セツセリ

あなたは天使を信じますか?

 上空には、雲がある。そして雲海の更に上にあるのが天上だ。天使たちは基本的に天上を離れない。多くの天使は、魂が身体から抜き出る時だけ、地上に下りている。
 例外として、黒翼の天使たちは隙有らば地上に行く。生まれつき彼らは好奇心旺盛だかららしいが、セリスにはよくわからなかった。
 だが、セッツァーがよく地上の物を持ち帰ってきたりしているのはそういう理由があるのではとは思っていた。
 雲の隙間から地上を窺いながら、セリスはぽつりと呟く。
「……変、よね」
「あぁ?」
 何気なく傍に座っていたセッツァーが、黒い翼をわずかに開かせる。
「俺の話か?」
「あ、そうじゃないんだけど。……どうして私たちは翼の色が違うと感受性も異なるのかしら、って」
 セッツァーは口をへの字に曲げて、肩をすくめた。
「さぁな。人間にだって色の違いはあるし、そんなもんなんじゃねぇのか」
「でも、そもそも私たち天使は人間みたいな喜怒哀楽が薄いんでしょ?なんだか……」
「違う種類の生き物みたい、か?」
 え、とセリスは固まる。こんなに見た目や構造が似ているのに、違う生き物だとは思えないのだが。
「俺たちは翼がある以外の見た目は人間と同じだ。もしかしたら、俺みてぇな黒いのは、人間に近いのかもしれねぇな」
「……人間に」
 セリスは、愛や善の感情を理解することはできる。だが、それを自ら発することはできなかった。いつ、何に対して、どうしたら表せるのか、微塵もわからないのだ。
 だから人間とは決定的に違うのではという自覚、或いは自負があった。
「それって、良いことなのかしら」
「さぁ、わからねぇな。ただ……」
 くっ、とセッツァーは笑って、自らの胸部を叩いた。
「俺は感謝してるぜ、自分のココにな」
 しかし、セリスは首を傾げそうになってしまった。胸元に何があるのだと。だが、そこはよく人間が苦しそうにする部位だと思い付いた。そうだ、そこには確か心があるのだと。
「……羨ましいわ、貴方の黒い翼」
「俺はアンタのその綺麗な白翼が羨ましいけどな」
 そうしてこちらを見つめるセッツァーの紫の目には、人間のような輝きが灯っていて、セリスは困惑する以上に、やはり彼らは人間に親い存在のような気がして仕方なかった。
「ねぇ、そういえば……」
「なんだよ」
「人間は子どもから大人に成長するけど、私たちにはそういうの、ないわよね」
「ねぇな」
 セリスはもとより、セッツァーにも幼少の記憶はない。天使の身体は成長しないのだ。だが、天使長たちには老人の姿をしている者もいる。
「やっぱり、根本的に違うのかしら……」
 ふと、セリスはロックのことを思い出す。不可能と知っていても彼がレイチェルの運命を変えたいと言った時、セリスは歓喜した。ロックは絶望に近い気持ちでレイチェルを助けたいと願っていたのに、セリスは心踊っていたのだ。
 レイチェルを想う、ロックの心。その美しさに、喜んでしまった。
「考えるだけ無駄さ。そろそろ仕事に行こうぜ」
「そうね……帰ってきたら天使長に聞いてみるわ」
「天使長?それこそ無駄だぜ。あいつらは答えたりしない」
 セッツァーの失礼な言い方に、セリスは口を歪めた。
「ちょっと。あいつら、なんて呼ぶなんて失礼すぎるわ」
「なんでだよ?」
「なんでって……だって天使長は偉いから」
「偉い?なにが、どうして?」
 言葉はおちょくるようなものだが、セッツァーの表情は笑ってはいない。
「長として私たちをまとめてくださってるわ」
「まとめるねぇ……別に、あんなやつらいなくても良いんじゃねぇ?毎日会うわけでもねぇし。会えばただ叱責されるだけじゃねぇか」
「叱責なさるのは私たちが不甲斐ないからよ」
「アンタは頭が固いな」
 はぁ?とセリスはあからさまに眉を寄せる。
「アンタ、自分の世界だけが世界の全てだと思ってないか?」
「……言っている意味がわからないわ」
「天使長は本当に天使の長か?天使は誰がつくったのか?天使と人間は違うのか?……考えてもみろ、当然疑問になるはずのこれらを、誰か他の天使が疑問に思っているのを聞いたことがあるか?」
 馬鹿馬鹿しい、という風な口振りだったが、セッツァーは口元を愉快そうに歪めていた。
 天使長は本当に天使の長か、天使は誰がつくったのか、とセリスはぶつけられた言葉を注意深く反芻する。
「……貴方以外には、誰も。そして……貴方から聞かされなければ、私も微塵も考えなかった……」
 考えなかった、というよりは、考えつきもしなかった。与えられたシステムに疑問など、抱けなかった。
「俺たちの存在はあまりに変なんだよ。どう考えても」
「……変、だわ」
 気がついてしまえば、むしろこの翼だって違和感しかなかった。何故、鳥のような翼なのだろう。何故、地上には我々のような天使によく似た、天使の絵があるのだろう。
「いいか。帰ってきても天使長には聞くな。……あいつらは恐らく、何か知っていて言わねえんだ」
 セッツァーは目付き悪く、頭上を睨んだ。
 彼は、やはり普通の天使とは違った思考回路なのかもしれない。セリスはようやく、セッツァーの持つその不自然さに気がついた。
 
 

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