マシュセリ

雨音

 夕闇の迫り始める時刻、枯れた森をふたりで黙々と進んでいた時だった。
 ぽつ、とわずかに肩に衝撃を感じた。気のせいだろうと無視したまま、セリスは足を動かした。
「……ん?雨か?」
 だが、斜め前、セリスの一歩先を行くマッシュが、ふと頭上を見上げた。
 それに倣い、セリスも同じように空を見つめる。いつの間にか、暗い雲がすぐ向こうまで近づいてきていた。
「うわ、気づかなかったな。あれはすげぇ降るぞ」
「そうね。どうする?」
 倒木をひょいと跨ぎつつ、彼の大きな背中に向かって簡潔に問う。
 彼は旅慣れていたし、長年山住みだったので、天気には詳しい。自分が判断するよりも、彼が判断した方が的確だろうと思った。
「うーん。どっかで雨宿りするか。多分、すぐ止むだろうし」
 幸い、この森には多くの木がある。大木の虚ならば、ふたりで肩を寄せ合えば雨くらい避けられるだろう。
 ふたりできょろきょろと辺りを見回し、それらしき大木を探してみる。
「マッシュ、あれは?」
「おっ、悪くないんじゃないか?急ごうぜ」
 セリスの指摘に、マッシュはにこりと笑って頷いた。
 本降りになる前に、乾いた土を駆け、すっかり葉を落としてしまった木の虚に、腰を屈めて入った。
「中は真っ暗ね。……マッシュ?大丈夫?」
「う、ああ。ちょっと……」
 常人より二回りは大きい身体つきのマッシュは、やや無茶をしてセリスの後に入ってくる。どうしても肩がつっかかるらしい。
「な、んとか大丈夫、だ」
 関節を柔軟に動かし、彼の上体はようやくこちらに入ってきた。
「トゲとか気をつけて」
「ああ」
 彼の腕を助けるように引っ張って、ようやく全身が入りきると、途端に中は窮屈になる。彼は困った風に笑った。
「すまん、俺が入るとパンパンになっちゃうな」
 笑うその声はどこか楽しげで、なんとなくセリスも笑ってしまった。
「平気。なんだか秘密基地みたいで、ちょっと面白い」
「へぇ、セリスも秘密基地とか好きだったのか?」
「そうね。狭くて自分だけの場所って結構好きだったかも。大概は、使わなくなった魔導アーマーのコックピットだったけど」
 とはいえ、ぎゅうぎゅうに肩をくっつけ合っていても、その逆側には固い木の皮が当たっている。しかもマッシュには高さが足りず、彼は首を傾げたままだ。
 横並びにふたりは、やや厳しいかもしれない。
「なぁ、セリス。……その、提案なんだけどよ」
「なに?」
「ここ、空いてるからこっち来るか?そこじゃ狭いだろ?」
 薄暗闇の中、ぽんとマッシュが叩いてみせたのは、彼の両足の間だった。
 なるほど、横並びがきついなら、縦に並んでみてはどうか、というわけだ。だが、少し恥ずかしいような気もする。
「ちょっと冷えてきたし。こっちの方があったかくもなるだろ」
 外套を広げて待つ彼の笑顔に、邪心は見えない。本当に、心底言葉通りの心配しかしていないのだ。狭いから、寒いから、こっちの方がいいだろう、と。
「……じゃあ」
 悩むのもバカらしくなり、セリスはゆっくりこそこそと、マッシュの足の間に腰を落とした。それでもやっぱり肩身は狭い気がして、膝を抱えて縮まる。
「よっと」
「っ!」
 それを後ろから、包むように外套でくるまれて、思わず身体を揺らしてしまった。
「あぁ、悪い。びっくりさせた?」
「へ、平気よ。ありがとう」
「……セリスは細身でいいな、今だけは羨ましく思ったぜ」
 あたためようとしてか、彼の手のひらが二の腕をぺたりと包んだ。
 どう返したらいいかわからず、セリスはただ唇を動かした。冗談とはいえ、羨ましがられても別に嬉しくはない。
 エドガーだったらもうちょっと巧く言ってくれたのではないか、と思わないではいられないが、こういうマッシュの裏表のない言葉は、それはそれで好きだった。
「……雨、強くなってきたかしら」
 とりあえず、気がついたことを呟いてみて、話を逸らしてみた。マッシュはちらと虚から外を見つめ、頷く。
「ギリギリセーフだったみたいだな」
「止むまでは動けそうにないわね」
 日が出ている時間帯だけしか、外を歩くことはできない。こうして雨で時間を奪われると、予定がどんどんずれていってしまうのだ。
 雨が上がったら、多少強行に進まなくてはならないかもしれないと、セリスは肩をすくめてみせた。
「そうだなー……」
 だが、背後から返ってきた相槌は、何故か楽しそうな色をしているように聞こえた。
 不思議に感じたのと同時に、マッシュの腕に力が込められたのがわかって、どきりとする。
「は、早く止むといいわよね」
「んー……まぁ、そうだな」
 後ろから、視線を感じる。彼が、こちらをじっと見ている気がした。不快な視線では決してない。だが、ひどくドキドキさせられる。
「寒いか?」
「えっ?」
 緊張感を紛らわそうと深呼吸をしていたのを悟られていたらしい。
 心配そうな声をかけられたと思うと、セリスの首に回されていたマッシュの両腕の輪が、きゅと小さくなる。
「やっぱりちょっと冷えてる」
 背後にほぼ密着するように抱きすくめられて、すぐ耳元でそう呟かれた。
「あ、う、うん……」
 筋肉質な彼の身体は、発熱が激しい。じりじりと照りつくような熱が、セリスを包んでいた。
「俺もちっちゃい頃は寒がりの風邪っぴきでさ」
「そうなの?……ちょっと今の貴方からは考えられない話だけど……」
「今のこの身体は修行の賜物なんだ。昔は痩せてて、細っこかったんだぜ。嘘だと思うなら、いつか兄貴に聞いてみてくれ」
「嘘とは思わないけど、エドガーにはその時のマッシュの話を聞いてみたいかもね」
 くす、と笑うと、背後からも困ったような笑みが漏れた。
「虚弱だった話をするのは、ちょっと恥ずかしいんだけどなー」
 それでも話をしてくれることが、ちょっぴり嬉しい。
「でももう少し、聞いてもいい?」
 どうせなら、本人の口から色々と知りたい。セリスはわざと許可を乞うように尋ねてみた。
「んー……じゃ、雨が止むまでな?」
 根が甘いから、そう問われれば断れない人なのだ。
「しかし、雨かぁ……雨と言えば、そうだな」
 マッシュがぽつりと漏らした言葉に、視線は雨降りの外に向けたまま、耳だけを傾ける。
「俺は雨の日は外に出るのを禁止されててさー、いっつもこんな感じで、窓に雨が流れてくのを眺めてばっかだったんだ」
 うん、と小さく頷きながら、小さな頃のマッシュを想像してみる。きっと、子どものような目の輝きは今と変わらないだろう。
「でも、外に立つ衛兵なんかは、雨だろうと関係なく立ち続けてるのが見えてたから、俺もそれくらいできるはずって思って……」
「自分の限界に挑戦的なのは変わってないのね」
「まあその頃は、まだ自分の限界そのものをわかってなかったからなー。バカみたいな目標を立てては、周りに迷惑かけてばっかだったよ」
 他者の思い出話をこうしてまじまじと聞いたことは、そうはない。だが、何故だかとにかく面白かった。今を知っているからこそ、昔の話が面白く感じるのかもしれない。
 くすくす笑って彼の話を聞いている間に、なんとなくあたたくなってきた気がして、いつの間にか彼に無遠慮にもたれていたことに気づいた。だが、それを気にした素振りが彼からは欠片も見えない。なら、まあいいか、とセリスはそのままで再び、マッシュの声に耳を澄ませた。

ざあざあと、雨の音は止まない。
枯れた森に降り注ぐ絶え間ない雨音の隙間には、ずいぶんと楽しげな男女の声が混じって聞こえていた。

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