セツセリ

あなたは天使を信じますか?

「なるほどな」
 セッツァーは淡々と呟く。レイチェルという娘は、本来ならば強盗に殺害されるはずだった。
 だが、セリスがロックに介入したことで、レイチェルはドマに来ることになった。
 レイチェルがどのように死ぬのか。それは、変わってしまったようだ。
「……これは、やばいかもな」
 セッツァーの言葉は、セリスには届かない。彼女は、赤い池に倒れるレイチェルに寄り添っていた。
レイチェルは、馬車に轢かれそうになった子どもを守るために、自らを犠牲にした。
 ロックの叫び声が辺りに響き渡る。
 セリスは震えながら、レイチェルの魂を身体から抜き取った。
「セリス」
 羽ばたきながら、セッツァーはその場に近づく。そして、驚いた。
 セリスは、泣いていた。
「……大丈夫か?」
 差し出した手は、一際強く握りしめられて。セリスは涙を流す。
 本来の天使であれば、ロックの想いの強さに身が打ち震えるほど歓喜するところなのに。セッツァーは驚愕するしかない。
「泣くな」
 黒翼でセリスを包み、自らの両腕で彼女を抱いて、セッツァーは短く言った。
 この若く白い天使には、あまりに物事が多く起こりすぎた。しかしまあ半分は自分に非があるのだが、とセッツァーは一人苦笑する。
「運びに行けるか?」
 セリスはわずかに、頷いた。
「上等だ」
 地上に残ったのは、男の悲鳴だけだった。
 
 
 天上へと向かう途中で、不意にセリスの羽ばたきが弱まった。
「おい」
 セッツァーは彼女の腕を掴み、引き上げようとする。だが、セリスはそれを拒んだ。
「どうした?」
 泣き腫らした顔を見せたくないらしく、セリスは俯いたまま黙っている。
「……おい、答えろ」
 あくまで口調は優しく、セッツァーは問い詰める。
「…………いま、」
「あ?」
「今、これを戻したら、どうなるの」
 セリスは、レイチェルの魂を大事そうに抱いて、問い返した。
「……知らねぇ」
「生き返る?」
「さぁ。少なくとも、アンタは天使長に裁かれるだろうがな」
「……終わらせられるかな」
「十中八九そうだろうな」
 既に運命をわずかに変えた罪が、彼女にはある。それ以上重ねようものなら、とセッツァーは頷いた。
「その裁きは、すぐ訪れると思う?」
 セリスがなにを考えているのか、セッツァーにはすぐにわかった。何故なら、セッツァーもまた、それを長年考えてきたからだ。
「……堕天する気か?」
 天使の理に背くことを、すなわち堕天と呼ぶ。一度堕ちれば、二度と天使には戻れないと聞く。
 そして、黒翼の天使には極めて堕天が多いのだとも。
「堕天すれば、天使じゃなくなる。なら天使長には裁けないはずだわ」
「言ってることのデカさ、わかってるんだろうな」
 セリスは、セッツァーを見上げた。その目は、今までとは違う。
「堕天をするとどうなるか、俺は知らないぜ」
 堕天した者の行く末は、天使には知らされていないからだ。だからこそセッツァーは堕天を先伸ばしにしてきた。が、それは良くも悪くもな結果になった。
 なまじ人間味のある天使として味気ない天上にいるのは苦痛でしかない。だが、そんな時。
 美しい天使を見つけたのだ。彼女は他の天使と同様、忠実なシステムの下僕だった。
 欲しい。セッツァーはそう思った。

「……それでも。それでも、私は彼女を……レイチェルさんを助けたい」
 違うくせに、とセッツァーは苦笑する。セリス本人にもわからないのだろう。
「あの野郎を、そんなに悲しませたくねえか?」
 敢えて指摘しても、セリスは首を傾げるのみだ。わかる前で、自分にとっては良かったとセッツァーは口を歪める。
「よし、なら急ぐぞ」
「え?」
 セッツァーは、セリスの手を取って地上に急降下する。
「せ、セッツァー!?」
「ふり落とされんなよ、俺の飛行はかなり速いぜ」
「そうじゃなくて、なんで貴方まで……!」
「そりゃ愚問だな」
 最初から、こうなるのを望んでいたのだから。
「惚れた女と堕ちるなんて、最高じゃねえか」
 黒く大きな翼は、楽しそうに風を孕む。
 堕ち行く先は、どこなのか。考えてもわからないのだから、この天使の手だけは離さないで堕ちるしかない。
「精々楽しもうぜ、地獄へのハネムーンってやつをさ」
「地獄じゃなくて、行くのは地上よ!まずはレイチェルさんにこれを戻さなきゃ」
 レイチェルの魂は、まだきらきらと七色に輝いている。大抵は天上に着く頃にはくすんでしまうものだが、もしかしたら、まだ間に合うということなのかもしれない。
「さぁて、裁かれるのが先か、堕ちるのが先か……アンタはどっちに賭ける?」
「あら、それは愚問ね」
 セリスは、にこりと微笑んだ。
 

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