セツセリ

あなたは天使を信じますか?

「貴方の恋人は、あと七日で亡くなるわ」

 
 俺は、白昼夢を初めて見たのだと思った。本当にいきなりなことで、机に向かって手記を書いていた手を止めて、ただ驚く。
「おまえ誰だよ」
 しかし夢と思えば、冷静になれた。
「天使、が最も適切な名前かしら」
 くす、と女は笑う。女は、浮いていた。というか、飛んでいるのかもしれない。背中に生えた、真っ白な翼で。
「貴方は、彼女の死に立ち会えないことになっている。けれどそのことが、後に大きな災いになるの」
「いきなり何の話を……」
「だから、報せに来たのよ。貴方が彼女の死を看取るように」
「レイチェルは病気でもなんでもねぇ、死ぬわけないだろ」
 天使だかなんだか知らないが、勝手に人の恋人が死ぬなどと連呼されては気分が悪い。
「いいえ」
 ふるふると、天使は金の髪を揺らした。
「レイチェルさんは死ぬ。それが彼女の運命」
「ふざけるな!!」
 がた、と立ち上がり、俺は怒鳴り散らした。
「だからこの七日間は彼女のそばにいた方がいいわ。ロック・コール」
「うるせぇ、消えろ!!」
「……ロック、どうしたの?」
 こんこんとドアをノックされて、俺ははっとして振り向く。
「いや、なんでもない!寝ぼけてただけだよ」
「入っていい?」
 俺は慌てて天使を振り返る。が、部屋には誰もいなかった。やはり夢、だったのだろう。
「ああ、大丈夫だ」
 おどおどしながらも、レイチェルはドアを開けると微笑んだ。両手には菓子と茶の載ったトレイ。
「疲れてる?」
「……かもしれない。心配かけたな」
 天使を見た、なんて言えるわけもなく、疲労から来る幻を見ただけだ。そう言い聞かせた。
「レイチェルは、体調は大丈夫か?」
「え?やぁね、そんなこと聞かなくても見ればわかるじゃない」
 レイチェルはにこにこと笑う。俺はレイチェルの笑顔が好きだった。
 レイチェルはこの町一番の人気者で、明るくてしっかりした娘だ。
 青い髪をふわふわさせて、俺に笑いかけてくれる。こんなに元気なレイチェルが死ぬはずない。
「ロックの記事、早く読みたいなぁ」
「ん、がんばる」
 俺は探検家で、世界の秘境なんかを訪ねては記録を取り、それを記事にする仕事をしている。危険とは常に隣り合わせで、骨折なんて数え切れないほど経験がある。
 その度にレイチェルを怒らせてしまっているが、レイチェルは絶対に俺を止めなかった。
「その仕事が終わったら、ドマに観光しに行こうって約束。覚えてるよね?」
「えっ?」
「え、……ロック?まさか、忘れてたの?」
「……ごめん、忘れて仕事入れちまった!!」
「えぇーっ!?ありえない!」
 途端に顔を真っ赤にして怒り出すレイチェルに、俺は返す言葉もない。
「いや、マジでごめん……」
「ひどいよ!!わたし、楽しみにしてたのに……ばかバカっ!」
 ごめん、と俺はレイチェルの手を掴み、引っ張った。そのままレイチェルは俺を抱きしめる。
 俺もレイチェルを抱き返して、背中を撫でた。
「すぐに仕事終わらせて、絶対旅行には行くから。な?」
「……わかった。絶対なんだからね!」
 俺の失態に対して寛容だし、たまに強気なところも好きだ。もっと探検家としての名が馳せたら、レイチェルにプロポーズする。俺はずっとそう考えていた。
「じゃ、がんばって。わたし、買い物に行ってくるね」
「ああ、気をつけてな」
 ぱたぱたと手を振るレイチェルに、手を振り返して、俺はひとり微笑む。
 
「……かわいらしい人ね。あと七日間だけの生だなんて悲しいわ」
「またおまえか」
 俺はもう幻の声に耳を傾ける気もなかった。また机に向かい合って、記事をつくる。
「その仕事が終わったら、ドマ観光に行く。……これは果たされなかった約束だったわ」
「消えろ」
「そして貴方はそれを朽ちる時まで後悔する」
「黙れよ!!」
 だん、と机を叩いたことで、机上のインクボトルがぐわんと揺れた。
 天使は、俺を見ていた。
「ドマに行ってあげて。貴方と……彼女の最期の思い出に」
「幻のくせに俺に指図するな!」
 天使の碧い目が、悲しそうに細められる。
「私は幻じゃない。お願いだから、レイチェルさんのそばから離れないで」
 俺は、まじまじと天使を見た。やわらかそうなブロンドの髪に、碧眼の天使。天使と言うわりには服装はローブでもなんでもない、普通のものだ。むしろ女のくせにズボンを履いている。
 町の女たちもレイチェルも、上下がくっついたワンピースみたいなロングスカートしか履かないから、そういう女はひどく新鮮に見えた。
「……次の仕事は大事なんだ。急にキャンセルなんてできねえよ」
「レイチェルさんと仕事、天秤にかけられる?」
 かけられるわけがない。断然レイチェルが大切だ。俺は即座に答えた。
「だが、おまえが幻じゃなくて、嘘も言っていないという証がなきゃ、話にならない」
「私が本当に天使かどうか?……そうね、じゃあこれを」
 天使はおもむろに、自らの翼に手を伸ばす。そしてそこから一枚、羽をちぎった。
「貴方に」
「……天使の羽?これが何の証拠に……」
「その裏に、私の個体名が浮き出るわ。その羽は、幻ではないからずっと貴方の手元に残り続けるの」
「……ふぅん。天使なりの署名ってわけか」
 俺は羽を裏返す。そこには美しい字体でセリスと書かれていた。
「私自身も見えずとも貴方たちを見守っているわ」
「それが天使の仕事?」
「まあ、そうね」
 天使はにこりと微笑む。まるで絵画中の女神のように美しい天使だった。
「!……おまえ、翼から血が出てるぞ!」
「大丈夫。……これで信じてくれた?」
「わかったよ、信じる。おまえが天使だ、ってことはな。だが」
 俺は羽を持っていない方の手をぎゅうと握りしめた。
「レイチェルは死なない。俺が助ける」
「……運命に逆らうというの?」
「ああ」
 天使は数度瞬き、翼をはためかせる。
「人間の愛は、美しいわね」
「はぁ?」
「私たち天使にとっては、それがなによりも尊い輝きなの。だから守らなくてはならない」
「……変な生態してんだな、天使って」
 呆れて言うと、天使はくすりと笑った。
「人間の方がよっぽどね」
 そして、天使は消えてしまった。
 
 

コメント

タイトルとURLをコピーしました