10、温もりに泣きたくなった
「シドと一緒に、フィガロに来るつもりはねえかな」
それはすべてが終わった別れ際の、唐突な提案だった。
澄み渡る空が、馬鹿みたいに綺麗な朝だった。
「あの人くらいの技術者なら、フィガロだったらいくらでも食っていける。これから兄貴は政治にかかりきりになるだろうし、シドが来てくれたら、すごく助かる」
両手を包むように握られて、ぽかんとして彼を見上げたまま、話はちゃかちゃか進んだ。
シドにフィガロで働いてほしいから、それに一緒に付いてこないか、ということだと、最初は思った。
だが。
「それだけじゃなくて、だな……」
その提案だけでも十二分に呆気にとられていたというのに、マッシュは改めて言葉を組み直したのだった。
「セリスに、フィガロへ……いや!俺のところへ来てほしいんだ!」
「えっ?」
予想だにしない言葉に、セリスは身体を硬直させた。
私に、フィガロに来て欲しい?いや、マッシュのところに?シドのおまけではなく?何故?
頭での理解が追い付くと、今度は頬が熱くなっていくのがわかった。
考えてもみなかったことが今まさに、起こっているのだと。
「え、えっ……それって、その、あの、つまり……」
マッシュが、私を?駄目だ、さっきから疑問文ばかりが浮かんでいる。いま必要なのは問答ではないし、はたまた理由でもないというのに。
行くのか、行かないのか。ただそれだけだというのに。
一度、マッシュは深く、頷いた。
「セリスが一緒にいてくれないと、どうにもダメみたいだ。……今ここで返事してくれとは言わねえけどよ」
マッシュ、と思わず彼を呼んだ。ずるい人だ。返事を急がせることもしない。
無理矢理さらっていってくれたら、どんなにか楽だったろう。けれどそんなセッツァーみたいなキザなこと、彼がするはずもない。それに、そんなことをしたって何の意味もないことだ。
マッシュはすべて、わかっていてくれていた。セリスが孤島を離れない理由も、どれほどシドを愛しているかも、彼はよく知っていた。
だからこそ、悩み、考え、その上で。
「好きだ。……だから、フィガロで待ってる」
ここに来たらいいと、彼は言うのだ。
にっ、と笑ったと思うと、マッシュは手を離して踵を返した。そしてそのまま、仲間たちに手を振って船から降りていってしまった。
「……って、いやいや!あり得ないでしょ!!あの筋肉ダルマが!プロポーズした!えっ?あれプロポーズだよね?」
「ううむ……マッシュ殿があんなに流暢におなごを口説くとは……流石の血ということでござろうか……?」
双子が降りてしまうと、昇降口で突っ立ったままでいたセリスの背後からは、戦々恐々とする仲間たちの声が飛び交った。
「しかしのぅ……驚いたゾイ」
「そうかしら?私はそこまでびっくりしてないわ。だって二人はとても仲良しだったじゃない」
「……俺も、ティナと同感かな。なるほどなぁ。やっぱりそうだったのか、って感じだ」
仲間たちの素直な感想に、徐々に恥ずかしくなる。そりゃあそうなのだ、周りから見れば、単なるロマンスの現場でしかない。
「ねぇセリス~!フィガロで待ってる、だってよ~?」
「きゃっ」
ドンと腰元に、にやにや笑ってリルムが抱きついてきた。
「すごい愛されてるじゃん!もちろん行くんでしょ?」
「えっ?」
「えっ?行かないの?」
セリスは答えられずに、硬直した。
いや、そもそも、これを決めるのはシドなのだ。
シドは権力や支配を嫌っている。純粋な力は、それらによって簡単に歪められてしまう。そしてそれを止められないどころか、助長してしまったから。今日まで続いた悲劇の連鎖は、シドから始まってしまったのだった。
だからこそ、再び力を悪用されぬためにも、静かにあの島に隠れていようと決めたのだ。
いや。だが。セリスは迷った。
このことを伝えれば、シドはまず間違いなく、了承するだろう。シドはなによりセリスの気持ちを優先させてしまうだろうから。
マッシュの誘いは、震えるほど嬉しい。だが、シドのこころを殺してまで自分の喜びを得たいとは思わない。
マッシュ。シド。どちらも、自分には捨てられない。
胸が、痛い。いや、はらわたがきゅうきゅうとする。
「……セリス?平気?」
「あ、ええ」
「まあ混乱するのはわかるよ。あんな、言い捨ててさよならー!なんてさぁ?悩むに決まってるじゃんね!」
「そう、ね……」
悩なければいいのだろうか、とふと思う。こんな選択肢は、与えられなかったとしたら。
「あ、そうだ!傷男に、セリスは最後に下ろしてって言ってくる!」
待て、という言葉は、彼女には届かない。リルムは子ウサギのようにすばしっこく、船主の元へ走っていってしまった。
そうして孤島に飛空艇が到着した頃には、もうとっぷりと日が暮れてしまっていた。最後の乗客を下ろした飛空艇は、一日ここで過ごすらしい。
疲れたんだよ、とセッツァーは愚痴ったが、恐らくはセリスを待ってくれるということだろう。
「……ただいま、おじいちゃん!」
無事に、生きてこの島に戻ってくることができた。その喜びは、確かにあった。
手荷物片手に小屋へ駆け込むと、シドはゆっくりとセリスに微笑みかけてくれた。
「おかえり、セリスや。……無事に帰るのを待っておったよ」
待っていた、と優しく言われて、ずきりと心が痛む。
「……うん。怪我してないわけじゃないけど、この通り、元気で帰ってこられたわ」
こくりと頷き、シドは椅子に座るよう促す。それに応え、セリスが腰を落ち着けると、シドは神妙な顔つきでこちらを見つめた。
「ケフカは……死んだのか?」
「ええ。それに……魔法も、ね」
魔法も消えたことは、すでにシドの予測内だったらしい。シドは落ち着いた様子で、ひとつ咳払いした。
「そうか。いや、ならばティナは?」
「無事よ。もうトランスも魔法もできないけれど……彼女にそんなものは必要ないわ。ティナには、みんなと生きていける力があるもの」
モブリズで、子どもらに慕われる彼女の姿。生き生きとした、笑顔を浮かべていた。ティナは、人間なのだ。
「……セリス。それは、おまえもだ」
「え?」
弾かれたように視線を上げると、シドの深い眼差しとぶつかった。
「おまえももう魔法の力はない。だが……だからこそ、おまえにも人々と生きていく力があるはずだ」
「おじいちゃん?何を言ってるの?」
セリスはにわかに、焦った。その焦りを、珍しくシドは見逃さなかった。
「セリス。おまえには、何か心残りがあるのではないか?わしにはそう見えて仕方がない……」
「心残りなんて、ないわ。旅は終わった。……これからは二人で生活をしていく。そうでしょ?」
「わしも、最初こそセリスと二人でひっそりと暮らしていこうと考えた。……だがな。それは、わしの身勝手におまえを付き合わせているのではないか?」
「違うわ!私は……」
思わず腰を浮かしかけたが、片手を上げたシドに制される。
「違わんよ。……わしは隠居するべき人間だ。だが、セリス。おまえはまだ二十歳にも満たない歳だろう?さすがに隠居には早すぎる。……おまえはもっと、人と関わるべきなのだ」
そっと、シドの枯れた手先が頬に伸びてくる。慈しみに満ちた手つきで撫でられて、何故だか無性に切なくなった。
「……おまえは、仲間たちと出会い、変わった。出会いがおまえを変えてくれるということは、わかるだろう?」
だから、ここで立ち止まるな。そうシドは言った。
「おまえがわしと一緒に生きると言ってくれたその瞬間に、わしは今までのすべてが、報われたのだ。……心配せずとも、わしはいつでもおまえの家族だよ」
「おじいちゃん……!」
セリスはたまらず、シドを抱きしめた。
セリスがシドを思うように。シドもまた、セリスを思っていてくれた。
「おまえの思うように生きなさい。それがわしの願いだ」
シドは、ぽんぽんと背中を叩いてくれた。シドの体は細かったが、どうしようもないくらいあたたかかった。
一粒、ぽたと涙が落ちる。途端、涙はぽろぽろと止めどなく流れ落ちてきてしまった。
自分は、途方もない愛情をもらっているのだと思う。そして、それに応えることが、愛を返すことになるのだと、思った。
気がつけば、子どものように泣きじゃくっていた。シドにあやされて呼吸が整ってきてから、セリスはようやく、覚悟を決めて口を開いた。
「…………おじいちゃん、あのね……実は、二人で……」
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