セツセリ

あなたは天使を信じますか?

 
 と、と着地して、セリスは長い髪をうざったそうに振った。着地とはいえ、足下は雲海である。
「っ……」
 そして片翼に手をやり、その場にしゃがみこむ。天使の羽は、生え変わらない。羽を抜くことは、天使にとっては苦痛をもたらすだけだった。
「やり過ぎじゃねえのか」
 びく、とセリスは硬直する。
「手を貸しすぎるとアンタがつらいだけだぜ」
「……セッツァー」
 いわゆる天使とはいえ、翼の色は白一色ではない。目の前に降り立ち、ゆるゆると翼をたたんだ男は、珍しい黒翼の天使だった。
「貴方こそ、地上の嗜好品を持って帰るのは規則違反なんじゃない?」
「俺のこたぁ良いんだよ」
 ち、とセッツァーは舌打ちしたものの、くわえていた煙草を足下に落とす。
「……あの人間が気になるのか?」
「見ていたのね。……悪趣味」
「ばぁか、他人の恋路に踏み込んで人間の最期を変えようとしてる奴に言われたかねえよ」
「変えなきゃ、後々多くの人の幸せに関わる大事が起きるわ」
「変えちまった未来は、俺たち天使には見えなくなる。そのリスクの方が遥かにデカイだろ」
 セリスは言葉を失う。自分がしていることは、違反ギリギリのことだ。
「あーあ、ひでぇ有り様だな。力任せに羽、抜いたんだろ」
 わずか一枚しか抜いていないというのに、そのわずかな怪我から血が止まっていなかった。
 天使は、自ら傷つけない限り怪我を負うことはない。怪我することを設計上考えられていないのか、血を固める能力がないのだ。
 セッツァーは呆れたように、オレンジのシールを取り出した。
「なに?それ」
「絆創膏さ。少し我慢しな」
「……っ!な、なに?」
「人間が怪我したら、これを使うんだよ。心配すんな、替えはあるから」
 まだ地上の物を持っていたのか、とセリスは睨んだが、助かったことに変わりはない。
「……ありがとう」
「一生モンの傷になるんだからな。二度と羽は抜くなよ」
 セッツァーはがりがりと粗野に銀髪をかく。黒い天使は、大抵が心優しいのだ。セッツァーも口は悪いが例外ではない。
「せっかく綺麗な白翼なんだ、大事にしやがれ」
「ええ。ごめんなさい」
 天使は基本的に、天上に地上の死者の魂を案内することが仕事だ。
 運ばれた魂がその後どうなるかは、天使の知るところではない。しかし、地上の平和に関してはかなりの責がある。死者の魂を安定して案内するために、立て続けに死者が出ないように、残された者への配慮をする義務があるのだ。
 その職務上、限界はあれど天使は未来を知っている。そして、必要とあらば様々な情報を得ることもできた。
 セリスはまだ天使としては若く、天上への案内も年老いた死者の魂の経験しかなかった。
 若い死者の案内はレイチェルが初めてなのだ。それに多少恐れ、不必要なほど情報を集めてしまった。
 その過程で、セリスはロックという男を知った。
 地上に降りても、仕事しか知らないセリスは寄り道をしたことがない。だから、若い人間を深く見つめたこともなかった。
 そんなセリスに、ロックという人間はあまりに眩しすぎた。深くレイチェルを愛し、仕事に熱心に打ち込む、希望に溢れた人間。
 天使にとって、プラスの感情を受けることはなにより心地好い。ロックはその塊のような存在だった。
「セリス」
 ここより更に上、天上への穴に立ち、セッツァーは振り返る。
「行くぞ」
「……ええ」
 差し出された手のひらに己の手を乗せ、セリスは翼に風を孕ませた。

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