マシュセリ

Hope is

 りーりー、と虫が草むらで鳴いていた。
 薄暗い森の中、目には見えない結界の張られた場所で、いつの間にか自分が眠っていたことに気がついて、片膝を立てて座りながらマッシュは繕うようにがしがしと前髪をかいた。
 たき火の様子から、眠っていた時間はほんのわずかであるとわかり、やや安堵する。汗ばんだ首もとを押さえ、マッシュは深くため息をついた。
 それから、ちらと隣を窺うと、唯一の旅の仲間であるセリスは静かに寝ていた。
 少しずれた毛布を肩までかけ直してやって、マッシュは薄く笑う。
なんてあどけない寝顔だろう。まだ二十歳にもならない娘なのだ、と今さらながらに感じた。
 その頭をそっと撫でてから、マッシュはまたため息をつく。

 やけに鮮明に、夢を見た。もう十年以上昔のことなのに。
 父親が亡くなる日と、その葬式。
 まるで子どもみたいに、わんわん泣いた。悲しくて悲しくて、憎くて憎くて。溢れる感情はすべて涙に変わったあの頃。
 守りたいものがあるのに、その為の力が自分にはなくて。もどかしくて、ついには城を飛び出した。
 それは果たして正しかったのか、今さら悩むつもりは毛頭ないのに。
 何故、夢に見てしまったのだろう。弱い自分が嫌で、心も体も鍛えたはずなのに。
 まだ足りないのか。マッシュは無意識に唇を噛んでいた。
 真っ暗な夜空を見上げれば、自分の存在がひどく矮小に思えた。
 努力すればすべては叶うと、今まで信じてきた。それを疑う日が来るとは思いもしなかった。それを今、無邪気に信じられることはひどく難しいと言わざるを得なかった。
 本当に努力ですべてが解決するのか?こんなどうしようもない世界のなかで?
 そう疑い出した心は、止まることを知らない。だが辛うじてその均衡を保てているのは、恐らく。

 共に旅をしてくれている、セリスという存在。守らなくてはと、思う。疑心を持つ前に、ただそう思った。
 他者の存在が、自己を保つ。そういう状況はひどくイレギュラーなことで、気付いた当初は戸惑いばかり浮かんだが。

「私、マッシュの足手まといにはなりたくないの」
 いつだったか、強い意志を持ってセリスはそう呟いた。
「なに言ってんだよ、セリスだってよっぽど強いじゃねえか」
 茶化して答えると、セリスは見上げたまま薄く笑った。
「頼りっぱなしは性に合わないのよ」
「気にすんなよ。任せとけって。な」
 本当は逆かもしれないと思っていても、言えるわけがなかった。セリスがいるから俺は信じることが出来た、と。

(求める者は、与えられる……か)
 ありきたりな言葉だが、それすらも信じられなくなっていた。一年の孤独な旅の中で、ようやく見つけた希望。それが、セリスだった。
 血で霞んでいた視界に、鮮やかに浮かぶ美しい金の髪。今はすぐそこにあるそれを、マッシュは軽く指先に絡めてみる。
 放したくない、と思う自分は、罪だろうか。
「……俺のものじゃないしな」
 彼女は自分にとっての希望だ。だが、それと同時に彼女は世界の希望ですらある。
 腕の中で大切にしておきたいのに、それは何よりもしてはいけないことで。
こんな。こんなにも。

「……ん……」
 もぞ、とセリスが僅かに身動ぐ。
 首だけを動かして、セリスはこちらを見上げた。碧の双瞳に映る火は、本物より綺麗に見える。
「……まだ、起きてるの……?」
「ん、ちょっと目が覚めちまってな」
 気にするな、という風に頭を撫でてやると、セリスは微笑んでその手に自らの手を伸ばした。
「どーした?」
 ひやりとした彼女の指先に触れた瞬間、あからさまに跳ねた心臓に苦笑しつつマッシュは問う。
「強張ってる」
「うん?」
「……何か嫌なことでも考えてた?」
 え、とセリスを見下ろすと、真っ直ぐに目が合った。
「そんなことないよ。心配するなって」
「バカね。心配しないわけないでしょ」
 言葉がうまく返せなくて、マッシュは黙りこくる。
 その間に、セリスはおもむろに上体を起こした。
「まだ夜中だぞ?セリスまで起きなくていい」
「それは私が決めること」
 言い聞かせるように、セリスは穏やかに返す。そっと、当然のように肩が触れ合った。
「……セリス、その……」
 あまり近づかないでくれ、とも言えず、高鳴る動悸が彼女に届いていないことを祈るしかない。
 ふふ、とセリスが嬉しそうに笑うので、マッシュは驚いて彼女を窺った。
「な、なんだよ?」
「いいえ。ちょっと……思い付いたから」
「?なにを?」
「貴方にピッタリの言葉」
「……俺に?」
 チラとこちらを見上げ、セリスは笑う。
 この笑顔はまさしく自分だけのものだと思えて、そう考えてしまう自分が可笑しかった。
「貴方は、希望なの」
 きぼう、とオウムのように繰り返し、マッシュはじっとセリスを見つめる。
「大げさだと思うかもしれないけどね、マッシュと再会した時、私は本当にそう思ったのよ。もう世界は駄目かもしれないって思いそうな時に、貴方がいてくれたから……私は真っ直ぐに立てるの」
「だから、希望……か」
 ああ、とマッシュは思った。それは俺も同じだと。
 あそこで死んだっておかしくなかったのに。
 おまえがいたから。身体中のすべてを出し尽くして、おまえが子どもを連れて飛び出すのを待つことが出来た。
「……こんな世界で、貴方は変わらず眩しかった。道標みたいで……あたたかくて」
 セリスは苦笑して、マッシュにもたれる。
「マッシュで、良かった」
 それは、透き通るように純粋な言葉だった。
「……俺もだよ」
 思いがけず胸がいっぱいになってしまって、それが溢れないようにマッシュはわずかな言葉だけを返す。
 震えそうな手で彼女の肩を寄せると、セリスはなすがままに脱力した。
「眠いなら寝てもいいぞ」
「うん……でもマッシュは?眠れそう?」
「ああ。大丈夫」
 もっと強く抱き寄せたい衝動を抑え、マッシュは笑う。
 すべて手に入れたいと思ってしまうのは何故だろうとは、考えるまでもない。
 こんな近くにいるのに。
 こんなにも欲しているのに。
 ずっとこの先もこうしていたいと願っているのに。
 肩にかかる重みが、明らかに増した。セリスが眠ったのだろう。
「……希望……か」
 彼女は、世界の希望だ。そんな彼女の希望となれただけで、俺は。
 果たして満たされたと言い切れるだろうか?
マッシュは独り、首を振る。力任せにかき抱いて、連れ去ってしまいたい。そう思ったのは一度や二度ではない。
 その心が引き裂かれるような痛みに堪えてきた理由は?
 セリスの髪に頭を寄せて、マッシュは目を閉じた。
それは、ただ。このぬくもりを、守りたいからだ。壊してはいけないと、わかっているからだ。
 かつてとは違って、彼女を守れるだけの力がこの手にはある。もう子どものように感情を溢れさせることもない。
 この感情を、言葉で知っているからだ。

(……恋、してるんだよなぁ)

 他人の心は、自分ではどうしようもできない。それはわかっている。
 だが、今まで何かを欲した時、自分は努力でもって事を成してきた。それを変えるつもりはない。
 彼女がこちらを見てくれるように、俺は俺なりのやり方で。

 確かにここに、希望はあるのだから。

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