マシュセリ

恋のはじまり5題×2


 
 10、温もりに泣きたくなった

「シドと一緒に、フィガロに来るつもりはねえかな」
 それはすべてが終わった別れ際の、唐突な提案だった。
 澄み渡る空が、馬鹿みたいに綺麗な朝だった。

「あの人くらいの技術者なら、フィガロだったらいくらでも食っていける。これから兄貴は政治にかかりきりになるだろうし、シドが来てくれたら、すごく助かる」
 両手を包むように握られて、ぽかんとして彼を見上げたまま、話はちゃかちゃか進んだ。
 シドにフィガロで働いてほしいから、それに一緒に付いてこないか、ということだと、最初は思った。
だが。
「それだけじゃなくて、だな……」
 その提案だけでも十二分に呆気にとられていたというのに、マッシュは改めて言葉を組み直したのだった。
「セリスに、フィガロへ……いや!俺のところへ来てほしいんだ!」
「えっ?」
 予想だにしない言葉に、セリスは身体を硬直させた。
 私に、フィガロに来て欲しい?いや、マッシュのところに?シドのおまけではなく?何故?
 頭での理解が追い付くと、今度は頬が熱くなっていくのがわかった。
 考えてもみなかったことが今まさに、起こっているのだと。
「え、えっ……それって、その、あの、つまり……」
 マッシュが、私を?駄目だ、さっきから疑問文ばかりが浮かんでいる。いま必要なのは問答ではないし、はたまた理由でもないというのに。
 行くのか、行かないのか。ただそれだけだというのに。
 一度、マッシュは深く、頷いた。
「セリスが一緒にいてくれないと、どうにもダメみたいだ。……今ここで返事してくれとは言わねえけどよ」
 マッシュ、と思わず彼を呼んだ。ずるい人だ。返事を急がせることもしない。
 無理矢理さらっていってくれたら、どんなにか楽だったろう。けれどそんなセッツァーみたいなキザなこと、彼がするはずもない。それに、そんなことをしたって何の意味もないことだ。
 マッシュはすべて、わかっていてくれていた。セリスが孤島を離れない理由も、どれほどシドを愛しているかも、彼はよく知っていた。
 だからこそ、悩み、考え、その上で。
「好きだ。……だから、フィガロで待ってる」
 ここに来たらいいと、彼は言うのだ。
 にっ、と笑ったと思うと、マッシュは手を離して踵を返した。そしてそのまま、仲間たちに手を振って船から降りていってしまった。

「……って、いやいや!あり得ないでしょ!!あの筋肉ダルマが!プロポーズした!えっ?あれプロポーズだよね?」
「ううむ……マッシュ殿があんなに流暢におなごを口説くとは……流石の血ということでござろうか……?」
 双子が降りてしまうと、昇降口で突っ立ったままでいたセリスの背後からは、戦々恐々とする仲間たちの声が飛び交った。
「しかしのぅ……驚いたゾイ」
「そうかしら?私はそこまでびっくりしてないわ。だって二人はとても仲良しだったじゃない」
「……俺も、ティナと同感かな。なるほどなぁ。やっぱりそうだったのか、って感じだ」
 仲間たちの素直な感想に、徐々に恥ずかしくなる。そりゃあそうなのだ、周りから見れば、単なるロマンスの現場でしかない。
「ねぇセリス~!フィガロで待ってる、だってよ~?」
「きゃっ」
 ドンと腰元に、にやにや笑ってリルムが抱きついてきた。
「すごい愛されてるじゃん!もちろん行くんでしょ?」
「えっ?」
「えっ?行かないの?」
 セリスは答えられずに、硬直した。
 いや、そもそも、これを決めるのはシドなのだ。
 シドは権力や支配を嫌っている。純粋な力は、それらによって簡単に歪められてしまう。そしてそれを止められないどころか、助長してしまったから。今日まで続いた悲劇の連鎖は、シドから始まってしまったのだった。
 だからこそ、再び力を悪用されぬためにも、静かにあの島に隠れていようと決めたのだ。
いや。だが。セリスは迷った。
 このことを伝えれば、シドはまず間違いなく、了承するだろう。シドはなによりセリスの気持ちを優先させてしまうだろうから。
 マッシュの誘いは、震えるほど嬉しい。だが、シドのこころを殺してまで自分の喜びを得たいとは思わない。
 マッシュ。シド。どちらも、自分には捨てられない。
 胸が、痛い。いや、はらわたがきゅうきゅうとする。
「……セリス?平気?」
「あ、ええ」
「まあ混乱するのはわかるよ。あんな、言い捨ててさよならー!なんてさぁ?悩むに決まってるじゃんね!」
「そう、ね……」
 悩なければいいのだろうか、とふと思う。こんな選択肢は、与えられなかったとしたら。
「あ、そうだ!傷男に、セリスは最後に下ろしてって言ってくる!」
 待て、という言葉は、彼女には届かない。リルムは子ウサギのようにすばしっこく、船主の元へ走っていってしまった。

 そうして孤島に飛空艇が到着した頃には、もうとっぷりと日が暮れてしまっていた。最後の乗客を下ろした飛空艇は、一日ここで過ごすらしい。
 疲れたんだよ、とセッツァーは愚痴ったが、恐らくはセリスを待ってくれるということだろう。
「……ただいま、おじいちゃん!」
 無事に、生きてこの島に戻ってくることができた。その喜びは、確かにあった。
 手荷物片手に小屋へ駆け込むと、シドはゆっくりとセリスに微笑みかけてくれた。
「おかえり、セリスや。……無事に帰るのを待っておったよ」
 待っていた、と優しく言われて、ずきりと心が痛む。
「……うん。怪我してないわけじゃないけど、この通り、元気で帰ってこられたわ」
 こくりと頷き、シドは椅子に座るよう促す。それに応え、セリスが腰を落ち着けると、シドは神妙な顔つきでこちらを見つめた。
「ケフカは……死んだのか?」
「ええ。それに……魔法も、ね」
 魔法も消えたことは、すでにシドの予測内だったらしい。シドは落ち着いた様子で、ひとつ咳払いした。
「そうか。いや、ならばティナは?」
「無事よ。もうトランスも魔法もできないけれど……彼女にそんなものは必要ないわ。ティナには、みんなと生きていける力があるもの」
 モブリズで、子どもらに慕われる彼女の姿。生き生きとした、笑顔を浮かべていた。ティナは、人間なのだ。
「……セリス。それは、おまえもだ」
「え?」
 弾かれたように視線を上げると、シドの深い眼差しとぶつかった。
「おまえももう魔法の力はない。だが……だからこそ、おまえにも人々と生きていく力があるはずだ」
「おじいちゃん?何を言ってるの?」
 セリスはにわかに、焦った。その焦りを、珍しくシドは見逃さなかった。
「セリス。おまえには、何か心残りがあるのではないか?わしにはそう見えて仕方がない……」
「心残りなんて、ないわ。旅は終わった。……これからは二人で生活をしていく。そうでしょ?」
「わしも、最初こそセリスと二人でひっそりと暮らしていこうと考えた。……だがな。それは、わしの身勝手におまえを付き合わせているのではないか?」
「違うわ!私は……」
 思わず腰を浮かしかけたが、片手を上げたシドに制される。
「違わんよ。……わしは隠居するべき人間だ。だが、セリス。おまえはまだ二十歳にも満たない歳だろう?さすがに隠居には早すぎる。……おまえはもっと、人と関わるべきなのだ」
 そっと、シドの枯れた手先が頬に伸びてくる。慈しみに満ちた手つきで撫でられて、何故だか無性に切なくなった。
「……おまえは、仲間たちと出会い、変わった。出会いがおまえを変えてくれるということは、わかるだろう?」
 だから、ここで立ち止まるな。そうシドは言った。
「おまえがわしと一緒に生きると言ってくれたその瞬間に、わしは今までのすべてが、報われたのだ。……心配せずとも、わしはいつでもおまえの家族だよ」
「おじいちゃん……!」
 セリスはたまらず、シドを抱きしめた。
 セリスがシドを思うように。シドもまた、セリスを思っていてくれた。
「おまえの思うように生きなさい。それがわしの願いだ」
 シドは、ぽんぽんと背中を叩いてくれた。シドの体は細かったが、どうしようもないくらいあたたかかった。
 一粒、ぽたと涙が落ちる。途端、涙はぽろぽろと止めどなく流れ落ちてきてしまった。
 自分は、途方もない愛情をもらっているのだと思う。そして、それに応えることが、愛を返すことになるのだと、思った。
 気がつけば、子どものように泣きじゃくっていた。シドにあやされて呼吸が整ってきてから、セリスはようやく、覚悟を決めて口を開いた。

「…………おじいちゃん、あのね……実は、二人で……」

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