セツセリ

肝心要の心臓部

 飛空艇ブラックジャックの主セッツァーは、理解するのがひどく難しい男だった。勝負にイカサマをされたと知って気分を良くする人間など、彼くらいかもしれない。そのまま帝国に進路を取ってくれた彼は、その傷だらけの顔こそ少し人相が悪く見えはするが、極悪人では決してないのだろうとセリスは思った。
「身支度は終わったかい?」
 ドレスを脱いで一息つこうとしたところ、扉の向こうからそう言われて、あてがわれた小部屋の中でセリスは小さくため息をついた。
「……女の支度は時間がかかるの」
「手伝いが必要か?やぶさかじゃないぜ」
「生憎、間に合ってるわ」
 適当に応えて、セリスは置かれていたボトルとグラスで水を注ぎ、一口飲む。さすがにいなくなったろうと思い、扉を開けて確認したのは悪手だった。  
「アンタは何を着ても似合うな」
 廊下の壁に背を預けて腕を組み、セッツァーは切れ長の目でセリスを見つめていた。その薄い紫の目は、やはり少し薄情そうに見える。
「何のご用?ギャンブラーさん」
「随分ツレないな。アンタには特別に、俺自ら船を案内してやろうと思っているんだが」
 どうだ、とセッツァーは薄く笑う。その表情からは、裏があるかどうかなど窺い知ることはできなかった。
「……わかった、それじゃあよろしくお願いするわ」
 観念してセリスが答えると、セッツァーは愉快そうに口元を歪めた。

「まず、ここが船長室。俺の部屋だ。……おい、警戒するな。別に入らなくていい」
 セッツァーは顔をしかめてみせて、すぐに船長室の木製の扉を閉めた。扉に掛けられた鈴のようなものが、乱雑に鳴っていた。
「ま、いつでも来れば良い。歓迎する」
「来る用なんて無いと思うけど」
「用がないから来た、でいいじゃねえか」
「……?普通、用がなければ行かないと思うけど……」
 傾げるセリスに、セッツァーは小さくため息をついてみせて、片眉を上げた。
「こりゃあ強敵だ」
 なにが、と問う隙もなく、セッツァーはすぐにくるりと向きを変えて、歩いていってしまう。ひらひらと手で招かれて、セリスは早歩きでそれに着いていった。歩く度、床板がギチギチと悲鳴を上げる。船自体の揺れと相まって、なんとなく不安になってしまう。
「……結構、音が鳴るのね」
「床の話か?まあ木材はどうしてもな。エンジンは文句を言われても仕方ないが……」
 床材自体は綺麗に磨かれており、なめらかで美しい見た目ではあるのだが、如何せん、音だけがおどろおどろしい。だが、古いものもきちんと手入れをして使い続けるような人だとは、少し意外だとセリスは思った。何だかセッツァーを誤解しているような気持ちにもなった。
「ここの上が甲板だ。ま、気分が沈んだりした時は行くといい」
 セッツァーは細い梯子を指差して言う。
「あなたでもそんな時が?」
「……どうだと思う?」
 何気なく発した問いかけだったが、しかしセッツァーの声色は判別しがたい低さがあった。セリスは一瞬、言葉に詰まる。その様をちらりと横目で見て、セッツァーはくつくつと笑った。からかわれたのだと思って、セリスは少し、むっとする。
「ま、とにかく。風はいいぜ、どんな深い傷も慰めてくれる。……どんないい女よりも優しくな」
 またふざけたことを、と言おうとして、しかしセリスは、セッツァーのその遠くを見つめる目に気がついて、何も言えなかった。彼について知らないことが、あまりにも多過ぎる。
「さあ、お次はこの船のメイン。機関室だ」
 セッツァーは訥々とそう言って、重苦しい鉄製の扉の前に立った。その鉄扉を見て、セリスは何かとても、息苦しい気持ちになる。まるでこれから向かう、研究所や工場のような、恐ろしさを感じてしまった。
「……どうした?」
「いえ……なんでもないわ」
 答えると、セッツァーはその扉をゆっくりと押して、入り口を広げていく。ギチギチと鳴る鉄に動悸がして、セリスはわずかに深呼吸した。
「……暑くて油臭いところだからな、あまりお気に召さないか?」
「いえ……ただ、少しうるさくて。落ち着かないかもしれない」
「そうか、残念だな。俺みたいなのは、こういう場所の方が楽しいんだがな……ほら、ああいうドロボーもそうらしい」
 とんとん、と指先で肩を叩かれて、セリスはその指先の方向をつと見る。と、見慣れたバンダナ姿がある。
「ロック?」
「セリス?……なんでそいつと」
 セッツァーを認めた途端、ロックはわかりやすく顔をしかめた。
「入り口には鍵をかけていたはずだが?」
 さあてね、とロックは肩を竦めて、空とぼけてみせている。
「ロック、勝手に入ったら危ないんじゃない?」
「心配いらないさ、俺はこういうことが仕事だからな」
 そう、とセリスは返して、その言葉を反芻した。セッツァーの身辺調査でもしていたのだろうかと。
そんなに調べなくても大丈夫ではないかと思いつつ、それが職務と言われてしまえば止めることはできない。
「では、俺もここでひと仕事するかな。ドロボーさんは出て行ってくれるかい」
 セッツァーはおもむろにその重たそうなコートを脱ぐと、壁の留め具に掛けた。まくった腕にもまた大小の傷があり、セリスは少し驚いてしまった。
 ふん、とロックは気に入らなそうに早足で立ち去っていく。こんなに不機嫌なことを隠さないロックは初めて見るので、セリスはそれにもにわかに驚かされた。
「セリス、行こう」
「えっ?」
「おっと。アンタは俺の手伝いだ、残ってくれ。これもツアーの内でね」
「ツアーだと?」
 異議の声をあげたロックにはセッツァーはなにも返さず、ただセリスの手に大きなスパナを手渡してきただけだった。ずしりとした重みに、何か重大な任務を任されたような気がして、セリスは瞬く。
「……わかった、付き合うわ」
「おい……セリス。そんな奴と二人きりになるのは止めたほうがいい」
「ロック。セッツァーはそんなに悪い人間ではないわ、……多分。心配しなくても大丈夫よ」
「多分?随分な評価だ、ありがたいね」
 くつくつと喉で笑い、セッツァーは愉快そうな笑みを浮かべる。その笑みは、どこかロックやマッシュのそれに似て、屈託のないものに見えた。
「……おい、セリスにヘンなことするなよ」
 ロックはしっかり釘を刺してから、何度も振り向きながら機関室を出て行った。セッツァーへの不信感はどうにも弱まらないらしい。
「小煩いやつだな。あれはアンタの何だ?」
「えっ?……何って、……」
「ああ、答えなくて良い」
 自分から聞いてきたくせに、と思いつつも、セリスはスパナを握り直す。
「それで……私は何をすれば?」
「やる気だな。こっちに来てくれ、……ここのボルトがわかるか?」
 呼ばれるまま近づくと、肩を軽く掴まれる。少しセッツァーに寄り掛かるような体勢になってしまい、身を離そうとしたが、もう片手で対象のボルトを指し示されたことに意識を奪われて、セリスはそのままこくりと頷いた。
「あれが緩んでいないか確認してみてくれ、……回す方向はこっちだ、間違えるなよ。空中分解したいなら止めないが」
 む、とセリスはセッツァーを見返す。
「それくらい私だってわかってるわ」
 小さい反抗にセッツァーは目を丸くして、途端、堪えるように顔を歪めた。
「そうか、悪かった。頼むぜ」
 悪かったなど思ってもないだろうな、となんとなくセリスは察して、少し呆れてしまう。指図通りにボルトの締まり具合を確認してみたが、しっかりと堅いようだ。
「……こういうのは、どれくらいの頻度で確認するの?」
「毎日定時で決まっている。命に関わるからな。あとは、叩いた音でも確かめる」
「叩いた音……?」
「貸してみな」
 手のひらを差し出されて、セリスはそれとセッツァーの顔とを交互に見てから、スパナを返す。音で判別するとはどうやって、と不思議に思っていると、セッツァーがおもむろに、スパナで機器を叩いた。
「えっ?!」
「……俺達はこの反響で判別するんだ。まあ、今は問題なさそうだ」
「こんな騒音だらけのところでわかるの?」
「当たり前だ、と言えなければ一人前とは言えない。アンタも精々、練習しておくことだな」
「別に一人前を目指してはないんだけど……」
「そうか?……ま、アンタにならいつでもここを開けてやるし、俺が部屋にいなければここにいることが多い。いつでも来な、歓迎するぜ」
 スパナを器用に回して、セッツァーはまたそう言って笑む。どこまで本気なのかはやはり判別しがたかったが、ただセリスを待つつもりなのは真意なように思えて、セリスはこくりと頷いた。

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