セツセリ

舟と風と

 草の香りを孕む風が、通り過ぎた。否、その風の中をこちらが切るように進んでいるのだ。
 世界破壊の象徴であった醜い塔は崩れ去り、人々は希望を取り戻した。
 破壊神との死闘を制し、皮肉屋の主が操るこのファルコン号へと再び帰ってきて。そしてまた、ファルコン号は仲間たちを故郷へと送ってゆく。
セリスは甲板の欄干に両肘をかけたまま、変わり行く景色をぼんやりと眺めていた。

 ようやく、帝国の影が世界から消えた。これからの世界は、支配や独占から解き放たれた自由なものとなるのだろう。
それが嬉しくないはずはなかった。

「セリス」
 高い足音が、板張りの床に響く。
「次、サマサに着いたらそれが最後だ」
 横柄な言い方だが、それが何より彼らしい。セリスは振り返ることなく、風に揺れる髪を払った。
「……まだ、決まってない。ごめんなさい」
「そうか」
 足音はずかずかとこちらへ歩み寄る。真隣まで来て同じような姿勢を取った彼に、セリスは唇を歪めた。
最終通告のような言葉を口にしたくせに、決して急かしはしないその態度が、悔しかった。
「操縦は?」
「心配せんでも自動にしてきてあるさ。風が穏やかになったのがわからないか?なにも俺が付きっきりでやる必要はない」
「……そう」
 正直、風の気質などまったくわからない。こればかりは、魔力のなくなった今では、知ろうとしても掴めぬものなのかもしれない。
 白銀のように光を反射する彼の髪が、視界をちらつく。
 彼が、セッツァーが待っているのは、セリスの行き先、だった。

 瓦礫の塔に赴く直前に、彼は仲間たち全員に「帰る場所」を聞いた。
 勝利の希望とともに答える仲間たちを他所に、セリスはたったひとり、その答えを持ち得ていなかった。
「今はまだ、考えられなくて」
 濁すようにそう言った時、彼はやっぱり深くは問わなかった。今と同じように、そうか、と淡白に返したように思う。
「……私もサマサで下りようかな」
 あそこには、レオの墓がある。シドの遺体は孤島に埋葬してしまったが、あの島では生きていけない。
 レオの墓守でもしながら、ひっそりと暮らしていけたらいいかもしれないな、と、ふと思った。
「アンタの歳で隠居かい」
 くつくつと喉で笑い、セッツァーは踵を鳴らす。
「そりゃもったいねえな。他にはなんも思い付かねえのか?」
「そうね。愉快なことは、なにも、ね」
 セリスは肩をすくめて応えた。世界はもう、戦う力を求めていない。この身からは魔力も消え、残るのは剣の腕だけだ。身寄りもなく、もはや目的もなにもない。
 急に。なにもかも、空っぽになってしまった。生きる意味も、戦う意味も、この身体の力も。すべて、抜け出てしまった。
「強いていえば……雲、かな。……雲になりたい……かも、しれない」
 なんのしがらみもなく、ただ風に流されるまま、浮いていたいと。
 自由に、ではなく。何に縛られることなく、生きているのか死んでいるのかすら曖昧に、希薄に存在していたい。
「雲、ねぇ……」
 しみじみと、セッツァーは呟いた。
「どっちかってーと、アンタは風の方が似合いだと思うがな」
 どこか優しさのこもった口調に、セリスはにわかに視線を彼に向けた。
「雲は、俺のすぐ横にあるもんだ。いや、周り中全部だな。いつも俺と共にあるし、時たま寄り添ってみては雷雲だったりで、まぁ悪かねえが」
 セッツァーは欄干から上体を起こし、セリスの方に体を向けた。菫のような深い紫の目が、こちらを射抜く。
「風は、いたりいなかったり色々だ。俺の背中を押してみたり、妨害したり、季節を見せてくれたりもする。経験で読める時もありゃ、全然違う時もあってな。なかなか飽きないぜ」
「……本当にそれ、雲と風の話?」
「俺にとっちゃ、空も女もおんなじようなもんだ。どっちも気まぐれで、付き合いがいがある方がいい」
「あら。なら、今のこの穏やかな空は、つまらないのかしら」
「ああ。心底つまらん」
 セッツァーはセリスを見つめながら、顔の傷痕を歪めて笑う。それから、不意に真面目な顔を浮かべて問うた。
「……どうだ?」
「どう、って、何が」
 わかっていながら、一度はぐらかしてみる。掴み所なく振る舞ってしまうのは、恐らくは自身の恥ずかしがり屋気質が災いしているのだろうことは自覚していた。だが、それは幸か不幸か、セッツァーの好みでもあるらしい。
「アンタの行き先は、俺の行き先っていうのはどうだ」
 に、と口角だけ上げて、彼は提案した。
「それは、貴方の風になれってことかしら、ギャンブラーさん?」
 いつかしたことのある会話に、思わずセリスは吹き出した。
「そういうことだな」
 至って冷静に返すセッツァーが逆に面白くて、セリスは額をおさえて笑いながらも、会話を続けた。
「……じゃあ、コイントスで決めましょうか?」
「いいぜ。受けて立つ」
「表が出たら、私の勝ち。私は私自身で決めた道を行くわ。裏が出れば貴方の勝ち。私は貴方の風になる。……で、いい?」
「ああ。だが、コインは俺の用意したものを使ってもらうぜ」
「いいわよ」
 どのみち、あのイカサマコインはもうエドガーに返してしまっているので、セリスにイカサマはできなかった。
「トスは、アンタがやるかい?」
「いいえ。お願いするわ」
 ほう、とセッツァーは目を見開いた。
「俺はプロだぜ?コイントスくらい、狙った出目は出せる」
 豪奢なコートの裏側から、まるで最初から仕込んでいたかのように金貨を出して、セッツァーはそれを弄ぶ。小指から、親指まで、指の動きだけで移動させてみせて、彼は自信満々に笑んだ。
「それはイカサマ宣言かしら」
「イカサマもギャンブルのうち、だからな」
「そうね。なら、いいんじゃない」
イカサマしてまで、得たいものがあるならば。それはそれでいいのではないか。
「じゃ、やるぜ」
 セッツァーは慣れた手つきで、握った拳の親指に、コインを乗せる。
「後悔はねえな?」
 瞬きで答えると、彼は勢い良くコインを跳ね飛ばした。
 空に舞う金色を二人、見つめて。
 この男は、この空虚な胸を埋めてくれるのだろうかと自問してみる。
 もう何でもいいからと、適当にセッツァーを選んだわけではない。もしかしたらこの男ならば、と思ったうえで、賭けをしているのだ。
 それは恐らくは、セッツァーも同じだろう。この女なら、面白おかしく過ごせるかもしれないという、賭けだ。

「俺の勝ちだな」
 だから、セッツァーの勝ちはすなわち、セリスの勝ちでもある。
「そうかしら?」
 コイントスの勝敗という、決まりきったものに対して、セリスは敢えてそう返した。
 セッツァーはわずかに眉を上げてから、くは、と笑った。
「さぁて。……風が変わってきた。俺は操舵に戻るとするかな」
「そう。楽しみにしてて」
 皮肉っぽく笑い返すと、彼の言葉通り、一際強い風が吹き始めた。
 セッツァーの経験による勘は、本当に鋭い。
「憎らしいくらい、慣れてるのね」
「俺は風を掴み、世界一速く飛ぶ男さ」
 歩み去りながらクサい台詞を言い捨てても、何故だか似合っているのだから、憎たらしい。
 風にはためく彼のコートを何となしに見つめながら、セリスは思う。

 この賭けは、すでに結果の決まったイカサマなのだろう。
 それでも、凄腕のギャンブラーのイカサマに、挑むのだ。
 なんだか楽しそう、とセリスは他人事のようにくすりと笑った。

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