マシュセリ

Lost Memories

「セリス! 次はこれなんだけど……」
 相変わらずのロックの質問攻めに、セリスは眉を寄せながら首を振り続けていた。彼はどうしてか必死になって記憶を戻そうとしている。だが、その理由はわからない。
 そんなにも自分は大切な何かを忘れてしまったのか。いや、それ以上に、自分はそんなにもロックと大切な時間を過ごしたのだろうか。
「ロック」
「なんだ? 何か思い出したか?」
「いや、そうではなく……物はもういい。何か話をしてくれないか。私と貴方の」
「話? ……」
 すべては彼が知っている。彼から聞けば良いのだ。セリスは軽く腕を組み、ロックを見据えた。ロックは一度視線を床に向けてから、それに向き合った。
「そうだな。俺は……俺たちは、サウスフィガロの地下牢で出会った」
「ああ。ティナにもそう聞いたな」
「捕らえられたおまえを見て、敵の敵ならば仲間だ。だから助けた」
 言い放った途端、ロックは何度も首を振った。
「いや、違う。……今のは嘘だ」
「……なにが?」
「そんな理由じゃなかった。おまえを助けたのは……死なせたくなかったからだ」
「何故だ? 初めて会ったのに」
「ああ、そうか……レイチェルのことも忘れてんだよな」
「レイチェル?」
 その名前の響きに何かしらの不安を覚え、セリスは胸元を握りしめた。なんだろう、知らないはずなのに、ひどく胸がざわつく。
「レイチェルは俺の、」
 ロックがその名を呼ぶ度に。
「……すまないが」
 気がつけば、彼の言葉を遮るようにセリスは立ち上がっていた。
「急用を思い出した。失礼する」
「セリス?」
「話はまた今度改めてにしてくれないか、すまない」
「おい、セリス……」
 呼び止める声に耳を貸すこともせずに、セリスは駆けるようにロックの部屋を飛び出した。
 強い足取りで廊下を抜けて、そのまま甲板に出て風に当たりたいと思った。頭が痛い。血脈がどくどくと鳴り、耳の奥にまでその音が満ちていく。
 苛立っているのか、或いは恐れているのか、自分でもよくわからなかった。

「よぉ」
 突然横から掛けられた声に、セリスは過敏に反応して立ち止まる。
「……セッツァー……」
 壁に寄りかかり、セッツァーはわずかに口角を上げた。
「ひどい顔色だな。やたら急いでどうかしたのか?」
「別に、なにも」
「今までロックの野郎のとこに居たんだろ。また例の質問攻めか?」
 セッツァーはどこか愉快そうに言い、腕を組んだ。
「ま、そろそろウンザリしてもおかしくないかもな、ずっとあの調子じゃあ」
「……そういうわけでは、ない」
「へえ、じゃあ何だ? まさか悲しんでんのか?」
 軽々しい言い方をされて反射的にセッツァーを睨むと、しかし怖いほど真っ直ぐな瞳で返されて、セリスは思わず目を逸らした。
「……関係ない話だ」
「俺にか? それとも、今のアンタにか?」
「それは、……わからない……」
 肩を落として、セリスは唇を噛む。知りたくて、ロックに尋ねたのに。怖くて、聞くのを拒んだ。
「言っておくが、俺は聞かれても答えねぇぜ」
「聞く? なにを」
「それはアンタが一番わかってるだろう?」
「私は……私は、なにも、何も知らない」
「そうだな。或いはそうだろう。だが……アンタは知っている。だからそんな顔をしてる。違うか?」
 セリスはゆっくりと、目の前の男を見つめる。相変わらず無愛想な表情で、セッツァーはこちらを見ていた。
「……いいか。アンタが記憶喪失になったのは本当だ。アンタは俺たちと過ごした時間を忘れちまった。だが俺たちは覚えてる」
「わざわざ言われなくてもそんなこと、わかっている! わかっているが、それは私のせいではない!」
 その言葉に、セッツァーはにやりと笑った。
「そうだ。アンタのせいじゃない。だからそんなに気にすんな、わかったな」
 軽く言い放ち、セッツァーは壁から離れて歩き出す。
「……どこに行くの?」
「船長室に決まってんだろ」
 そういえば、彼はこの飛空艇の所有者なのだった。その黒いコートが廊下の角に消えていくまで、セリスはその場で立ち止まっていた。

「一つ、提案なのだが」
 翌朝、船内の全員が集まる食事時にセリスは唐突に口を開いた。
「提案?」
 隣の席のティナが小首を傾げたのに頷きを返し、セリスはテーブルの中心に視線を向ける。
「私たち以外にも仲間がいるのだろう? その仲間たちを探してはどうだろうか」
 今までずっと自分の記憶を戻させることばかりをしてきたのに、一向になにも進展がない。時間の無駄だろうし、なにより記憶など戻らなくても構わないのだとみんなに言いたかった。
「でも、まだセリスの記憶が……」
「それも、みんなに会えば思い出すかもしれないし」
「……それは正直、あまり期待できないね」
 セリスの適当な理由を、エドガーは腕を組んで否定した。
「物ではなく人が君の記憶の鍵ならば、我々以上の存在はいない」
「……大した自信だが、なにか根拠でもあるのか」
 ふ、とエドガーは優美に微笑んだ。
「君の記憶の中に、ね」
「……兄貴」
 セリスが何かを返すより先に、マッシュがまるで咎めるかのようにそう呼んだ。それを一瞥してから、セリスは改めて言い直す。
「記憶はまだ戻っていない。可能性があるなら試したい、だから他の仲間を探さないか?」
「試したい、ねぇ……」
 くっく、と意味ありげにセッツァーが喉を鳴らした。
 そちらに目を向けることもなく、セリスはじっとエドガーを見つめる。なんだかんだ彼がこの旅の指揮権を持っている風なのは、既に理解していた。
 エドガーはやわらかく目を細めた。
「却下だな」
「何故だ?」
「いちいち君が記憶喪失だなどと説明するのは単純に手間だし……かつての仲間たちが共に戦ってくれるとは限らない」
「説得をすれば……」
「そうだね、説得をすれば或いは……だが、君にそれは出来ない」
 ぐ、とセリスは言葉に詰まる。
「忘れてしまったかと思うが、我々はみな、君の説得で旅をしようと心に決めたんだ。君がこの旅の始まりなんだよ」
「……私が?」
「酷なことだが、君がいなければ、この旅は成立しないんだ」
「エドガー、言い過ぎだわ。……セリス、大丈夫?」
 ティナがそっと肩を抱いてくれたが、セリスはただ押し黙ったままで拳を握り締めていた。
 知らない。なにも知らないのに。忘れたことはやはり罪なのか。喉の奥が、苦しい。
「……まあ、さ。ゆっくり思い出せば良いじゃんか。俺はセリスが早く思い出せるように手伝うだけだ」
 ロックが繕うように口にした、思い出すという言葉が、神経を逆撫でした。
「おい、なに良い感じにまとめてんだこの泥棒やろうめ」
「なんだと? 飲んだくれギャンブラーに言われたかないね!」
「お~、悪口にも品がねぇんだなぁ」
「おまえなんかに品性を語られたくねぇよ!」
 思わず酷い言葉を口にしようとしたが、それはセッツァーとロックの口論の始まりによって出所を失った。
 もやもやしたまま口を閉じると、不意にマッシュの視線に気がついた。彼はじっとこちらを見ていた。それと視線が交わるか否かというところで、セリスは慌てて目を逸らした。
 いつからだろう、一体いつから見られていたのか。あの青い瞳。帝国では、あんなに純真で強い目を見たことがない。
 だから慣れていないだけだ。そうセリスは自分に言い聞かせた。

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