マシュセリ

恋のはじまり5題×2


 7、好みじゃないプレゼントが嬉しい

 北に伸びる蛇行した陸地は、一年前までは海底にあったというのだから驚きだ。蛇の道と呼ばれるこの長い旅路の途中には、子どもだけが生き残った村があるという。
 以前、蛇の道を抜けたことがあるというマッシュの話では、その村はモブリズではないかということだった。
「……?以前、って、まだ蛇の道が海底にあった頃の話?」
 まさか、と思って彼を見上げると、そのように訝しまれるとは微塵も思っていなかったというような顔で見返された。
「そりゃあそうだよ。北にはまだ行ったことないって言ったろ」
「けど、海底よ?一体、どうやって……」
「一言で言うなら、ピカピカだな」
「……はぐらかそうとしてるの?」
 愉快そうな彼を睨み、セリスは外套のフードを目深に被り直す。
「なんだよ、怒ったか?けど嘘は言ってないんだぜ」
 ぼふ、とその上から不躾に手のひらが落ちてきて、頭をぽんぽんと叩いた。ふと、こんな扱いを受けたのは、一体いつぶりだろうかと考えてしまう。
「なんだかんだ、一年前のあの頃は面白かった気がするな」
 わざわざあの頃と限定したのはおそらく、帝国の侵略がフィガロにまで伸びた頃のことを言いたかったからだろう。
「面白いだなんて」
 セリスには決してそんな風には言うことのできない時だ。だが、彼は自身の思うままに言葉を述べる。
「逃避行だったけど、各地を旅して回って、色んな人間に会えた。ナルシェに着いてからも、セリスとかと出会えたし」
「……貴方は、旅で色々なものを見たのでしょうね」
 広い目で、広い心で。彼は世界を感じたのだろう。この蛇の道でも、彼はなにかを得たに違いない。
 羨ましい、と思う。同時に、同じものを見てみたいとも思った。
 マッシュのような、人間味のある感受性が、自分には圧倒的に足りていない。ティナのような純粋さすら持たない己には、世界はあまりに濁って見えていた。

「二人とも、久しぶりね。会えるなんて思ってもなかった」
 たどり着いたモブリズの村にいたのは、ママと呼ばれて微笑むティナだった。
 子どもだけが生き残ったこの村で、子どもたちの守り手として過ごしていたのだという。
「ティナの知り合いだったなら、はじめから言えよな」
 地下室への入り口でどうにも突っかかってきた青年、ディーンが口を尖らせて愚痴ったが、それをティナは静かにたしなめた。
「……今日はゆっくりして行って。と言っても、なんにもないけれど」
「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうわ」
 セリスは、何か言いたげに隣に立つマッシュの服の裾を引いて、話を打ち切った。
 彼が言いたいことは、よくわかった。だからこそ、言わせたくなかった。
 ティナも一緒に旅に、というのは、彼女を子どもらから奪い取るということだ。それをここで口にすれば、今夜の寝床を失うはめにもなろう。
 ティナの力は、大いに魅力的な戦力だ。だが、彼女は戦いを望んではいない。戦いの道を彼女に提案することすら、罪に思えた。
 マッシュはこちらをじっと見つめて、その心の内を理解したかのようにひとつ頷いてくれた。
「……ただ厄介になるだけじゃ、あれだしな。子どもたちの遊び相手くらいならできるぜ!」
「本当に?とても嬉しいわ」
 にこにこと笑う二人に、なんとなく嫌な予感がして、セリスは一歩後退る。
 子ども部屋はあっち、とティナが指差すと、マッシュは明るくこちらを振り向いた。
「行こうぜ、セリス」
「……やっぱり私もなのね……」
「セリスは、子どもは嫌い?」
「嫌いというほど……」
 ティナの無垢な瞳に射抜かれ、思わずたじろいでしまう。好き嫌いを判別できるほど、子どもと交わったことはなかった。
「大丈夫。私も子どもって、よくわからなかったけど……子どもたちだって私のこと、わからなかったから」
 最初はどうしても警戒するし、されるよね、とティナは優しく言う。
「そうそう。初対面同士、思いやりさえあれば平気さ。子どもとはいえ、結構しっかりしてるもんだぜ」
 思いやり。久しく聞かなかった言葉だと思った。
「適当で大丈夫だって。さぁ、行くぞ」
 決して不快な感じでなく至って自然な風に、マッシュはセリスの手首を掴んだ。

 地下の子ども部屋は、他の部屋と同様に薄暗かったが、そこから漏れる声は一際にぎやかでもあった。
 取って付けたような扉を前にして、得体の知れない感覚が身体を包む。だが、ぽんと背中を叩かれて、不思議と腹は座った。
「よぅ、入るぞー?」
 マッシュが遠慮なく子どもに特攻していくと、子どもたちも突然の巨人の来訪にきゃいきゃい叫びながら、一気に群がった
 彼は慣れた様子で、そのたくましい両腕やら首もとやらに子どもをぶら下がらせて、屈託なく笑って部屋中を歩き回っていた。
 さすがにそんな真似はできないな、と思い、セリスは少し離れてベッドに腰かける。と、気づけば隣に少女がひとり、座っていた。見ただけでは、年の頃はわからない。
「あなたは、遊ばないの?」
 意を決して話しかけると、少女はこちらにちらりと視線を向けて頷いた。
「あたし、ああいう人、嫌い」
 鋭い一言に、思わず瞬く。
「……ああいう人って、どんな人?」
「誰にでもやさしい人」
 言うなり、少女は自らの膝を抱え込んだ。
 理由を尋ねようか迷ったが、少女の口数の少なさからして、あまり追求するのは良くないかもしれない。
「やさしい人じゃなくて、誰にでもやさしい人が嫌いなのね」
 確認する言葉に、少女は前後に身体を揺らした。それは肯定に思えた。
「……少し、わかるかもしれないわ。その気持ち」
 怯えられぬように、ゆっくりと。少女の背中に手を回す。
「誰かに大切にされたいとか、特別になりたいとか、そう思うのは当たり前のこと。……私もずっと、ずっと、そう思っていた」
 少女は首をもたげて、セリスを見つめた。それに、優しく微笑み返して。
「特別な私じゃなくちゃ、存在してはいけないんだって思ってた。誰かに認められなきゃ、そこに居てはいけないんだって。でも、それって間違いなのかもしれないなって気づいたの」
「……なんで?」
「私自身が、そこに居たい、生きていたいと思うから、かしら」
 生きることに誰かの認可なんて、要らない。誰かの特別になれなくても、自分自身が自らを受け入れてさえいればいい。
「だから、……求められなくても、卑屈にならないで。あなたは、自由に生きればいいのだから」
 他者からの期待の眼差しにがんじがらめになるのは、己だけで十分だ。もう、帝国という鎖は消え去ったのだから。
 自由に生きる。生きたいと思える。そんな世界を、取り戻す。そのために、戦うのだ。
 少女は、わかったようなわからないような、きょとんとした表情で、それでも頷いてくれた。
「ごめんなさい、私、勝手に喋ってしまったわね」
「……ううん。なんか、わかったような気がする」
 ぽん、と少女はベッドから跳ね下りる。
「お姉ちゃんは、なにか宝物があるんだね」
「宝物……そうね、誰がなんと言おうと大切なものはあるわ」
 例え罪でしかないとしても、帝国にいた過去は、かけがえのない記憶で、思い出だ。そしてその思い出を唯一共有しているシドの存在もまた、なにより大切だった。
「あたしも……つくりたいな、そういうの」
「もしかしたら、もう持ってるのかもしれないわよ」
 うん、と少女は難しそうな表情のままに頷く。
「じゃあ、もうこれは要らないね」
 少女は自らのポケットから、飴玉のような大きさの玉を取り出して、見つめる。
「お姉ちゃんにあげる」
「えっ……いいの?あなたの宝物でしょう?」
 それはガラスでできた玉だった。手のひらに置かれて、わずかにひんやりとする。
「新しいの見つけるから、いい」
 言うなり、少女はてくてくと去っていった。どこに行くのか見守っていると、少女は、少女同様ににぎやかな輪から外れた子どもの隣に座り、話し始めた。
 なんとなく安堵して、セリスはもう一度手のひらの中のガラス玉に目を落とす。
 昔はよく、恩賞で宝石なんかをいただいたことを思い出す。それに比べれば、遥かに価値のない玉だ。だが。
「……綺麗」
 蝋燭の明かりに透かしてみると、ガラス玉は朱色に鈍く光る。
 ふと気づくと、その反射のなかには、子どもたちに囲まれたマッシュのたくましい背中が映っていた。

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