マシュセリ

孤独の終わり

(拾い子のお前に、教えることは何一つありはしない)

 嘲笑を含んだ冷たい瞳が、こちらを見下ろす。兄弟子はいつも厳しい目付きを浮かべていた。

「はい。さらに精進いたします」

 どう答えようと、兄弟子の返事は変わらない。

(精進?笑わせるな、才能の無いお前が強くなることはあり得ない)

 鼻で笑うように、兄弟子はすべてを否定した。それに文句を言ったことはないし、不満を漏らしたこともない。実際、兄弟子は素晴らしい武術の才能の持ち主で、その並々ならぬ技術は確かなものであったからだ。
 だからこそ、いつかは兄弟子に認められたいと、思っていた。兄弟子より強くなれたら、兄弟子はきっと認めてくれるだろうと。
だが。
 兄弟子は結局、一度たりとも認めてはくれなかった。いや、認めることができなかった、のかもしれない。
 それは、兄弟子の眼差しに嫉妬が混じっていたことに気がつくことのできなかった己の罪だ。
 兄弟子の実父たる師匠は、この身の才能、将来性を見抜き、こうして己を弟子にしてくださった。それを重いと感じたことはないし、そのことで驕り高ぶることもなかった。
 しかし、どうしたって兄弟子はやはり気に食わなかったのではないだろうか。あの憎しみに捕らわれた瞳と相対して以来、そう思うようになった。
 師匠との親子関係について詳しく知る術はないが、兄弟子はおそらく幼いころから厳しい修行を積んできたのだろう。そこでなにか歪みが生じたのかどうかもまた、推し測る以外の術はないのだが。

「バルガス!!なぜ……なぜダンカン師匠を!?弟子であり実の子である貴方が!!」

(それはなぁ、技の継承をこの俺ではなく、拾い子のお前にさせるとぬかしたからだ!!)

「違うっ!!師は……」

(違うものか!!目障りだ、貴様も殺してやろう。愚かなダンカンと同じ道を辿るがいい!!)

「……やるしか、ないのか」

(宿命だ。そして、お前は俺には勝てん。それもまた……)

 急に意識が覚醒してきて、マッシュは自分が夢を見ていたことに気がついた。
 やや肌寒い。そうだ、今夜は野宿だ。枕にした自身の両腕がわずかに痺れている。
 まぶたを開けると、満天の星空が飛び込んでくる。遮るもののない夜空は、一年前より美しく見えた。
「……大丈夫?」
 びく、として声の方に首を動かすと、こちらを見下ろす碧眼と目が合う。その瞳は、驚きで見開かれていた。
 深い海のような色合いの双眼に、柄にもなくしばし見惚れたのは、寝ぼけていたからだろうか。
 足を崩して座りながらこちらを覗くセリスに、慌てて笑いかける。
「あ、えーっと……なにがだ?」
「うなされていたわ」
「うなされてた?俺が?」
 こくり、と静かに頷きを返し、セリスは肩の力を抜いた。
「もう一度聞くけど……大丈夫?」
「……ああ。悪かったな、ビックリさせちまって。疲れてるんだろ?」
 彼女は確かに、自分より先に眠りについていたはずだ。今日はかなり魔法を使っていたし、疲労は普段の比ではないだろう。そんな彼女を起こしてしまうほど、うなされるような悪夢を見ていただろうか。
「ええ。だけど……」
「俺は平気だよ。多分、俺も疲れてるから変な夢でも見たんだよ。もう寝ようぜ」
 誤魔化すように笑い、セリスを見上げた。彼女に弱気を見せるのは嫌だった。彼女を信頼していないからではなく、むしろ彼女に信頼して欲しかったからだ。
 だが、今夜はもう眠れないだろう。今眠りに落ちれば、また夢の続きが始まりそうだった。
情けない話だが、いまだに人を殺すということに戸惑いを捨てきれていない自分がいる。初めて殺めた相手が、半ば家族であった男だったことが、ずっと離れない。
 腕を染めたあの血は、十年共に修行した兄弟子のものだった。こんな結末で彼の終わりが来るとは、想像すらしていなかった。
「マッシュ」
「うん?」
 呼んでから、セリスは長い間逡巡した。流れるような金の髪を耳にかけ、彼女は寂しそうに笑った。
「無理しないで、が正解なのかしら……」
「えっ?」
「……なんて言ったらいいのかわからないの。きっとエドガーかロックなら、貴方のその悩みをどうにかしてあげられるのにね……」
 ごめんなさい、とセリスは言った。何故だか彼女は泣きそうな表情で、それなのに星々に照らされたその姿はやけに綺麗だった。
「……いや、何もセリスが謝らなくてもな」
 苦笑してみせると、セリスは尚のこと寂しそうに頷く。
「そうよね。……なんでもない、気にしないで」
 す、と彼女は視線を空に向けた。その姿がまるで絵画のようで、マッシュは思わず息を飲む。
「……?」
 ふと、セリスがこちらを振り向いた。
 気がつけば、枕にしていたはずの片手で彼女の細い手首を掴んでいた。それに驚いて、彼女はこちらを見下ろしたのだった。
「あ……悪い」
「……ううん、大丈夫」
 セリスの身体は冷たかった。
「寒いか?」
 誤魔化すように問うと、セリスはゆっくりと首を横に振る。
「もともと体温が低いだけよ」
「ちょうど良いや。俺、体温は高い方なんだ」
「そうみたいね」
 セリスはやわらかに笑った。やはり、笑っていてくれるほうが一層綺麗に思えた。
 そして、彼女は小さく呟いた。
「……傍に、寄っても……いい?」
 あまり他人に甘えない種の人間である彼女がそう言うのは稀であって、意を決して口にしたのだろうなと思った。
 おう、と短く答えて、マッシュは手を優しく引っ張る。
 セリスは足を伸ばして、ころりと地面に横たわった。
「……それ、傍って言うか?もっとこっち来いよ」
「えっ、あ、そうね」
 言われた通りにいじらしく近寄ってきた彼女に、にっと笑いかけて、掴んでいた手を離す。そして今度は手首ではなく、代わりに彼女の手のひらを握った。
 じんわりと、二人の体温が混じり合っていく。温度差がなくなって、まるで一体になっていくような感覚が、なんだかくすぐったい。
「うん。こっちの方がいいな」
 たくさん自分の体温を分け与えられるから。そう言おうとしたが、やめた。言い訳する必要はなかったから。
 最初こそ戸惑っていたセリスも、疲れには勝てなかったらしい。
「……寝ちまったか」
 身体を丸め、マッシュの腕を抱きながら、彼女は静かに寝息を立てていた。
「ありがとな。……元気出たよ」
 寝顔に向かってそう言う。返事は要らなかった。
 やはり疲れていただろうに、こちらを気遣っていろいろと言葉をかけてくれた。それだけで、だいぶ気持ちが楽になっていた。
「兄貴にもロックにも、……無理だったと思うぜ」
 なにより必要だったのは、今この時、傍にいてくれることだったから。
 たとえ独りだとしたら、眠れない夜となっただろう。だが、今夜は違う。今夜からは、違う。
 セリスの存在が、限りなく尊いものだと。彼女はわかってくれているだろうか。
「……おやすみ、セリス」
 それに反応したかのように、繋がった手がマッシュのそれをきゅっと握り返した。眠っているのに返事をしてくれたことに、マッシュは思わず微笑む。
 彼女が本当は寝ていなくて、今の言葉のすべてを聞いていたとしても、それはそれで良い。
 朝にはまた、長い旅になる。今夜はよく眠れそうだ。セリスの手を強く握り直して、マッシュはまぶたを閉じた。

どうか、何度朝が来ても、この手が繋がっていてくれますように。

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