マシュセリ

お寺に来たキミ



 準備が終わった者から外に出るよう言われていたため、マッシュはゲンゾウとともに廊下から庭へ降りたった。
 空はまだ暗く、町の声も聞こえてこない。
「うむ、揃ったな」
 居並ぶ僧兵たちの前に、師匠が立って頷いた。しかし、その隣に立つ者に、マッシュは目を剥いた。
「せ、セリス?」
「おはよう、マッシュ」
 セリスは事もなくにこりと笑って、手を振る。
「お、おう。いや、そうじゃなくてな、どうしておまえまで……」
「わしが頼んだからじゃが?」
「師匠が!? ど、どうして」
「私なら、分厚い公使館の扉を開けられるからよ」
 思い出して、とセリスは苦々しい顔で言う。ケフカは最後に、セリスを待っているかのような言葉を残していた。だから、その通りに一芝居すれば、征服心の強いケフカのことだ、扉を開けるだろう、と。
「けど、万が一成功したって矢面に立つ羽目になるじゃないか、危険すぎるだろ、そんなの!」
「心配しないで。こう見えて私、帝国一真流の免許皆伝なの」
「えっ、帝国一真流!? すごいな、セリスさん!」
 ゲンゾウが驚いた声をあげたが、マッシュはそれでも憮然としていた。
 免許皆伝などと聞こえは良いが、すなわちそれは実戦経験がないことを表すようなものだ。なにも人を殺しにいこうというわけではないから、殺しの技術面では構わないのだが、問答無用で殺しにかかられることに慣れていなければ、足手まといになるだろう。
「顔見知りだって、いるんだろう。それを斬れるのか?」
 斬れないならば、セリスが斬られるだけだ。だが、それは嫌だった。だから、マッシュは真剣に問うた。
「……斬ります」
 セリスは真っ直ぐな目をして、頷いた。
 そういえば、彼女はお嬢様育ちだからかわからないが、変に肝が座っているところがあったのだ。
「マッシュはそなたを安く見ておるようじゃなぁ」
 師匠が愉快そうにセリスに笑いかける。それに対し、セリスはくすりと品良く笑い返した。
「そうですね。さっきも万が一、だなんて言われてしまいましたし」
「そうじゃのぉ。そなたは歌舞伎役者も驚くほどの役者っぷりなのに、ひどい言いぐさじゃよ、まったく」
 そして、こういう度胸のある女を誰よりも好き好むのが、師匠なのだった。師匠が同行を許すというなら、危険な場合は師匠が身を持って守るということでもある。
「……わかったわかった、わかりました。名演技、期待してるよ」
 ため息混じりにそう言うと、セリスは嬉しそうに何度も頷いた。
「でも無茶はなしな」
「ええ! ……不謹慎なんだけど、なんだかちょっとわくわくしてきた」
 そう言うセリスは本当に楽しそうで、良いんだか悪いんだか、とマッシュは肩をすくめる。
 セリスは、勇気がある。現状から逃げ出す勇気を、彼女は最初から持っていた。そして今は、現状を打破する勇気を持ち始めたのだ。
 方法はどうであれ、セリスが一回り成長したのには違いない。
(だけど、この気持ちはなんだ?)
 胸が、空くのだ。それが正しい表現かはわからないが、とにかく胸のどこかが空いてしまうような感じがする。
「……私、がんばってみる。失敗しても怒らないでね」
「ばか、怒るもんか。あっぱれ大根役者! って叫んでやるよ」
「あら、私が大根役者の意味、知らないとでも思って言ってる?」
「……まあ、なんにせよ、ちゃんとフォローするから。任せとけ」
 うん、とセリスは素直に返事をする。こちらを見上げる碧い目は、とても澄んでいて美しかった。


 ケフカは普段、昼過ぎまで起きてはこない。だが、この日ばかりはそうはいかなかった。
 まだ日も登りきらぬ早朝、ケフカは執事に揺り起こされる羽目になった。
「なんだい!! こんな時間に起こして!! どうなるかわかってるんだろうね!!」
 大事に飼っていたセリスを逃し、かつ早起きをさせられ、ケフカの怒りは頂点に達していた。しかし、執事の言葉から「セリスが帰ってきた」と聞いた途端、その表情は醜く歪んだ。
「……どういうことだ?」
「は、どうやら泣きながら門番にすがりつき、ケフカ様にお詫びを申し上げたいと」
 ふうん、とケフカは眉を動かす。ケフカは狂ってはいたが、馬鹿ではない。
「一体、なんのつもりだろうかねェ」
「わたくしには、わかりかねます……」
「身なりはどうなんだ?」
「はぁ、それはもう汚ならしいものでございました。まるで、男にでも引き裂かれたかのような」
「……ほぅ」
「それに、痣も多いようにお見受けいたしましたが」
 執事には、悪意はなかった。彼は真摯に報告したに過ぎない。だが、その形容がケフカの思考を形作る基礎となったのは、言い逃れのできぬ事実でもあろう。
 ケフカは、セリスが僧侶たちに手を出され、居場所をなくしてここに舞い戻ったのだと、信じてしまったのだ。ケフカにとっては人間とは、風に吹かれた程度で表裏が簡単に変わるような存在だった。
「……ふん、まぁ、あの魔物の美しさにたぶらかされない男などいないしな」
 ケフカはセリスを眺めることが好きだった。眺めるだけでは済まないことも多々、いや、それがほとんどだったのだが。
 もう一度あの魔物が見れるならば、どんなにか良いことか。一度捕まえれば、二度と逃がしはしないという自信がケフカにはあった。
「ま、しかし猿が潜んで門が開くのを待っているやもしれませんしねェ……」
 セリスを餌に使うくらい、すぐに思いつく話だ。ケフカは、つまらん、と口を歪めた。
「そ、それは誠でございますか!」
 セリスは欲しい。だが猿は要らない。例え傷物だろうと、セリスは欲しい。だがとにかく、猿は要らないのだ。
「なに。確かめるには簡単さ」
 にや、とケフカは口角を徐々に上げる。
「門番に伝えなさい。セリスはその場で、好きにして構いませんよ。気が済んだら中に入れてください。と」


 帝国公使館の門は、洋風の檻のようなものだ。その両側には門番が立ち、門自体の開閉を行う部屋が外から見て左手側に置かれている。
 つまり門番二人と開閉役一人、合計三人をどうにかしなければ中には入れないのだ。
 セリスはケフカを騙すために、凝った服装や化粧を施して門番に向かって走っていった。
 こちらはそれを近くの建物の影から見て、合図があれば一斉に飛び出すことになっている。
「……そんな簡単にいくだろうか」
 マッシュは、気が気ではなかった。悪名高いケフカがそんな容易に騙せるものなのかと。
 しかし、わずかでも共に暮らしていたセリスだからこそわかることもあるだろう。
「心配なのかい?」
 ゲンゾウの言葉に、マッシュは小さく頷いた。
「だってさ、あのケフカ相手だぜ。素人の三文芝居でどうにかなんのかよ?」
「さぁ……三文で買えるかな、あの人の芝居は」
 確かに、遠巻きながらセリスの演技はなかなかのものだった。すがりつかれた門番は困った顔で、もう片方の門番を公使館の中へ促していた。どうやら、懇願自体はケフカに届きそうだ。
 しかし、しばらくして門番が帰ってくると、事態は変わった。
 門番たちは二人がかりでセリスを捕まえ、引きずるようにして門の中へ入っていく。
「おい、やばくないかあれ!」
 飛び出しそうになるゲンゾウを止めたのは、師匠だった。
「まだじゃ。セリスの合図は出ていない」
 その間にも、セリスは門の奥、開閉レバーのある小屋に連れられてゆく。部屋の中にはもう一人いるのだ。三人の男を相手に戦えるのか。マッシュは小さな声で、しかし叫んだ。
「師匠!!」
「……まだじゃ。セリスには策があるのやもしれん」
「このままではあの部屋の中でなにをされるか……セリスが危険すぎます!」
「危険は承知の上で、彼女はここに来ている。おまえはその意志を汲んでやらないのかね?」
「……しかし!!」
 握り拳を震わせて、マッシュは歯を食い縛る。今飛び出して、逆に彼女を危険に晒すはめにならないとも言い切れないのは確かだ。
 そうこう考えているうちに、セリスを内に入れるためにわずかに開かれた門は閉じられてしまった。
 八方塞がりだ。たった一つ空いているのは、セリスの道だけ。


 とても長い時間、待っていたような気がする。
 セリスがひょこりと門から顔を出したのを確認した、その瞬間の安堵感は、計り知れなかった。
「はやく、こっちへ。門番三人は今眠ってるから」
 セリスは門をまたわずかに開け、外で待っていた僧たちを呼び込む。なんてことはなかった風なその様子に、マッシュは慌てて駆け寄った。
「平気だったのか!? なにも変なことされなかったか?」
「三人くらい、余裕よ。全員返り討ちにしてあげたわ」
 にこ、と笑う彼女は相変わらず美しく、目眩すらしてしまいそうだった。
「それで、二人ほど頼みたいことがあるの」
 セリスは言うなり、開閉小屋に向かって指をさす。
「あそこで眠ってる門番から服を奪って、それを着て私をケフカのところまで連行して欲しい」
「顔とか背丈でばれないか?」
「大丈夫。ケフカは使用人の顔なんて見てないのよ」
 人だとも思ってないから、とセリスは続けた。なるほどと納得してしまうのは、それだけケフカが壊れているとわかっているからだ。
「ただし、私に手加減はしないで。多分そうするように命令されているはずだから」
「わかった」
 セリスは目付きを鋭くさせて、館を見上げる。
「……首を洗って待ってなさい、ケフカ」


 この館の使用人は、そのほとんどが世話係だった。もちろん買った恨みはたくさんあるから、世界的に名のある傭兵を雇ったりもしているのだが、なにぶん嫌いな者はすぐにクビにしてしまうようで、その数は多くないのだという。
 とはいえ、要所に一流の傭兵が待ち構えているというのだから、その堅牢さは並みではなかった。
「一流の傭兵なんて聞こえはいいけどね、要は一匹狼なだけよ。門番や私に話しかけてなんてこないから、堂々と通りすぎて」
 女というのは、土壇場に強い生き物らしい。セリスはなんてことなく言い放ったが、むしろ門番役のこちらの方が緊張してしまう。
(手首、痛くないか)
 言われるままに強く掴んだままの細い手首を心配し、こそりと耳打ちしても、セリスは答えなかった。
 見かけでは門番役のこちらがセリスを引っ張り歩いているのだが、中の構造はセリスしかわからないため、実際はセリスに引っ張ってもらっている状態だった。武器を携えた傭兵の横を通り抜ける度に、見抜かれはしないかとひやひやしていたが、セリスの言っていた通り、彼らはこちらに見向きもしなかった。
 結局、大した騒ぎにもならずにケフカの私室前までたどり着くことに成功したのだった。
 セリスを右から押さえるフリをしているゲンゾウは、大きな扉を叩いてケフカを呼ぶ。
「ケフカ、様! セリス様をお連れしました」
 入れ、という不機嫌そうな声は確かにケフカのものだ。三人は一度目を合わせ、小さく頷き合った。
 そして、マッシュはゆっくりと扉を開け放つ。
 豪奢な室内で、ケフカは使用人たちに囲まれて着替えていた。爪先まで手入れをさせているのには、何も言えなくなる。
 ケフカはセリスの姿を認めるなり、ぴくりと細眉を動かした。それを見て、マッシュは一人深呼吸する。
(……さあて、お仕置きタイムだ)

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