言葉にならない想いが、膨れ上がっていく。
私、いつからこんなに彼が好きなの?
ほんの一瞬の、目の交わり。深い海のような、底の見えない蒼がこちらを射抜いて、そのまま時が止まれば良いとさえ思うのに。
私の気持ちになんて欠片も気がつかない貴方は、狂いそうなくらい優しくて、残酷だ。
どうかしたか、と子どもみたいに無邪気に笑って、わしわしと私の頭を撫でる貴方が、どれほどこの胸を締め付けているのか。
なんでもないわよ、と素っ気なく返すしかできない自分。
それを額面通りに受け取ればまだ良いのに、心配性な貴方はわざわざもう一度確認する。
それがまた、どんなに心を抉る行為なのか。貴方は知らないでしょう?
貴方にとっては、誰にだってする当然の気遣いなんだから。
ぜんぶ、全部そう。
二人っきりでいたって、私は最初から「特別」じゃなかった。
貴方が向ける眼差しも、頭を撫でる手のひらも、ふわりとした穏やかな笑顔も。
私じゃなくたって、貴方は与えたのだろう。
なんて素敵な人間愛。そう気づいた瞬間は、本当に呆然としたのを覚えてる。
全部、勘違いだったんだと。もしかしたら、なんて少し思っていたのに。
今も昔も、貴方が私に向ける顔は何一つ変わらない。
優しくて、穏やかで、無邪気で。
みんなに向ける顔とおんなじ顔。
「本当になんでもないわ。いちいち話しかけないでちょうだい」
苛立ちと恥ずかしさとが混ざりあい、きつい口調でそう言ってしまっていた。
はっとして彼を見上げると、どこか困ったような表情をしていた。
「そっか……悪かったな」
そう告げて、なんの躊躇いもなく彼は去っていく。
自分がそうさせたのに、その行動にひどく胸が苦しくなって。
もう嫌だ、こんなに苦しいのは。
嫌いになれたらすべて良い方向に行くのだろうか、なんて馬鹿なことを考えて、可笑しかった。
どうせこの戦いに決着がつけば、二度と会うこともない相手だ。
共通の敵がいるから集っているだけの、ただの仲間なのだから。
気がついたら、視界がぼんやりとしていた。
瞬いた途端に、大きな涙が頬へと押し流されていく。
貴方の優しさが、私を強くした。
貴方の優しさが、私を弱くした。
手の甲で痛いくらいに目元を拭きとって、自分の部屋へ駆けた。
「セリス?」
廊下で私を呼んだのは、待ち望む声とよく似ていた。
いつもなら聞き間違えたりしないのに。
振り返らなければよかった。そうすれば、落胆しなくても済んだはずだった。
「……泣いているの?」
同じ、瞳だ。深い蒼の瞳。
す、と彼は何気ない動作で道を塞ぐ。
「……どいてちょうだい」
かすれた声だった。それでも聞こえていないはずはないのに、彼は長い指先を私の目元へ伸ばした。
「君の涙の理由を教えてくれないか」
「いいから、通して!」
その手を振り払い、無理やりに通路を行こうとした瞬間。
強い、抱擁だった。
頭と腰を抱き留められて、広い胸に体を預けるしかできない。
「や……」
熱い。彼の体が、彼の心が。
いつものおちゃらけた、飄々とした彼ではないのがわかった。
「君はいつも笑いながら泣いているね」
首筋にかかる吐息にすら、熱を感じる。驚きと怖さで、逃げることができない。
「エ、エドガー……?」
「強さしか見せない君を、こんなにも弱々しくさせる男が……いるんだね」
彼の顔は見えないのに、声や繋がる体から、彼の痛みが伝わってくる。
それなのに、全身に与えられる彼の熱を感じながら、頭の片隅で思い浮かべるのは彼ではない自分がいて。
彼が、彼とよく似たあの人なら良いのに、なんて。
「私はそれが誰かなんて興味はないんだ。ただそいつから君を奪えばいいだけだからね」
似てる声。同じ瞳。
違うのは、この浮かされるような熱だけ。
「……あ……」
でも。
駄目だ。彼はあの人じゃない。代わりになんて、そんなこと、間違っても許されることではない。
それなのに一瞬でも、流されそうになったことが悲しくて。
「……私では、駄目かな?」
苦しくて苦しくて、涙が溢れていく。
それを見かねた彼は、優しく背中を撫でてくれた。手つきまで、本当によく似ている。
嗚咽で返事ができなくて、思わず彼にしがみついて、哭いた。
「好きなだけ泣いていていいよ。……今の話、ゆっくり考えてみて」
自分を抱くこの腕が、あの人であればいいのに。そう思わずにはいられなくて、今自分を思ってくれている彼に申しわけなくて、涙が止まらなかった。
それでも、小さな子どもみたいに泣くことで、何かが変わっていったような気がした。
自分だけを思ってくれるあたたかな胸を、私は求めていたのではないかと。
この胸に身を任せて、涙すれば、この苦しみは消えるのだろうか。
わからない。
わからないけど。
もう少しだけ、この腕の中で熱を感じていても、いいのだろうか。
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