マシュセリ

夏だ!飛空艇だ!幽霊だ!

 時刻は昼過ぎ、まだ夜にはほど遠い頃。
「……ファルコン号に、幽霊が出る!?」
 双子と被ったセリスの叫びに、船の主は関心無さげに頷いた。
「特にエンジンルームにな」
 大したことではない、という風にセッツァーはお気に入りのベロア生地が張られた椅子で寛いでいる。セリスは頭の中を整理できぬまま、余裕すら窺えるセッツァーに詰め寄った。
「な、何を落ち着いてるのよ貴方は!?」
「アンタは何をそんなに慌ててるんだよ」
「何って、だって幽霊がいるんでしょう!?」
「ああ。俺がわかるだけで四人はいるぜ? ガキと、ババアと、なんか黒いやつと、あと若い女だな」
 科学技術が進んだ帝国、しかもその中心である工業都市の首都ベクタで育ってきたセリスにとって、幽霊などという非科学的な存在は、理解の範疇を越えるものだった。
 それをさも存在することが当然であるかのように言ってのけたこの男はなんなのだ、しかもなんか黒いやつとは一体なんなのだ、と半ば怒りにも近しい感情がセリスの胸を支配しかけた時。
 はは、とエドガーが爽やかに笑った。
「そうか、若いレディもいるのか。幽霊でも美女ならば私は大歓迎だな」
「……兄貴の相変わらずの節操のなさにはむしろ安心するぜ」
「そのレディ・ゴーストは主にどちらにおられるのかな?」
 マッシュのぼやきは完全に無視で、勝手に幽霊にあだ名をつけてエドガーが尋ねた。するとセッツァーは無表情のまま、その後ろをゆっくりと指差す。
「そこ」
「……うん?」
「だから、アンタの真後ろだっての」
 え、という呟きが誰のものかはわからなかった。少なくともセッツァーのではない。エドガーがやや青ざめて背後を振り返ったが、そこには誰の目にも明らかに、ただ壁があるだけだ。
「……タチの悪い冗談だな」
 苦笑しながら向き直ったエドガーは、今度は目を丸くさせた。いや、エドガーより目をまん丸くさせていたのは、マッシュだ。
「せ、……セリス?」
 セリスは顔面蒼白になりながら、マッシュの腕に抱きついていた。

「こいつぁ傑作だぜ……くくっ」
 セッツァーのえらく馬鹿にした風な笑い声が船内に響き渡る。
 うるさいわね、という刺々しい制止の声は、しかし威厳がない。先ほどからセリスは、壁から背中を離さないのだった。
「ホントに面白ぇ女だなアンタは」
「こっちは欠片も面白くないわよ!」
「ま、ま、落ち着けって。冗談だよ、冗談。少なくとも六人はいるからな」
「……へ?」
 セリスの表情が固まる。嘘でしょ、と呟く彼女に、セッツァーは無情にも首を横に振った。
「まー仕方ねえだろ? 幽霊の一人や二人ぐらいよ。この船は随分と長い間、あの墓場に置いてあったんだからな」
「一人や二人じゃないでしょ!!」
「ああ、そうだな……幽霊はなんて数えるんだろうな。エドガー、アンタ知ってるか?」
「数え方を言ってるんじゃないわよ!! わかっててすっとぼけてるでしょ、貴方!?」
「うるさい奴だな、そんなにやかましくすると寄ってくるぞ?」
「……な、何が」
 にやにやとして言うセッツァーに、セリスはどうにか強気に返す。だが、相変わらず壁際からは離れない。背中は守っていたいという本能がセリスにそうさせていた。
「さぁて、ねぇ」
 敢えて濁したセッツァーに、割って入ったマッシュが苦笑いを浮かべる。
「そんなにいじめてやんなって」
「ほう、アンタは大してビビってないみたいだな」
「んまぁ、そうだな……まあ、幽霊に関しては色々とあったから」
「意外だな。アンタみたいな格闘家こそ、物理の効かない幽霊を怖がるもんなんじゃないのかい」
「幽霊も悪いやつばかりじゃねえよ。それこそ俺たちと変わらず個性もあるし……」
 まるであの世を見てきたかのような口振りに、実兄のエドガーが一番焦りだす。
「……マッシュ、おまえ、そんなこと一体どこで?」
「どこ、って言ってもなぁ……かなりの速度で移動してたし……」
 マッシュもマッシュで、わけのわからない返答をしていた。それを見て、なんなんだこの男たちは、と壁に手を這わせながらセリスはひとり口を歪ませた。誰一人として幽霊という存在を否定しない。むしろ肯定的だ。それを認めたくないのはセリスだけのようだった。それが文化の違いだからなのか、あるいは寛容さの違いなのか、どちらにせよ、セリスには幽霊を認めることはできない。決して怖いからではなく、とセリスは心中で付け足した。
「ゆ、幽霊などという非科学的なものはいない!!」
 どうにかそれだけを叫び、セリスは一目散に自室に駆け込んだ。
 きっとセッツァーの冗談だ。いつも以上にタチが悪いだけ。そう思うにしては、やけに細部を凝っていた気もする。子どもと老婆と女性、それから黒い人影。さらにもう二人。考えるだけで悪寒が走る。セリスはベッドに入り、耳まで布団を引っ張った。
「そんなもの、ありえない!」
 断言した瞬間、不意に、静かな部屋がぎしりと鳴った。びくっとしてしまってから、セリスは目を強く閉じてうずくまった。怖がっていると思われたくなくて部屋にこもったというのに、一人きりの方が尚怖いではないか。醜悪な見た目のモンスターは全然気にもならないというのに、本当にいるかもわからない幽霊が、こんなにも恐ろしいなんて。セリスの混乱は段々とピークに達し始めていた。

「……あれから二時間か? まだ部屋から出てこねぇのか、セリスの奴は」
 飛空艇のメンテナンスを終え、セッツァーが工具箱片手にエンジンルームから出て来るや否や、ホールを見回して笑う。
「やはり冗談だった、ときちんと言った方がいいんじゃないか? 彼女、わりと信じてるみたいだぞ」
 エンジンルームから平素通りに帰ってきたその姿から、幽霊の件はすべて冗談だと思ったエドガーは、そうセッツァーに言った。が、傷だらけの顔を愉快そうに歪め、セッツァーは首を振る。
「言っとくが、マジだぜ」
「なに?」
「だから、別に俺は嘘ついてるわけじゃねえし、冗談でもない」
「しかし、今までエンジンルームにいたんだろう? 平気なのかい」
「慣れだよ、慣れ。今さら幽霊ぐらいでビビらねえよ。悪さするような強いやつらでもねえみたいだしな。そもそも、生きてる人間の方がよっぽどタチが悪いし」
「……なるほど」
 かろうじて、エドガーはそう返した。フィガロでは幽霊は先祖、と相場が決まっている。自分に無関係な幽霊というものは基本的に概念になかった。
 良い先祖霊ならば一族の守護霊となり、悪い先祖霊ならば天の国に行けるようにこちらが祈祷を捧げる。そういうしきたりの中に、幽霊という存在が考慮されている。ただそれだけだ。
 セリスほどではないにしろ、セッツァーの言うことを信じるのは少し憚られるというのがエドガーの心境ではあった。
「悪いやつらじゃねえなら、どうにか天国に送ってやれねえかな?」
 一方で、腕を組みながら、マッシュは真剣にそう呟いた。だが、セッツァーは手のひらで払いのけるように無感動に言う。
「行きたくねえからここにいるんだろうが。ほっといてやれよ」
 幽霊たちはエンジンルームに最も出没するということは、一番影響を受けるのはセッツァーに違いない。にも拘わらず、幽霊をどうするつもりもないらしかった。案外懐が深いのかもしれないと、エドガーはくすりと笑った。
「……空飛ぶ幽霊船か。なかなか面白いかもしれないな」
 だけどよ、とマッシュが続ける。
「セリスからしたら、面白いとか言ってらんないだろうけど」
「そうだなぁ。船を降りるとか言い出さなければ良いんだが」
 男三人と幽霊数体、なんてフライトはごめんだと、エドガーはセッツァーに聞こえるようにぼやく。
 セリスのためにファルコン号を動かしたと言っても過言ではないその男は、至極嫌そうな表情を浮かべた。おまえが言い出したのがそもそもの原因なんだぞ! と、双子は口には出さないが、胸中では同時に思っていた。

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