エドセリ

だから、生きる

 断末魔の叫び声がした。そんな陳腐な言葉でしか言い表すことのできない音だった。
 聞く者によっては獣の咆哮に思うかもしれない。それほどまでに、本能的に恐れを抱いてしまう音だった。それは城の奥にある、研究所の更に奥から響いてくる。だが、いつもではない。
 ケフカが訪れた時だけ。その音は聞こえてくる。

「……おや、セリス将軍ですか。珍しいですねェ、こんなところで会うとは」
 研究所の通用口で鉢合わせてしまい、ケフカは唇を歪ませて笑った。それに目を向けず、セリスは低く嘲笑する。
「私が来るのをわかっていて、よくも言う」
「相変わらずの態度ですねェ、アナタは……もう少し可愛げのある反応はできないのですか?」
「用があるなら早くしろ」
 セリスはケフカに呼ばれて研究所にやってきていた。まさか出入口で待ちかまえているとは思っていなかったが。
「けっ……まあ良い。じゃあとりあえず、こっちに来てください」
 ニタァとケフカが笑う。嫌な予感しかなかったが、立場上逆らうわけにもいかない。
 鉄の板を張り合わせた床を踏み鳴らしながら、セリスは後をついて歩いた。研究所に入ることができるのは職員たちと、上級軍人だけだ。セリスは無論入ることができるが、行く意味がない時には絶対に赴かない。研究所には、良い思い出がない。魔導注入は苦痛でしかなかったし、研究所職員たちの視線も嫌だった。
「こちらですよ」
 ケフカが指し示したのは、一度も入ったことのない実験室だった。強固な扉が、この中で何がなされているのかを暗に物語っている。
「中の様子は?」
 機械にかじりついている職員にケフカが尋ねると、畏まった声で返事がされる。
「はっ、先ほどから静かになりました。恐らく、安定してきたのだと思われます」
「……私に何を見せるつもりだ」
「ああ、やはり気になりますか?」
 くるりと振り返り、ケフカは悲しそうに眉を寄せてみせた。
「お教えしたいのは山々なんですけど、私が言うより、その美しい目で見てもらった方が良いでしょうからねェ。……おい、開けろ」
 は、という短い返事とともに、扉開閉のスイッチが押される。途端、開いた扉の向こうにセリスは絶句した。部屋の中は一階分下に下がっており、ここからだと部屋のすべてを見下ろすことができる。
 その中心に、まるで囚人のように繋がれた人間。性別はわからない。
 それは、狂ったように笑っていた。
 ゾワッと背筋が震える。
「……なんだ、あれは……」
 セリスの呟きに、ケフカは意気揚々として答えた。
「新しい魔導士です」
「……あんなものがか」
「酷い言い草ですねェ。あれは私よりも強力な魔導を注入し、かつ操りの輪によって精神を喪失させた魔導士なのです」
「だが、笑っている……」
「ああ、そうみたいですねェ」
 ケラケラと笑うケフカに、思わずセリスは掴みかかっていた。
「なんということを……あんなものは、もう人間ではない!」
「人間ではない?」
「感情もなく、自由もなく、ただの人形だ! 貴様、よくもこんなことが出来たな!」
 行き過ぎている。研究だけではない、帝国そのものが。被験者は恐らく、どこかの国の捕虜だろう。
「人間ね……」
 くっくっ、とケフカは喉を鳴らす。
「確かに、あれはお世辞にも人間とは言えない」
 突如手首に走った鋭い痛みに僅かに驚くと、ケフカの胸元を掴む手首に、五本の爪が食い込んでいた。
「だがな」
 飲み込まれそうな、恐怖が全身を襲った。
「オマエも俺も」
 ケフカは笑っていた。正確には、口角を上げていた。
「果たして人間か?」


「…………」
 気がつけば、夕方だった。図書室にこもってから、かなり経つ。
 ここの蔵書は興味深いものが多く、時間が進むのが早いことはしばしばある。だが、眠ってしまったのは良くなかった。
 頭が痛い。鼓膜が脈打ち、吐きそうだった。
 開きっぱなしだった本を閉じて、机に肘をつく。その時、図書室のドアがかちゃりと音を立てた。
「セリス?」
 相変わらず、涼しい声だ。こちらの姿を見つけて、嬉しそうに近寄ってきたのはこの城の主たる男。
「またここにいたんだね。本当に本が好きなんだな、君は」
「……エドガー」
「おや」
 彼は微笑みながら、すっと長い指を伸ばしてセリスの頬を指した。
「少し赤くなっている。眠っていたのかい?」
「ええ、気がついたら少しだけね」
「なにか夢でも見た?」
「……いいえ、なにも」
「おいおい、もうすぐ夫婦になる仲なのに嘘をつくのは良くないよ」
 セリスは弾かれたようにエドガーを見上げた。やはり、駄目だった。彼に隠し事はできそうにない。
「それとも、また結婚はお断りとでも言い出すつもりかな? かれこれ四回目になるけど」
 エドガーは茶化した風に言いながらも、その蒼い目はまったく笑っていなかった。なにも言い返せず、セリスはしばし沈黙する。その肩を、エドガーがそっと抱いた。その流れるような動作に、拒む気持ちは微塵も浮かばない。
 彼のことは、確かに愛していた。彼もまた、そうだとわかっている。お互いがお互いを欲し、望んでいることはわかっていた。
「……何度も言ったよね、セリス」
 エドガーは耳元で静かに囁く。
「俺のことが嫌いっていう理由以外じゃ、結婚は取り消さない。君の過去がどうであれ、俺は君を放したりしない……って」
 こくりとセリスは頷いた。この言葉は決して束縛ではない。優しさだ。限りない彼の優しさだ。
 戦いが終わって、彼に結婚を申し込まれた時、受け入れたいと思った。何もかもをかなぐり捨てて、彼の元に行きたいと。
 だが、彼の傍にいるということの意味を、こうして平和になった今考えてみて、結婚を受け入れたことは間違っていたのだと思った。
 だから、何度も彼にそれを話した。すると彼は無表情に言ったのだ。
 俺のことが嫌いなのかい、と。
 そう問われて、すぐに頷いてしまえば良かったのに。首は嘘をついてはくれなかった。
「何を悩んでいるのか、少しは話してくれないかな?」
 優しげな声に、ちくりと胸が痛む。過剰な優しさが、痛い。そんな風に扱われる価値がこの身体にあるだろうか。数々の惨いことを見てきた。やりもした。見ないふりもしてきた。
「私は……」
「うん」
「……誰かの悲鳴を、ずっと聞こえていた悲鳴を、無視した」
 あの時、助けていたら。あの人は狂ったように笑っていたりはしなかった。人ではないものになってはいなかった。
「助けようとすれば、きっと出来た。それでも私はそうはしなかった」
 ケフカが言ったこと。それは正しいのかもしれないと。
「それは……私も、人間ではなかったから、かもしれない」
 あの被験者のような、感情も、自由もなく。ただ人形のように、獣のように生きていたのかもしれない。自分ではそう感じなかっただけで。
「セリス……」
 肩を抱く手に、力が込められる。力強い手だった。触れるだけで、すべてから守られるような気がする。
「心配するな、君は人間だ。この俺が保証する」
 自信気な言葉、だが切実な声だった。
「見殺しにした命なら、私も負けはしないよ。それで君が人間ではないと言うのなら、私だってそうだ」
「エドガー……」
「私は王として、万を生かすために百を殺すことを厭わない。そう、ずっと前に決めたから」
 エドガーは、セリスの首に腕を回す。愛しいと言わんばかりに背後から優しく抱かれ、セリスはその腕をそっと掴んだ。
「そんな私を、君は人間ではないと言うのかな」
「…………いいえ」
 いいえ、と何度も呟き、セリスは首を振る。
 違う。絶対に、違う。彼ほど人間らしい人間はいない。百を殺すと公言して、こんなに心を痛めている彼が、人間でないわけがない。
「ごめんなさい、私は……私は、貴方のこと」
「良いんだよ」
 ひどく優しく、そうエドガーは囁いた。
「だから、俺たちは幸せにならなければならないんだ」
 命をいただいて生きてきた人間であるからこそ、幸せになる義務があるのだと。
「逃げる必要も、戦う必要もない。ただ俺たちは義務を全うするだけさ」
 すべてを抱いたまま、生きていく。それがこれからの使命なのだと。首筋に顔を埋めながら、エドガーは言った。
「大丈夫。俺には君が、君には俺がいる」
「……ええ、そうね。そうよね……」
 人間であればこそ不完全なのであり、不完全であるからこそ寄り添うのであり、それが生きるということであって。
 セリスは首に回された腕を、放さないようにしっかりと抱き留める。窓から射していた夕陽が、部屋中を真っ赤に染めていた。
 二人は長く、夕焼けの空を見つめていた。そこに国の未来を思い浮かべながら。

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