であるロックが不躾に会える相手ではない。エドガーを囲む家具や調度品は全てが上品で、まず住む世界が違うのだと主張してくるようだった。
「お前のことは、捕まえなくて良いように皆には言い含めてあるんだが。たまには正門から来てくれないかな……それとも警備を増やそうか」
「そんなことよりこの前の話、詳しく聞かせろよな」
「この前の話? ……あぁ、ジドールの歌姫? 素晴らしい器量と歌声だという噂だが、どうだろうな。実際見てみないことには……」
「すっとぼけるなよ。ずるいぜ、エドガー」
 ぺらぺらと顔色も変えずに喋り続けるエドガーに、ロックはずかずかと室内に侵入しながら、つい語調を荒らげた。相変わらずペンの手を止めないその様が、さらにロックを苛立たせる。それがわかっているだろうに、依然としてエドガーは書類から目を離さなかった。
「ナルシェの方はどうなっている?」
 ち、とロックは舌打ちしてエドガーから離れると、美しいタペストリーのかけられた壁に無愛想に寄りかかる。
「……ニケア経由で帝国の小隊が向かっているらしい。その中には少女の姿があったそうだ」
「少女……あの、魔導の力を持つとかいう少女のことか」
「だろうな。それくらい帝国はナルシェの幻獣を欲してる。だが戦争に使うにしても、あんなもの、従わせる術があるとは思えないけどな……」
 ふむ、とようやくエドガーは羽ペンを置き、その端正な顔をやや歪ませた。
「帝国の技術のほどはわからないが……だからこそ、まずは幻獣をやつらに渡すわけにはいかない」
「小隊を潰しにかかるか?」
「それはナルシェの自警団に任せておけばいい。我々リターナーとしては、その魔導の少女をこちら側に引き入れたいところだ。……そう言われなかったか?」
「……まぁな」
 ロックは腕を組み、ため息混じりに答える。試しに聞くまでもなかった。エドガーには大体のことが見えている。
「ナルシェのやつらに任せといたらその少女ごと殺しちまうだろうって、バナン様の話さ」
「違いない。……ロック、おまえが行くんだろう?」
「その通りだ。ご明察」
 参った、という風なロックの様子に、エドガーは薄く笑って、その長い指同士を絡ませた。
「そりゃあ、呼んでもないのにお前がわざわざこんな辺境に来る理由なんて、記録的な砂嵐の見物くらいだろうからな」
 ロックは答えなかったが、ただ両肩を竦めてみせた。
「……まあいい。では少女を無事に保護した暁にはフィガロに寄ってくれ。ようやく我が国も表立って行動する時が来たようだ」
 世界支配を目論む帝国に対して、フィガロ国は今のところ中立を表明していたが、実際のところは反帝国組織リターナーに資金面で相応の援助をしている。帝国はそれに気づいてはいるが、この飄々とした王はリターナーに関わる証拠を一切残さなかった。故に、帝国もフィガロには手を出せないでいる。
「いいのか? 尻尾を掴まれればフィガロが攻め滅ぼされるかもしれないぜ」
 エドガーはちらりとロックのことを流し見、鋭い目つきで無感動に言い放つ。
「このままでいても、遅かれ早かれいずれそうなるのは明白だろう。だが、かの少女がリターナーの手に入れば、戦況は変わってくる。だろう?」
 問いかけに、ロックは素直に頷いた。そのことは既にリターナーで想定されている。少なくとも、指導者であるバナンはそれを確信していた。
 難しい表情をするロックに対して、エドガーは陽気に指先を振って見せる。
「私個人としてはレディをそんな風に利用するような真似はしたくない。が、……フィガロだけではない、世界の命運がかかっている。……申し訳ないことだ」
「はいはい、おまえの女好きはわかったよ。……じゃ、俺はもう行くぜ」
 入ってきた窓に足をかけ、ロックは北のナルシェ連峰を眺めた。まだ雪深く閉ざされた、白い山々。何かがそこにあるような、けれども全てが隠され埋もれているような。
「ロック」
「ん? なんだよ」
 呼ばれたロックが振り返って見たエドガーの顔は、ひどく真剣だった。
「秘宝についてはもうしばらく時間がかかる。だが次にお前がフィガロに戻って来たときには話す。……必ずな」
「ああ、そうしてくれ」
 じゃ、と飛び降りようとして、またエドガーに制される。
「次はなんだよ?」
「……これからリターナーは忙しくなるぞ」
「わかってる。心配するなよ、仕事を途中で放り投げたりはしない」
「よろしく頼む。……何度も言うが、リターナーには我がフィガロだけではなく、世界の命運がかかっているんだ」
 苦々しく笑いつつも、エドガーの言葉に大した返事もせずにロックは窓から飛び降りた。


「あいつ……部屋を汚していきやがって」
 ロックの靴に付いていた砂が、赤い絨毯の上に乾いて落ちていた。それは幼かった頃の散らかった部屋を、エドガーに思い出させる。そしてそこにいたはずの人物も。かれこれ何年も会っていないというのに、今、その男がいないことに半身をもぎ取られたような感覚を覚えさせられる。
 エドガーはわざとらしくしかめ面をして、扉の向こうに向かって声をあげる。
「すまない、来客が無作法者でね。ここを掃除しておいてくれないか?」
 言って立ち上がり、エドガーは窓に寄って外を眺める。吹き抜ける熱い風が、背中に束ねた金の髪をやわらかに揺らした。
 季節は春に近づいてはいるが、窓から見えるナルシェの山々はまだ全てが白で染め上げられていた。夏になれば緑が増えていくのだが、白色が失くなることはない。しかしこのままではいずれ、あの雪がすべて燃えるほどの戦火が、世界を覆うのだろうか。
「……いずれにせよ、解け出す頃か」


 それから半月が経った。
 雪解けが進みつつある中で、ロックは計画通りにナルシェから少女を連れ出し、フィガロ城へと案内した。
 それは既にエドガーと約束していた通り、少女の保護をフィガロに希った後、秘宝の在処を聞く為であった。
 しかし、帝国に操られていただけだという少女ティナは、あやつりの輪という装置のせいなのか、自身の記憶が何一つなかった。帝国でのことも、ナルシェで自らが起こしたことも、なにもかも、少女は思い出すことができないという。
 記憶喪失というキーワードは、強烈な火花のようにロックを動かした。記憶のない人間を見捨てて逃げることなど、二度とできなかった。ロックは自分に言い聞かせるように胸に手を当てた。

 その夜、ロックとエドガーは奥の間のテラスにいた。砂漠で眺める星空はなかなかに良い。昼間の熱気とは打って変わって、すっかり冷えきった夜風に当たりながら、ロックは壁に寄りかかって空を眺める。
「ティナに関してはエドガーに任せる、ってさ」
「そうか」
 上品なワイングラスを片手に、同じく空を眺めてエドガーは生返事をする。
「しかし……魔導の力以外は俺達と何にも違わない、普通の女の子って感じだよな。剣も多少使えるようだけど、戦うのは嫌みたいだし。……噂の魔導もそんなに凄まじいのは俺はまだ見ていないしな。前評判とは違って、そこまで戦力としては期待しない方がいいかもれないぜ」
 そもそもロックは、生まれながらに魔導の力を持つという、ティナに関する噂を信じてはいなかった。自ら情報を集める中で、ティナの話だけが世界規模で広がっていったのを見ていたからだった。魔導研究の情報は一切流れていないというのに、ティナの情報は一般人でも知っているというのは、さすがに怪しすぎる。ティナの話はわざと流され、そして誇張されているとしても何らおかしくない。
「彼女を積極的に戦力にしたいと考えていたわけではない」
 エドガーは天を仰ぎつつ、ぽつりと呟いた。
「そうなのか?」
「敵の戦力を削ぐ、或いは、敵の脅威となるぐらいで構わない。十分すぎるほどだ」
「? それはティナの力を戦力に数えるってことじゃないのか?」
 ふ、とエドガーは笑って、テーブルに置かれたフルーツの山から一番見た目の変わったものをひとつ掴み、ロックに差し出した。少し虫の死骸に似ていて、気持ちが悪い。
「ロック、これ食うか?」
「は? いや、俺は……遠慮しておく。それ果物だよな? キテレツな見た目してるが……」
 色も茶色ずんでいて良くないし、とロックは首を横に振った。それを見て、エドガーは満足げな表情でその果物を自らひとかじりしてみせた。
「……よく食えるなエドガー」
「うん、旨い。見た目は良くないが、これは糖度の高い果物でね。フィガロではわりとよく食べられている。……我が国で美味しいと思われているものは、我が国が一番知っているものさ」
 わざわざ回りくどい言い方をするものだ、と思わずロックは苦笑した。
「ははぁ……なるほどね」
 感嘆の声をあげつつバンダナを整える。
「ティナの怖さを一番知ってるのは他でもない、帝国自身ってことか」
「そうだ。ティナを敵に回したらどれほど危険なのか……帝国の態度ですぐわかる。サウスフィガロにケフカの一団が到着したという話だからな」
 何気なく言い放たれたエドガーの言葉に、ロックは弾かれたように壁から離れた。
「えっ、ケフカが!? ってことは明後日にはフィガロに着くじゃないか」
 エドガーは手にしたグラスをただ優美に回して、笑った。
「ま、落ち着けよ。……丁度良い機会だ、我がフィガロがリターナーと繋がっていたと紹介しようじゃないか」
「なに呑気なことを……」
「心配するな、もう準備はできてる。もちろん、城が襲われた場合も考えてある」
「……あ、わかったぞ。久しぶりに潜行ってことか?」
「そうだ。……とはいえ、我々は砂漠のあちら側に行っても意味がないからな。城には残らないが」
「が? なんだよ」
 相変わらずグラスを回しつつも、エドガーはちらりとロックを見た。それは、エドガーが答えがわかっているときにわざとやる仕草だった。
「ロック。秘宝についての話、今聞くか?」
「……いや、今はいい」
 だろうな、と聞こえてきそうだった。エドガーには大抵のことを見透かされる。
「……まぁいい。それなら、私とティナをリターナー本部まで連れていってくれ」
「本部? ああ、いいぜ。ティナをバナン様に会わせるのか」
「フィガロではいつまでもティナを守りきれないし、正直どうしたら良いかもわからん。それに、私もバナン様に会ってみたいからな」
「わかった。あ、旅費は本当によろしく頼むぜ? 女の子を連れていくなら時間は倍かかるからな」
「ああ。おまえの報酬にも特別手当てをつけるよ」
「本当かよ? こりゃ張りきってやらないとな」
 意気揚々とロックはテーブルに並べられたフルーツに手を伸ばす。
 フィガロ周辺から送られてきたフルーツらしく、いくつかは見た記憶があるものもある。せっかくなら珍しいものを食べようと思ったが、やはりロックの手はそれに向かっていた。
「おまえはまたそれか?」
「……なんか、こいつがあると裏切れなくてさ」
 梨によく似た、素朴なフルーツ。ロックの好物ではないことはエドガーは知っていた。
「あまり甘くはないだろう」
「甘くなくて良いんだ」
 戒めなんだから、とロックは口の中で呟いた。

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