マシュセリ

Lost Memories

 夕闇に染まっていく空を、甲板でずっとセリスは眺めていた。
 まるで消える直前の炎のように、赤く燃える夕陽。目を細めてそれを見つめながら、しかし頭の中は自身のことで一杯で。結局のところ、興味もないと思っていた『未来の自分』に一番固執しているのは己だったのだ。
 変化を嫌っていたのではない。ただ恐れていただけだ。知るのが怖かった。本来なら無限にある選択肢が自分にだけは無いことが、怖かった。理不尽だと思った。
 それでも、関係ない、と切り捨てられるわけがなかった。それがまかり通るなら、この世界のすべてが関係ないことになってしまう。

「あ……セリス?」
 か細いようで、しかし何故かはっきりとした声で呼ばれ、顔にかかった髪をどかしつつセリスは振り返る。
「ティナ」
「……ああ、もう日が落ちてしまうわね」
 ティナは夕陽に目を向けながら、セリスの隣に近寄ってきた。赤く照らされた彼女の髪は、神秘的に光っていた。
「今日も一日が終わる……そして、明日の始まりに繋がっていく」
「……そうだな。当然のことだ」
「ええ、当然ね。だけど、とても尊いことだとは思わない?」
「尊い……」
 風に揺らぐティナの髪を見つめ、セリスはゆっくりと頷いた。
「確かに、そうかもしれない」
 そう答えると、ティナは弾かれたようにこちらに振り向いて、笑った。
「やっぱり!」
「……え?」
 そのやけに嬉しそうな表情に、セリスは首を傾げてみせる。
「本当はね、今の私の言葉、セリスが言ったのよ」
「私が?」
「ええ、そう。毎日ってとても尊いねって、貴女は言ったの」
 本心では、忘れてしまった過去の話なんてしてほしくなかった。おまえはセリスでないと言われているような気がしたから。
「……それで?」
 だが、今はそんな気持ちを片隅に追いやって、きちんと話を聞こう。そう思ったのは、先ほどマッシュに理不尽な言葉を投げ掛けてしまった罪悪感のせいだった。
 うん、とティナは一度頷く。
「隣に毎日好きなひとがいる、それがすごく幸せなの、って」
「好きな……ひと」
「セリスはね……そのひとのこと、とても愛してたわ」
 照れもせずそういう言葉を口にするティナに少し驚きつつ、セリスは視線を逸らす。
 やはりいたのか、そういう相手が、と、独りごちる。口にはしないが、皆の態度からして、なんとなくそうなのだろうと思ってはいたが。
「私は誰かに寄りかからないと立てないような、弱い人間になってしまったんだな……」
「それは違うわ」
 思いの外、強い言葉に、セリスは顔を上げる。
「支え合うことを、愛し合うって言うのよ」
「……驚いた。ティナがそんなことを言うなんてね」
「うん。私もたくさん変わったから……」
 照れ隠しに髪を撫でつけ、ティナはやわらかに笑んだ。未だにそんな彼女に違和感を覚えてしまう。
「……ね、私が大切にしていたのが誰なのか、教えてくれない?」
「え……っと。良いの?」
「構わない」
 言ってしまってから、覚悟を決めた。知ったところで何が変わるわけでもない、はずだ。
「うん。……それはね、」

「それ以上言っちまうのは約束が違うんじゃねえか、ティナ?」
 不意に掛けられた声に、セリスもティナも振り向くと、そこには煙草の煙を燻らせて皮肉っぽく笑った男がいた。
「……約束?」
 誰となにを。そう問うつもりのセリスの呟きを無視し、セッツァーは一息煙を吐いた。
「アイツから言うなって何度も念を押されてたってーのに……ったく、アンタのど天然ぶりには脱帽だな」
「だって、セリスが教えてって……」
「それでも言うな、とも言ってたよな? 聞いてなかったか?」
 ティナはしょぼくれて、わずかにこくりと頷く。
「ちょっと待って、さっきからどういうこと? 約束とはなんだ?」
 ちっち、と子ども扱いするかのように指を振り、セッツァーはにやりと笑む。腹立たしいというより、焦らされて切羽詰まった気分だった。
「そりゃあ勿論、言えねえなぁ」
「私に関することを、何故私が聞けない? おかしいだろう!」
「アンタに関係はねえだろ。今のアンタには」
 セリスは思わず奥歯を嚙みしめた。
 これは『未来の自分』の話なのだから、今の自分には関係のないことだと。確かに幾度となくそう言ってきたし、思っていた。だから反論ができない。
 黙ったセリスを見て、セッツァーはくっくと愉快げに声を上げた。
「な? 納得しただろう。アンタにゃ関係ねえ話なんだってよ」
 セッツァーの言葉は、何も間違ってはいない。そうだ、彼はいつも自分が欲している言葉を寄越してくれていた。彼の言葉を聞いて、自分は自分で良いのだと思えた。
 それなのに。
 それなのに、心のどこかが喪失した記憶を求めるかのように、何かを追っていた気がする。大切な何かを探し続けていた気がする。
「……わかった」
 ふ、とセリスは短く息を吐く。
「そんな約束をする奴だ。その人は、私の記憶を無理に戻そうとはしなかったに違いない」
 それは即ち、ロックではないと言うこと。それは転じて、答えとなる。
 その名前は喉元まで来ていた。思い返せば確かに彼以外には考えられないのだ。だが、いかんせん確証がない。
 セッツァーもティナも、固唾を呑むようにじっと黙っていた。もしかしたら、二人は敢えて気づかせたのかもしれない。
 そうして二人を交互に見返していると、なにやら不思議な感覚が頭を支配した。まるでそれは、いつか見たような情景。異常なまでの既視感。いや、言うなればそれは記憶なのか。
 ぐにゃりと視界が歪む。と思ったら、世界が回っていた。
 身体に走った鈍い痛みは、ずいぶん後にやってきた。セリスは呆けたように、その場に倒れた。

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