マシュセリ

恋のはじまり5題×2


 おまけ。

 世界が救われてから、一日。サウスフィガロのその朝は、かつてないほど、にぎやかだった。

「……すげえ活気づいてるなー……」
 郊外の立地であるダンカン邸にさえ、その音は響いてきていた。人間のどよめき、のようなものだろうか。ざわざわとしていて、どこか嬉しそうにも聞こえる。
 これからは、これが日常になっていくといいのだが。マッシュは苦笑して、ひとつ伸びをする。
「ふぅ。さて……」
 窓際に寄り、なんとなく景色を眺めてみた。
 鳥のさえずりと、髪を揺らすそよ風、ぽかぽかとした陽気は、平和そのものだ。
 だが、少し落ち着かないのも事実だ。
 人を待つというのには、生憎慣れていない。今までは、むしろ自分から会いにいくタイプだったし、来るかもわからない人を待つという経験はなかった。
 とはいえ、根が楽観的なのもあり、そわそわするほどでもなかった。
 彼女は、きっと来てくれる。根拠もなく、そう思うのだ。ただ、そこにかかる時間まではわからなかった。
「あいつ頑固だもんなぁ」
 くつくつと、マッシュは笑う。本人がいなくても、しばらくはこうして記憶だけでもどうにかなるだろう。
 ああ、けれど。
「……声は、聞きてぇな」
 それだけあれば、自分はいくらでも強くあれる気がするのだ。いや、実際そうだったようにも思う。
 それは彼女自身が、強くありたいと願っていたからなのかもしれない。彼女の強さには危ない部分があるが、見ていて学ぶべきことも多い。
 己もまだ修行中の身ゆえ、偉そうなことは言えないのだが、それでも彼女の成長を見守っていたいと思うのだ。
 風に乱された前髪をぐいと片手で撫で付けて、マッシュは青空を見上げた。
 ずっと眺めていられそうなほど、綺麗な空だ。
 しかし、そろそろ朝の修行を始めなくてはならない。修行に休みはないのだ。
 ふう、と一息もらして、出かけようとした時。遠くに、人影が見えた。
 瞬間、どきりと体に緊張が走る。ダンカン邸は、滅多に人など通らないような場所だし、訪問者もそういない。
 思わず息を飲んで凝視する。人影は、ふたつだった。わかった途端、マッシュは窓から直接、飛び出した。

 孤島から運んでくる荷物は、ほとんどなかった。そもそもあの小屋のものは、自分たちのものではない。新しく生活を始めることになるのだから、これは置いていこうとシドと話して決めた。
 マッシュがフィガロへ誘ってくれたことを告げた時、シドは自分のことのように喜んでくれた。確かに半分は自分のことだし、当然ではあるのだが、シドが喜んでくれること自体が嬉しかった。
 セッツァーにフィガロまで向かってもらうよう頼むと、フィガロのどこに?と問われたのには焦った。そういえば、詳しく言ってもらっていなかったのだ。
 サウスフィガロのダンカン邸ならば場所はわかったので、そこで夫人なりダンカン本人なり、マッシュのことを尋ねれば良かろうと思い、こうしてサウスフィガロ近郊から徒歩で歩いていくことにした。
 先行きは全くの不透明だが、不思議と不安はなかった。世界中が希望に溢れる今、何でも乗り越えられるような気がした。
「おじいちゃん、大丈夫?あそこに見えてる家だから、もうちょっとよ」
 セリスは歩きながら、シドを振り返った。
「大した荷物もないからのぅ、全然疲れてないわい」
 シドはにこりと目尻にしわを作って笑う。
「しかし、フィガロに来たのは初めてだ。この歳になって、まだ旅なんかをするとはのう」
「これからもこんな風に、どこかへ出かけたりしましょう?」
 セリスの提案に、シドは髭を揺らして笑った。
「いやいや、それはわしではない人と行きなさい。ほれ」
 首を動かして、シドは向こうを指し示す。
「え?……」
 何だろうとそちらを振り向くと、思わず目を見開いてしまった。
 こちらに走ってくる、大きな男がいた。それも、満面の笑みで。
「マッシュ!」
 セリスがそう呼んだのと、彼の巨体がセリスを覆ったのは、ほとんど同時だった。
「きゃっ」
「セリス!早かったな!!待ってたぜ!」
 嬉しい嬉しいと、彼は全身から余すことなく叫んでいた。そのわかりやすさはありがたいが、しかし。
「ま、ま、待ってマッシュ、お、おじいちゃんが見てるから……」
「ん?あ、おお!すまん、シド。貴方も来てくれて嬉しく思う!」
 セリスを片腕で抱きつつ、マッシュはシドにもう片手を差し出す。そのまま二人はセリスを挟んで握手した。
「決断してくれて、ありがたいよ。兄貴も喜ぶし」
「いいや、礼を言うのはこちらだ。重罪人であるわしに、償いをさせてくれるというのだから……」
「そんなこと……」
「それに、わしの可愛い孫娘をもらってくださるとか」
「お、おじいちゃん……!」
 慌てたセリスの肩を、マッシュのたくましい腕がぎゅうと抱き寄せる。
「ああ。必ず幸せにすると約束する」
「ま、ま、マッシュっ!?」
「嫌か?」
「そうは、言ってない、けど」
「……そういや、セリスの気持ちは聞いてなかったな。急かしちまった、悪い」
 言うなり、マッシュは自身からセリスを引き剥がした。それもそれで唐突で、いきなり放り出されて寒々しくなってしまった。
「来てくれたってことは、つまりそういうことかと早とちりしちまった……。というわけだから、シドもさっきの約束はすまないが保留で……」
「馬鹿言わないで!」
 思わず、そう叫んでいた。マッシュはぽかんとして目を丸くさせる。
「もう貴方を待たせるつもりなんて、少しもないんだから」
 彼はいつまでだって、待っていてくれるだろう。それが嫌だから、こんなに早くここに来たのだ。
「うむうむ。さて、わしは一足先にお宅へお邪魔させていただこうかの……」
 シドは、空気を察してひとりダンカン邸に向かって歩き去っていく。気をつけて、とマッシュはわざわざ一言告げて、それからセリスに再び向き合った。
「……昨日も言ったが、俺はセリスが好きだ。だから待ってるのは全然苦じゃないんだぜ?」
「私が嫌なの。私は……貴方と歩調を合わせて歩いていきたい」
 見ていたいのは、背中ではないから。隣で、笑い合いたいから。
「おじいちゃんは、私のしたいようにしなさいって、言ってくれた。……私はマッシュと一緒に歩きたい」
「……そうか」
 マッシュは大人びた笑みを浮かべて、セリスの頭を優しく撫でた。
「ありがとな。セリスの気持ちが聞けて嬉しいよ」
「……私こそ、マッシュにはたくさんお礼を言いたい。何から言えば良いのかわからないくらい、お礼しないと」
 シドのこと、引っ越しのこと、自分のこと、これまでのこと。マッシュには何から何まで世話になりっぱなしだ。
「水臭いこと言ってくれるなよ。それに、俺はそんなに手を出しちゃいないぜ?セリスが頑張ったから、その報いが戻ってきたのさ」
 だと良いけど、とセリスははにかむ。気にするな、と彼に頭をぽんぽんとされると、心地よくて困った。
「……あ、少し動くなよ」
 不意に、髪を一房ほど摘ままれる。つつ、と僅かに引っ張られたが、セリスは言われた通りに待った。
「ほら、綿毛だ。どっから来たんだろうなぁ」
「きっと、遠くから……貴方めざして飛んできたんだわ」
 マッシュの指先の、小さな綿毛を見つめて言うと、彼は胸一杯の笑顔で問うた。
「セリスみたいに?」
 こくりと深く頷いて、セリスも笑った。
「たんぽぽの花言葉は、愛の神託ですもの」
「へぇえ。なるほどな」
「でも、この綿毛の終着点はここじゃないわ。ここはもう、手一杯だもの」
「まだ余裕だぜ?けどまぁ、そうだな。こいつは見送ってやるか」
 いつかのように、綿毛を空に送り出してから、マッシュはその手をこちらへ差し出した。
「さーて、そろそろ行こうか。みんな待ってる」
「そうね……」
 手に手を重ねると、彼はしっかりと握ってくれた。
「フィガロへようこそ!これからよろしくな、セリス」
 そうだ。これからを、彼と生きていくのだ。このあたたかい手を、放さないでいても良いのだ。

 フィガロには、希望に満ちた朝の日差しが降り注いでいる。その中を、いつも仲睦まじく歩く男女の姿があった。
 それを見た人は言う。しあわせそのものだったよ、と。
 
  
 

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