セツセリ

夢をもう一度

 世界で一番近くで星を見る女になる、と豪語していたお前は、約束を果たすことなくどこかへ消えてしまった。あれだけ力強く輝いては俺を惹き付けていたお前は、振り返ることもなく俺を置き去りにして、一人で先に行ってしまった。残されたのは壊れたお前の愛機と、俺だけ。あれだけ輝いていたお前は、ほんの少しの名残も残さずに消え去ってしまった。
 それから、俺は何かを求めて飛ぶことをやめた。

 オペラ女優のマリアはスポットライトを浴びて輝いていた。綺麗な女は好きだ。ちょいとさらって、俺のものにしたら少しは愉快になるだろうか。そんな軽い気持ちでオペラ座に飛空艇を止めたせいでこんな大事に巻き込まれるとは、我ながらなかなかの運だろう。

「帝国を倒すためにこの船を……貴方の力を貸して、セッツァー」

 マリアと思って船に連れ込んだ女は、追い詰められたような瞳でそう懇願した。切羽詰まった遊び心のない女に興味はない、と切り捨てようと思ったが、聞けば反帝国組織のリターナーはフィガロ王族も加わっているらしい。カネになる、かもしれない。帝国相手にギャンブルをするリスクも、俺の心をわずかにも躍らせた。

「ふうん……」

 マリアの代役を務めた女を、じっくりと眺める。金の髪と青い目はなるほど、マリアと同じだ。だが、その目の奥。
 何か光ったような、いや気のせいだろう。それにしても、よくよく見ればマリアと同等か、それ以上の美人ではあった。

「決めた。アンタが俺の女になる。それなら船を貸してやってもいいぜ」

 つ、と顎に手を伸ばし、その先に触れる。女は仰け反ろうという素振りをわずかに見せたが、拒むことはしなかった。そのまま顎を捕らえ、ぐいと顔を寄せると、女の目が不快そうにひそめられて、思わず喉が鳴った。この顔も、いずれ快楽に落ちて緩んでいくわけだ。

「……いいわ」

 女は、顎を掴まれたままで、こくりと頷いた。ヒュウと俺が口笛を吹いたのと同時に、外野のバンダナたちがそれはダメだと騒ぎ出す。

「セリス!!こんなやつの女になんてなったら、……!!」
「うるせえな。ヤロウは黙ってろ」

 オペラのために濃く施された化粧が、セリスと呼ばれた女の唇をより魅力的に見せていた。顎を引き、このまま奪ってやったらそれでとりあえず前払いとしよう。

「ねえギャンブラーさん」

 とん、と唇に女の指が当たった。

「これで決めない?表が出たら私の勝ち、貴方の船をもらう。裏が出たら貴方の勝ち、私は貴方の女になる。……どう?」

 思えば、と、飛空艇の甲板で、俺は深く息をついた。手摺に凭れて、遠く景色を見つめる。夕日に染まるこの世界は、日毎終わりに一歩ずつ近付いている。

(思えば、俺はずっと…… )
 
 ブラックジャックという翼をもがれ、空を駆けることすらできなくなって、俺は情けなく酒に溺れた。帝国だの、リターナーだの、ギャンブルだの。もう何もかも、何にもならない。生きることに必死にならねばならないこの世界で、面白おかしく生きていくなんてことは誰にもできやしなかった。
 全てが、消え去ってしまったのだと思った。アイツと同じように、もう手に入らない、永遠の離別だと、そう思っていた。

「セッツァー……!!無事、だったの……!!」

 俺を見つけたのは、セリスだった。世界がこうなる前から変わらない、艶めいた金の髪。追い詰められたような青の目。繊細なような、それでいて時々突拍子もなく啖呵を切る、不思議な女。似ていない。どこも、アイツとは似ていない。

「放っておいてくれ。俺は、もう飛べない。こんな世界じゃ、俺にはもうなにも……夢もなにもありはしない」

 白磁の肌と絹糸のような髪をたたえながらも、こう見えて図太いところのある女だ、また飛空艇を俺から用立てたかったのだろう。まさかブラックジャック号があの日大破したことを忘れてはいないだろうな、と俺はついと冷えた視線を送った。セリスはそれを真っ直ぐ見返し、ぽんと肩に手を置いた。そして確かな声色で、言い放った。

「違うわ、セッツァー。……こんな世界だからこそもう一度、夢を追わなければならないんじゃないかしら?」
「もう一度、か……」

 ふ、と思わず笑ってしまった。砕けた俺の夢を知りもしないというのに。

「セリス」

 キュ、と酒場の安い椅子が音を立てる。くるりと体を回し、俺は真っ正面からセリスを見つめた。

「アンタの描く夢はなんだ」
「私の?」
「そこまで言うならあるんだろう。アンタには、追いかけられる夢が」

 夢は所詮夢、叶わぬものを追うのはむなしく、つらい。俺は山に大破して散らばったアイツの愛機を見たときから、夢を追うことをやめてしまった。叶わぬ夢は、現実を苦いものにさせる。

「私の夢は、……」

 セリスは自身の胸の膨らみにぽすりと手を乗せ、ゆっくりとまばたきしながら答えた。

「世界を、……美しかった世界を、ケフカから取り戻すこと」

 そう言うセリスの目には、迷いはおろか怯えさえもなにもありはしなかった。ただ純粋に、先だけを見つめている、そんな目だった。一年前、初めて見たこの目の奥に、ほんの少し見えていたもの。それをこんなにも大きくさせて、俺の目の前に立つこの女。

「そうか」

 夢を追うことをやめたのは、ひとつの夢が壊れたからだった。もう決して、アイツを追い越したいという夢は叶わない。

「……付き合ってくれるか。俺の夢に……」

 だが生きている限り。夢はもう一度、何度だって、描き続けられるのではないかと。
 嬉しそうに頷いたセリスの瞳に、俺はそう教えられた気がした。

(そう。ずっとだ。俺は求めていた。……あの輝きを)

 迷うことなく、夢に向かってゆく瞳の輝き。あの日、俺がアイツとともに見失ったもの。いや、見失ったと思っていたもの。

(確かに、お前を見失いはした。だが、……俺の中から無くなったわけじゃねえ)

 生きている限り。何度でも。新しい夢を追えばいい。

「そうだろう?……ダリル」

 答えはない。はずだった。

「セッツァー」
「!……セリス」

 ひょこ、と甲板に現れたセリスは、風にあおられた髪を片手で押さえながらこちらへ歩み寄ってきた。

「俺に何か用か?」
「ふふ、いいえ」

 くす、と青の瞳が細められる。夕日がその頬の赤みを濃くさせていた。薄桃の唇がふわりと開かれる。

「ただ、珍しく貴方が物思いに耽ってるようなのが見えたから」
「茶化してやろうかと?」
「もう、……違うわ」

 セリスは俺の隣に並ぶと、髪を耳にかけてからこちらを見た。

「……何か心配ごとでもあるのかと思ったの」
「……。この俺にか」
「セッツァーでも悩みくらいあるでしょう。この船のことみたく、気まぐれにでも話してくれたら気分も変わるかしら、って……」
「……ファルコンのことは、アンタに知ってもらいたくて話した。気まぐれじゃあねえよ」

 そう、とセリスは苦笑して視線を床に落とす。風にたなびくその金糸は夕日を反射させ、美しく輝いていた。思わず、手が伸びてしまうのも仕方がない。しゅるりと指先に、セリスの髪を巻き付ける。それに気づいたセリスがこちらを見上げた瞬間、ずいと顔を近づけてやった。

「!あ、……」

 突然のことに、セリスは青い目を見開いて硬直する。いつかみたく、仰け反るかもと思ったのだが。

「逃げなくていいのか?」

 その距離のまま、わざと尋ねてみる。

「……そう、ね」
「この唇を奪うのも、俺の夢なんだが……」

 付き合ってくれるかい、と続ければ、しかしセリスはそのまま動かなかった。冗談、とか、バカじゃないの、とか、言葉なり鉄拳なり飛んでくると思っていたのに。

「?どうした」
「……いい、わよ」
「あ?なにがだ」
「貴方の夢。付き合ってあげても」

 は、と言葉をなくしたのは俺の方だった。セリスの表情は冗談にはとても見えない。かといって、ここで問うのは野暮男のやることだ。そうか、とだけ返し、薄桃の唇に己のそれを合わせた。細い腰をぐいと抱き寄せてやると、堂々とした立ち方のわりにセリスの身体が固くなっていることに気づく。

「くち、……開けろ」
「えっ、ぁ、」

 もう片手で、ぐいと後頭部を押さえる。手触りの良い金糸が、しゅるりと指からこぼれては風に舞った。

「……はっ、……かわいい奴」

 いくら強くとも、そこは俺には敵わない。セリスは白い頬を真っ赤にさせ、こちらを見つめている。

「今はアンタの夢に付き合ってやる。それが終わったら、……約束を果たしてもらおうか?」

 くす、とセリスは赤い顔のまま、仕方なさそうに笑った。あのコイントス、その時はイカサマと呼んだが。イカサマにしてはなかなかフェアな結果ではないか。くつくつと意地悪く喉を鳴らすと、胸元をつんとつつかれる。

「貴方の夢の続きを、隣で見せてもらいましょうか」
「特等席を用意してやる。期待してな」

 こくりと頷いたセリスを思いきり腕に閉じ込めて、俺は遠くの空を見つめた。この世界、まだ捨てたものではないだろう。だが誰もが賭けるには厳しすぎる状態で、この女は真っ先に自らをベットした。
 その豪胆さはアイツと似ている、かもしれない。だが、セリスは一人ではない。この俺も。
 甲板の上を、するりと風が凪いでいった。夕日の眩しさに目を細めながら、俺はようやく、まだ見ぬ明日を、真っ直ぐに見つめた。

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