マシュセリ

お寺に来たキミ


 久しぶりに、故郷の夢を見た。砂ばかりの、乾いた城。そこに咲き誇るのは国民の笑顔だ。
 王子、王子、と人々が手を振る。それが嬉しいだけだったのは、小さなころ。いつからか、苦しいとも思うようになっていた。
 マッシュ、と呼んだのは、懐かしい声。自分とよく似た、兄の声。
「…………ふ……あ」
 目が覚めると、見慣れた天井が目に入った。
 何故か上げていた片手を、行き場もなく振り下ろすと、隣で寝ていたゲンゾウの顔に直撃した。
「いでっ!?」
「あ、悪い」
 十人ほどの住み込みの僧侶たちはみな、大部屋に雑魚寝だ。そこには貴賤は関係ない。それがマッシュには心地よかった。


 着替えて、裏の井戸で顔を洗ってから、マッシュは箒を片手に門前に向かう。日課なのだから、ほぼ無意識の動きだった。
 だが、伸びをしてからさぁやるか、と一歩踏み出れば、門前は綺麗さっぱりとしていて。
「んんっ?」
「あっ、おはよう。マッシュ」
 鈴のような声に横を向けば、マッシュのものと似た服を着たセリスが、箒を両手に笑っていた。
「え、セリスが?」
「昨日、貴方がやっていたから……もしかして、いけなかった?」
「いや、そんなこと……でもまあ、そうだな、なんか変な感じだ」
 手持ちぶさたになってしまい、マッシュは箒を肩に乗せて、快活に笑う。
「さぁて、やることがねぇなぁ。ずいぶん綺麗にしたんだな」
「加減がわからなくて」
 お嬢様育ちが言うと、なかなか説得力がある。マッシュは実感もよく知っていたので、からからと笑ってしまった。
「……世間知らずとバカにした?」
「まさか。昔の自分を見てるようでおかしくてな」
 セリスは首を傾げたが、気にするなとその手から箒を奪い、先に境内に入っていく。
「こいつは俺が片しておくよ。先に食堂に行っていいぜ」
 あ、ありがとう、とセリスは戸惑いながらも食堂に向かって歩いていった。


 駆け込みさえなければ、寺での時間はゆったりと流れる。昼は修行に勤しみ、己を鍛えるのだ。
 今日は写経として、古書の名言を筆で書き写すことにした。
(君主危うきに近寄らず……確かにな)
 危険なものにわざわざ近づくな、ということだ。だが、それは君主だからだろうなとマッシュは思う。
 君主は、責任があるのだ。だから無闇に危険に近寄ってはならぬと。
(俺は君主じゃねえからな。ま、冒険くらいなら許されるだろ)
 つらつらと書を記しながら、マッシュはセリスのことを考えていた。
(……あいつを助けてやるには、やっぱ戦うしかねえだろうし)
 軽い気持ちで手を出していい案件でないことは、この寺の者はみなわかっていた。だが、一度手を差し伸べた相手を突き飛ばせるほど、僧侶たちの心は冷酷にはなれない。
 しかし、今回は敵がよくない。なんといっても、ドマ人の男ではないのだから。
 はあ、とマッシュはため息をついて、筆を止めた。
「どうした、マッシュ」
「あ、いえ」
 師匠に見咎められて、マッシュは姿勢を正す。
「心の迷いは書に表れる。己が書いたものをよく見つめてみなさい」
「はい。……」
 うげ、とマッシュは思わず顔をひくつかせた。


 なんだか散々な一日だな、とマッシュは夕方近くなる空を眺めながら考えた。
 門前を通る町民たちはみな、帰る道を急いでいる。その表情は嬉々としていて、見ているこちらもなんだか胸があたたかくなってしまう。
「……マッシュ!」
 ぱたぱたと走る音に、マッシュは振り向いた。
「おお、セリスか」
「ここにいるだろうって、ゲンゾウさんが教えてくれたの」
「そっか」
 セリスは横に並び、マッシュと同じ景色を眺める。
「……みんな、家に帰るのね」
「そうだな」
「みんな、顔がきらきらしてる……」
「うん」
 ふと彼女を窺うと、困ったような顔をして笑っていた。
「どうかしたか?」
「……ううん」
「けど、寂しそうだ」
「うん……」
 うらやましいのかもしれない、とセリスは呟いた。
「……でも、決めた」
 髪を耳にかけて、セリスはこちらを見上げる。
「私……カイエンさんに協力します」
「いいのか?」
「もう帝国にはどのみち戻れないから……いいの。もう決めた」
 マッシュはセリスの頭に手を乗せて、わしわしと撫でてやった。
 国を捨てるその決断が、どれほどつらいかを知っていたからこそ、そうやって慰めてやるしかなかった。
「マッシュ……ありがとう、ね」
「気にすんな」
 セリスは、にこりと笑って頷いた。
 ああ、綺麗な女だ。マッシュはしみじみとそう思った。
 ぽんぽんと頭を叩き、寺の中に帰ろうと先に踵を返して歩き出したのは、そう思ったことを悟られたくなかったからだ。
 だが、ぐいと袖を引っ張られて、マッシュはつんのめった。
「セリス?」
 振り向くと、セリスは固まったように門前通りの最果てを見つめている。
「どうし……た……?」
 マッシュの言葉も、その近付くものに気付いた瞬間、濁ってしまった。
「……あれは……」
「…………ケフカの、馬車……」
 袖を掴むセリスの手は、震えていた。
「セリス、おまえは早く中へ行け!」
 腕を掴み、マッシュは突き飛ばさん勢いでセリスを寺に向かって押し出す。
 だがセリスはすっかり怯え、動けそうになかった。
「……あ……ごめ、ごめんなさ……」
 腰に力が入らないようで、セリスはその場にうずくまってしまう。
 だがあれだけの痣をつけられて、トラウマにならない方がどうかしている。
 マッシュは多少手荒に、セリスを抱き上げた。
「すまんっ、少しじっとしてろよ!」
 途端、セリスは暴れるでもなく、マッシュにしがみついてくる。
「頼む!! 誰か門を閉めてくれ!!」
「なんだ? なにがあった?」
「ゲンゾウ!! ケフカの野郎が来た!!」
「なんだと!?」
 寺の廊下から裸足で飛び出してきたゲンゾウは、しかし間に合わなかった。
 ケフカは門前で止まることもなく、境内にまで馬車で突っ込んできたのだった。
 門の、馬車に当たった部分は、木っ端となって辺りに散らばった。
「なんて野郎だ!! 信じられねえ!」
 ゲンゾウの罵詈雑言が飛び交うが、マッシュはとにかくセリスを抱いたまま奥の間へと急ごうとした。
「待ちなさい、そこの異国の男」
 腕の中で、セリスが一際怯える。この嫌に高い声こそ、ケフカの声なのだろう。
 マッシュは一瞬、進退を迷った。
「ひとの妻を奪うとは許せませんねェ」
 御者の手により、がちゃりと馬車の扉が開かれる。ケフカの姿を、セリスに見せてはいけない。咄嗟にマッシュは、強くセリスの頭を胸板に押し付けた。
「……体が痣だらけになるようなひどい仕打ちをしておきながら、夫面するのはよしてくれよな」
「それは誤解です。セリスが私の言うことを聞かないから、多少お仕置きしただけのこと……」
 ケフカは、華奢な男だった。だが恐らくはマッシュよりも年上だろう。
「仕置きだと? セリスは犬や猫じゃねえ!」
 くす、とケフカは歪んだ笑みを浮かべる。
「そんなことは承知していますよ。……さあ、私の元へ帰ってきなさい」
 ケフカは馬車の上から、細い手をこちらへ向けた。

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