マシュセリ

憧れのあのヒト

 麗しの女将軍セリスは、男の影を見せたことがなかった。
 自分よりも弱い男に興味などないと豪語する彼女は、実際、剣術の腕に恵まれていたし、後天的に植え付けられた力である魔法もあって、右に出る者はいなかったのだ。
 だが、ある日耳にした、とある剣士の噂はセリスを虜にしていた。
 剣士ジークフリード。神出鬼没の天才的剣士だという。
 元々、おとぎ話が好きな気質もあって、セリスはジークフリードに羨望の眼差しを向けていた。
 いつか、会えないだろうか。それは帝国将軍をしていた時だけではなく、こうしてリターナーに身を落としていても、セリスの頭の片隅に置かれた想いであった。
 そしてティナを探す旅の中で、セリスは思いもよらない男から、ジークフリードの話を聞くこととなった。

「やっぱり、剣士ならなんか流派とかあるのか?」
 魔物との戦いの後、脈絡もなく唐突にセリスにそう問うたのは、フィガロの王弟であるマッシュだった。それなりの数の魔物と相対していたはずなのに、マッシュには息を荒らげる素振りは微塵もない。
「さぁ。気にしたことがないな」
 セリスは誰にも師事していなかったため、答えに窮した。敢えて言うならば、レオ流だろうか。だがレオに教わった型は、レオ本人の使うものとは違っている。
「へえ、じゃあ自己流でそこまで? すげえんだな」
 教わった経験自体は確かにあるので、マッシュにほめられても手放しでは喜べない。セリスは苦笑しつつ首を振った。
「……いや、自己流というほどではない。それに、目指している流派も、あるにはある」
「目指す流派?」
「ジークフリードを、知っているか?」
「ジークフリード? ……ああ、なんかどっかで聞いたな……」
 山籠りの修行僧でさえ、耳にする名前なのだ。セリスは内心、歓喜したが、無愛想に頷いた。
「高名な剣士だそうだ」
 マッシュはううんと唸り、ハッとして大きな手を叩いた。
「あ、思い出した! 魔列車で会ったあいつかぁ!」
「えっ、会ったことが?」
「おう。確か、俺たちから宝を掠め取って逃げたから一発殴ったら、捨て台詞言いながら逃げちまったよ」
「な……」
 宝を奪い、逃げた。一発で、逃げた。捨て台詞を言って、逃げた。
 セリスは言葉が出ず、口をぱくぱくさせる。ジークフリードのイメージに、そんなものはなかったのに。
「……貴方が出会ったジークフリードは、偽者だ!」
「ええっ? そうなのか?」
「そうだ、そうに違いない。……彼がそんなことをするとは思えない」
「知り合いなのか?」
「いや、会ったことはないが」
 あ、そう、とマッシュは青い瞳を瞬かせながら答える。有名な剣士なのだから、その名を騙る偽者がいてもおかしくはないだろう。
「……けど、そうか。憧れてるんだな、そのジークフリードってやつに」
 腰に手を当てて、マッシュはやわらかく笑った。当然のごとく言われて、セリスは戸惑う。他の誰にも、こんなことは言ったことはなかった。
「そうだ」
 仕方なしに、それだけを返す。バカにするなら勝手にしろ、と思ったのだが。
「憧れの人がどっかで生きてるのって、それだけで嬉しいよな。俺もよくわかるぜ」
 目の前の大柄な男は、微かに口角を上げたのみだった。その意味を汲み取れるほど、セリスはマッシュを知らない。
「んじゃ、もしまた会えたら伝えるから」
「え? あ、ああ……」
 にっ、と快活に笑まれて、セリスは一瞬の違和を見失ってしまった。



 そして、時は流れた。
 帝国もリターナーももはや関係ない、荒廃した世界。なんの運命か、セリスはマッシュと共に旅をしていた。
 以前から身分や出生に関係なく気さくな人物だとはわかっていたが、実際二人きりでいると、彼の器に気付かされることが多かった。
「ジークフリードもマッシュみたいな人なのかしら……」
 いつからか、セリスはそう思うようになっていた。修行の末に行き着く先がマッシュならば、きっとジークフリードもそうだろうと。
「セリス。行こうぜ」
「あ、ええ」
 樽の影に身を隠しながら、マッシュがくるりと振り向く。今はサウスフィガロの盗賊団を尾行している最中なのだ。考えごとをしている場合ではなかった。
「あっ、やべっ! 急ぐぞ」
 不意に、ぐいと腕が引かれて、セリスは声が出なかった。そのままなすがままに引っ張られて、また別の樽の後ろまで腰を屈めて進む。
「まったく。兄貴のやつ、歩くの早いんだから」
「……あ、あの」
「おっ、さぁ行くぜ!」
 ぎゅうと手を握られたまま、今度は立ち上がって、駆け出した。そのまま一気に、サウスフィガロの町から飛び出す。
 盗賊団はサウスフィガロの洞窟を目指しているらしかった。道中は茶けた荒野で、身を隠す場所はないが、行き先さえわかれば見失うことはない。
「マッシュ、あの、手はもういいでしょう?」
「ん?」
 ああ、とマッシュは殊更気にするわけでもなく、するりと手を放す。
「あとは付かず離れずで行けばいいな」
「ええ」
 握られていた手を、セリスは無意識にさすった。それから、視線を盗賊団に向ける。
「……全員男性ね。あんな中によくエドガーが堪えていられるわ」
「国と女なら、兄貴は国を取るさ。……多分」
「大切なものが多いと大変ね」
「そうだなぁ。……本当に、そうだな」
 マッシュは遠くの兄を見つめ、いつかのように口角だけを微かに上げた。その時、彼が何を思っているのか、今もはっきりとわかるわけではない。だが、恐らくはこの人は過去を見ているのだと思う。
 明るい笑いにまで消化できずとも、支えは要らずに立てる程度の古傷を、彼は見つめているのだろう。かける言葉が考えつかず、セリスはそんなマッシュに視線をやる。
「……サウスフィガロの洞窟は、初めてじゃねえよな?」
「えっ? ああ……そうね。以前……ナルシェに行くのに通ったわ」
「じゃあ心配はないか。あ、でも落石とかは気を付けような」
 また、以前と同じだった。すぐにこの人は、こちらに気を回す。少しくらい自らのために気を回していたって、誰も咎めたりはしないだろうに。
「言われなくても、警戒は怠らないわよ」
 セリスはせめて明るく答えて、洞窟へと歩を進めた。

 サウスフィガロの洞窟は、魔物の出る洞窟ながら行き来の多い場所である。故に、壁には恒常的に明かりが灯されており、薄暗くはあるが全くの暗闇ではない。
「……音が響くわね」
 金属の音は、岩石質の洞窟にはあまりに不似合いだ。セリスは鞘をしっかりと握った。
「声はまあ、反響しちまったらモンスターの声と比べがつかねえだろうから、気にしなくても平気だろ」
「でも万が一もあるし。出来るだけ静かにいきましょう」
「ああ。……なんか楽しそうだな?」
 苦笑するように言われて、セリスはわずかに頬を赤らめる。が、薄暗いなかではマッシュはわからないだろう。
「だって、まるで探偵みたいだから……」
 隠れてこそこそ、なんて性には合わないとばかり思っていたが、これが中々ワクワクする。不謹慎よね、と戒めるように呟くと、マッシュはくつくつと笑った。
「いいんじゃないか? どうせ相手は兄貴だし。楽しくいこうぜ」
「どうせって貴方、仮にも自分の……」
 言葉の途中で、マッシュの視線がセリスの背後に向けられた。セリスはそれにわずかだけ遅れて、背後を振り返る。
「今……何か聞こえたか?」
「……ええ。何か、金属の……」
 高い音だった。まるで。
「剣が岩に当たったみたいな」
「じゃあ人間だ。俺たちの他に誰か後ろにいるんだな」
「けど、そんな人、ずっといなかったわ」
 洞窟に入るまで、周囲の警戒は十分すぎるほどしていたはずだ。他の旅人など、誰もいなかった。
「モンスターじゃないなら心配ねえさ。行こうぜ」
「ええ……そうね」
 暗闇をじっと見つめてから、諦めてセリスは前に向き直る。
「あ、待って。あそこで、何か揉めてるわ」
「ん?」
 見れば、前方でなにやら盗賊たちが立ち止まっていた。湖を前に、どうやって渡ろうかと考えているようだ。
「おお? あの湖の奥に、道があったのかぁ……知らなかったぜ」
「しっ、静かに」
 岩壁に身を寄せて、暗闇と同化しつつ盗賊たちの行く末を見守る。
 どうやら、湖にいる亀を使って渡る気らしい。
「うわ、めちゃくちゃ危ないな。兄貴大丈夫かな? 落ちたら大変だろうに……」
「マッシュ」
 気が気でないらしく、マッシュはつい心配そうに呟いたが、それをセリスは静かにたしなめる。

 盗賊たちが全員、湖を渡りきり、奥に姿を消していったのを確認してから、セリスはマッシュを見上げた。
「私たちも、すぐ後を追いましょう」
「ああ。だな」
 そうして岩壁から離れた二人に、背後から突然、声がかけられた。

「待てぃ、そこの旅人たちよ!」
 どこか間抜けなその台詞に、セリスは眉を寄せながら振り向いた。先ほど背後に感じた気配だろうが、取るに足らないものでしかない。
「誰だか知らないけど今、忙しいの。話なら後に」
「なに!? この天才剣士ジークフリードを知らないとは言わせないぞ!」
「えっ?」
 まさかこんな所で耳にする名前とは思ってもなく、セリスは思わず瞬いた。
「じ、ジークフリード!?」
「そうだ。この私が君たちより先に進み、モンスターを倒してこよう。ではさらばッ」
 マントで全身を隠した男は、セリスたちを素早く追い越して、湖を渡っていってしまう。セリスは咄嗟に、ジークフリードに向かって届かぬ手を伸ばした。
「あっ、待って!! ジークフリード!」
「バカ、セリス声がでかい!」
 慌ててマッシュがその腕を掴み、落ち着けとばかりに強く言った。が、落ち着けるわけがない。
「だってジークフリードよ!」
「わかったから、声を落としてくれって……!」
「でも、行ってしまう!」
 焦るばかりのセリスを、マッシュはぐいと自らの胸元に引っ張り寄せて、真剣に顔をのぞきこむ。
「あのな、俺はジークフリードに会ったことあるんだって言ったろ?」
「でもそれは偽者だって!」
「それが、今のヤツだよ!」
「えっ!?」
 セリスは、しばし呆然とした。今のが偽者だったというのか。
「で、でも……薄暗くて、見間違えたのかも」
「本物なら、あんな程度の身のこなしじゃないだろ」
 言い聞かせるように、マッシュは間近でそう言う。
「……それは、確かに……」
 ジークフリードの動きは速かったが、それはこちらが驚いて止まってしまったからであり、思い返せば粗のある動作だった。とても武道の達人ではなさそうに思える。
 むしろ、あの所作はロックに近い。自己流の、洞窟や足場の悪い所を駆け抜ける、盗賊の技のような感じがするのだ。
「……偽者、だったのね」
「多分な」
 がっかりするのを隠せないセリスの肩を、マッシュは慰めるようにぽんぽんと叩く。
 それで、セリスはふと気がついた。
「……あ、あの、ごめんなさい、そんなことより、エドガーを追いかけなくちゃいけないわよね」
 掴まれた腕を半ば振りほどき、知らず知らずのうちに密着していた身体をパッと離す。彼ととても近くあったことが急に恥ずかしくなり、セリスはマッシュから顔を背けた。
「そうだな。ここまで来て見失っちゃあ意味がねえ。急ごう」
「えぇ。……えっ?」
 ひょい、と突然膝を掬われて、背中にたくましい腕が回される。唐突な浮遊感に、セリスは素っ頓狂な声をもらしてしまった。
「えっ? な、何するの?」
 軽々と抱き上げられて、戸惑いしかない。そんなセリスを知ってか知らずか、マッシュは意気揚々と数歩下がった。
「はいはい、ちょっと大人しくしてくれよ。二人して水にポチャンは一番避けたいからな!」
 そこから、いきなりトップスピードの助走が始まった。何を言うこともできず、セリスはただマッシュの首筋に腕を回し、掴まる。
 タン、という何故かしら軽やかな音が洞窟に響き渡った。
 浮いてる、とセリスは思わず目を閉じた。ざわざわとした掴み所の無い感覚が、腹部を走り去る。
「よい、しょっ、と!」
 着地は、何をどうしたのか、ほとんど無音であった。
 するりと足を下ろされて、それでようやく向こう岸に無事着地したことを悟った。
「どうだ? ホンモノはヒト一人担いでもこうやって跳べるんだぜ」
 にっ、とマッシュはセリスの背中を支えたまま、笑う。
「……本当、常識はずれよね。貴方って」
 セリスも吹き出すように笑ってしまった。
 盗賊たちが無理やり足場にした亀など、マッシュには最初から不要だったらしい。
「ありがとう。じゃあ、行きましょう」
 くすくす笑ったまま、セリスはそう促した。
 本当に、この人は面白い。見ていて飽きないな、と思うのだ。単に物事を深く考えていないのかもしれないが、そういう単純さはセリスには足りていない要素であり、だからこそ面白いのだろうと思う。

 湖を渡った先の洞窟は、やはりほとんど人が通った形跡がない。荒い足元がそれを物語っていた。
 だが、所々の宝物はすべて、奪い去られた後であった。それがエドガー率いる盗賊たちの仕業なのか、偽ジークフリードの仕業なのかはわからないのだが。
 そうした次第で、宝は何もなかったが、ほぼ一本道で迷うこともなさそうであったのは良かった。
「もしかしたら、さっきの偽者のジークフリード、実は本物かもしれないわね」
「ん?」
 セリスは進む足元を注意深く見ながら、ぽつりと呟いた。
「私や世間の人が思い描いてるジークフリードなんて、本当はいないんじゃないかしら」
 こんな殺伐とした世界だ。人々の形なき希望が、天才剣士という噂となって現れてしまったのではないだろうか。
「そーかなぁ」
 マッシュはそっと相槌を打ってくれた。
「……きっと。いない方が、いいのよ。実際に会ってしまったら、きっとがっかりする」
「そうか? あれだけ会いたがってたんだぜ、嬉しくならないのか?」
「ある意味、嬉しいかもしれないわね」
 ふふ、とセリスは独り笑う。
「ジークフリードよりもすごい人がいるんだぞ、って、自信を持って言えるようになるでしょうから」
「……? ジークフリードよりもすげぇヤツ、って?」
 窺うような口調に、セリスはマッシュをちらりと見てから、首を横に振ってみせた。今はまだ、言えない。
 ずっと、ジークフリードに憧れていた。天才的な剣士で、人知れず世界中を周っているのだという噂を聞くと、とにかくワクワクした。
 けれどそれは、幻を追いかけているようなものなのだ。ありもしない夢を、望みを、ジークフリードに託した、何も生まれない悲しい憧れ。
 だけどこの人は、とセリスはまたマッシュを窺い見る。
 確かにここにいて、本当に人々の希望として在ろうとしている。見えないものを見ようとするより、いまここに見えるこの人を見つめていた方が、よほど面白いはずだ。
 セリスは凛とした顔で、洞窟の奥先を見据える。その横顔を、マッシュもまた見つめていた。

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