階段

未来へ

 砂漠の乾いた風が、さあさあと音を立てて吹き抜けていく。城の窓から入ってきては、綺麗に掃除された城内に絶え間なく砂を届けてくれる親切な風は、するすると城内の奥まで届き、ティナの緑の髪を揺らした。
「ああ……気持ちの良い風ね」
 自然を感じるのはなによりも、心地よい。この城は砂漠のど真ん中にあって、陽射しと砂ばかりが周りにあるが、こうして吹き抜ける風を特に気持ちよく感じられるので、悪いばかりではない。
「……ティナ様。ご要望のものをお持ちしましたが、入ってもよろしいでしょうか?」
「あ、ええ!もちろん」
 声掛けに、ティナは揚々と応えた。するすると入室してきたメイドは、革の鞄をテーブルに広げて笑った。
「こちらでいかがでしょう?良い職人がつくっておりますから、いずれもオススメです」
「ありがとう、……わぁ、本当に。どの便箋もとってもかわいらしくて素敵ね」
 鞄を占めているのは便箋の山で、いずれもカラフルで手が込んだ模様をしており、思わず小躍りしたくなってしまうほどだった。
「……ここから選ぶのは大変ね。どれも素敵なんだもの」
「そうですね、職人に聞かせてやりたいお言葉です。……でも、迷うのも楽しいことと存じます」
「そうね、難しいわ……ふふ。エドガーにも聞いてみなきゃ」
「陛下は……ティナ様の選んだものならなんでも素晴らしいと仰るに決まっております」
 メイドの辛辣な言い方に、しかしティナはつい笑ってしまった。エドガーの言い様が目に浮かぶ。
「ところで、エドガーは?まだ忙しい……?」
「ああ、そうですね。……そろそろ休憩のお時間かもしれません。私がお声がけして参りますわ」
「ありがとう」
「いいえ。たぶん、陛下は放っておいてもティナ様のところへお見えになられると思いますから……」
 エドガーはあれから、女性への挨拶は辞めてはいないが口説いたりということは控えるようになった、らしい。違いがよくわからないので、あまり変わったようには見えないが、こうして何より優先してくれているのはわかっていた。
 置いていってもらった便箋をいくつか触って、その素材感を確かめてみる。すべすべしたり、ざらざらとしていたり、様々だった。モブリズ宛にはこれがいいかも、と二つほどを端に除けて、また残ったものを眺めて、触れて。
 しばらくそうこう悩んでいると、慌てたような靴音が響いてくる。
「……ティナ!待たせたかい?」
 少し髪を乱して慌てて現れたその姿に、思わず口元が緩んでしまう。仕事の合間を縫ってはこうしていつも気遣ってくれているのはよくわかっていた。
「そんなに急がなくていいのに。……大丈夫?」
「まあ大丈夫、……と言いたいところだが、最近は少し無理をしている」
「ええっ?」
「これからまとまった時間が必要になるだろう?色々な準備もあるしね。だからできるだけ、無理してでも片付けているんだ」
 すとんと椅子に腰掛けると、エドガーはテーブルに肘をついて片目を瞬いてみせた。たまに冗談らしきことを言う時に彼がこうするというのは、少し覚えてきた。
「さて、手始めに……これだな?」
「あ、うん。……招待状の便箋、いっぱい用意してもらったんだけど、余計悩んでしまって。いくつか候補は考えたけど……」
「うん。……どれも確かに、誰宛てかよくわかるよ。ティナに頼んで大正解だったな」
 先ほどいくつか取り分けて並べておいた便箋を、エドガーは頷きながら眺めて、くすくすと笑う。
「おや、でも意外だな。セリス達に花柄なのは、どうしてなんだい?」
「ああ、それはね。セリス、お花のいい匂いがするるから……きっと好きなんじゃないかなって」 
「なるほど、……納得だ」
「それにマッシュもそうじゃない?セリスと同じ匂いがしたもの」
 おや、とエドガーが切れ長の青い目を見開く。
「よくわかるね、……君の目はただ美しいだけでなく、見るべきところを見逃さない力もあるんだな」  
 多分ほめられたのだろうと、ティナは曖昧に微笑んでみる。途端、エドガーもにこにこと笑った。
「……なあに?」
「いや。君をこうして眺めているだけで、心の奥から癒やされてくるんだ。とても不思議なことだけど……わかるかい?」
「それはわからないけど……」
 ティナの答えに一度苦笑して、それでもエドガーの目はどこにもいかない。
「私も、エドガーを見ているのは好きよ」
 え、と途端にエドガーは固まる。
「私を見てくれている時、エドガーは一番優しい目をしているでしょう。それがわかるから、貴方の目を見ている時間が好きなの」
「う、うむ……光栄だな」
 何故か気圧されている風なエドガーに傾げつつ他の用紙も確認してもらおうと、手に取ろうと伸ばした手を、上から包まれる。
「エドガー?」
「ティナ、君は本当に、……参ったな、どんどん敵わなくなるよ」
「?あの、それよりこっちの便箋も見てくれる?」
 もちろん、と言いつつ肩を落としたエドガーにくすくす笑って、ティナは便箋を広げた。
 これから進む道に、どれほどの苦しさが待ち受けていたとて。こうして二人で立っていられるのなら、きっと大丈夫なのだと。エドガーの傍にいると、ただ真っ直ぐにそう思えた。
 これからは、自分に出来ることを、少しずつ。モブリズの皆と、フィガロの皆と。愛する人達と共に、歩んでいく。

 ふわりと、風に乗って青い香りが鼻をくすぐる。
 あたたかな日射しの下、セリスは真っ白な洗濯物を干していた。
 後ろでひとつにまとめた髪が、のどかな風に揺れて流されていく。顔にかかる前髪を払って、真っ青な空を仰ぎ見る。
「うん、今日も素敵な天気。……」
 寒さも薄れてきたこの頃、日々の色々なことにも慣れて、周りの景色を楽しむ余裕も出てきた。
 新緑に彩られた山々が春の到来を教えてくれている。遠くからは鳥の囀りが響いてきて、人の気配はなくとも山の景色は賑やかに見えた。
 なんて穏やかな日常なのだろうと、何度も思ってしまう。思わずため息を漏らして、腰に手を当てて辺りを見つめる。
 昔見ていた鉄の町より、何倍も美しく、心が落ち着く。平和で、のどかで、穏やかな場所。ぱたぱたと風にたなびく洗濯物が、また一層穏やかさをかもし出す。

「……セーリス?」
 途端、ふっと上から影ができて、眩しさが遮られる。
「きゃっ」
 いきなり後ろから抱きすくめられて、セリスは思わず声をあげた。
「ちょっと、何するのよ!」
「おう。洗濯終わったとこみたいだから、つい」
「つい、じゃないわよ……危ないでしょ?」
 ぴ、とセリスは自身の腹部を指し示す。自分ひとりの身体なら転ぼうが何しようが気にしたりしないが、今はそうではない。どこまで気をつけていいかの加減がわからない以上、やれることは全てやる他ないのだ。これがいつもの反応となりつつあるせいか、マッシュは苦笑した。
「そうだな、悪かったって」
「本当に悪いと思ってる?貴方って、結構……反省しないわよね」
 首周りを包む逞しい腕をぺしりと叩いたが、離れる気配はない。まあいいかとそのままにしているうちに、あたたかさがじんわりと身体に馴染み、むしろどうにも離れ難くなっていく。
「……そもそも、何か用事があったんじゃないの?怪我でもした?」
「ん?まあまあ……もう少しだけ」
 耳元に低い声で囁かれると、なおさら何も言えなくなる。意外と甘えたがりだと知るのは己だけなのだからと思えば、許す以外の選択肢はない。エドガーの言葉を借りるなら、でかい図体してるくせに、とでも言うのか。
 修行のために春まで山に籠ると言う彼から、離れなくて良かったとつくづく思った。冬の寒さもマッシュがよく気遣ってくれて、どうにか乗り越えられた。それなりに山暮らしでもやっていけるのだと思えたし、二人だけでの生活も、なんとかやっていける、ようだとわかった。
 どのみちセリスの手仕事はどこでだって出来る、というよりむしろ、原材料が豊富にある山の中の方が良かった。
「まったく。暇ならオウレンでも取ってきてもらおうかしら」
「お?こないだも取らなかったっけ?」
「需要があるのよ。オウレンの薬、町では結構売れるみたいなのよね」
 結局、ダンカン夫妻から薬について学んだのはマッシュではなく、セリスの方だった。弟子でもないのに教えてもらえるものだろうかと思ったが、むしろ大喜びであれやこれや何から何まで教えてもらってしまった。山で作り上げた薬は、たまに来る商人に町で売ってもらっている。
 魔法のない世界で、簡単には怪我も病も治せなくなった。だが、そんな特別な力が無くても、人々を癒やす方法はある。
 これからは奪う以外の生き方を、進んでいきたい。
「師匠も奥さんも、後継者ができて喜んでるからなー。俺も鼻高々だ」
「もう。春薔薇が咲いたら貴方に花の軟膏を作ってもらう話、忘れてなんてないのよ」
「わかってるわかってる、それはもう少し楽しみにしてもらってさ、…………ん?」
 ぴく、とマッシュが動きを止めて一方向をじっと見つめた。耳を澄ましてみると、ぱたぱたという軽やかな羽音が、こちらに近づいてくる。
「お、あれは伝書鳩だな。誰からだろ?」
 以前はモブリズだけの連絡手段だった伝書鳩は、復興中の各地で重宝され、いまや全世界に普及していた。通信機、というエドガーの発明もあるが、それには通信網の準備に加えてエネルギー源の用意も必要となるため、まだ実用化には至っていない。
 真っ白な鳩は、前に伸ばしたマッシュの片腕にすとんと止まった。首を傾げて待つ鳩から荷を取ってやり、その装丁を確認する。
「あら、随分厳重に運んできたのね。……」
「革張りのリュックかあ、重たかったろう。……お疲れさまだ、よしよし。いつもありがとな」 
 セリスに半ばもたれかかったまま、マッシュは指先で鳩の頭を撫でる。人に慣れているため、鳩は大人しくしていた。
 鳩ばかり構っているその両腕からするりと抜け出して、セリスは手紙の裏表をくるくると確認した。
「……ああ、やっぱりエドガーからね」
「お、じゃあ俺宛てかな?」
「そう、……あら、違うわね。ティナとの連名で、私達宛て……」
「……てェことは?」
「良い報せに違いない、かしら?」
「だな!じゃあお茶でも淹れてゆっくり読むか」
「ええ、そうしましょうか。お願い」
 うん、と頷いてから、マッシュは一度ぎゅうとセリスを抱き寄せて、するりと先に小屋に入っていく。一通りの家事はセリスもできるが、お茶の腕は全くマッシュに敵わなかった。そもそもマッシュの淹れるお茶が一番好きなのだから、それも当然のことなのだが。
 庭先にある切り株のテーブルに座って待っていると、マッシュがにこにことポットとカップを運んできて、ついでに朝焼いた胡桃のパンも並べてくれた。こんな山の中にも関わらず、途端にテーブルの上が豪華になる。茶器は白地に青の柄が入った上品なもので、それを手に取って注いでくれるその手つきもまたそこはかとなく上品で、その姿をなんとなく眺めているのか、あるいは見とれているのかわからなくなってくる。
「?なんだ、そんなに見て」
「えっ?い、いいえ」
 今更こんな風に照れたこと自体が恥ずかしく、誤魔化しながら差し出されたカップを受け取る。ふうふうと熱い紅茶を冷ましながら飲むと、口の中いっぱいに香しい花の薫りが広がった。ほくほくと胸をあたたかくさせながら、手紙を開くマッシュの手元を覗く。
 便箋は花柄のかわいらしいもので、ほのかに香りがつけられているようだった。こんな風に手を入れてくれたのはエドガーなのか、ティナなのか。
 だがその気遣いに比べて、そこに書かれた文言は至ってシンプルだった。エドガーとティナからの、結婚式への招待状。二人で揃って目を丸くさせて、それを繁々と眺める。
「ついに、結婚するのかぁ……!」
 嬉しそうに、マッシュはセリスを片手で抱き寄せた。
「良かったわね……エドガーも、ティナも……」
 セリスはカップを置いて、その胸に体を預ける。
「でも長かったよなぁ。あの兄貴がよく我慢したよ、ホント」
 世界で唯一機能する国家であるフィガロは、冗談を言う暇もないほど忙しい。ケフカを倒した直後はセリスたちもサウスフィガロに逗留して色々と手伝っていたのが懐かしく思える。
 その頃はモブリズも復興に力を注いでおり、ティナはフィガロとモブリズを行き来していた。子どもたちにとっては、どれだけ荒廃しようと大切な唯一の故郷。皆で共にフィガロに、というわけにはいかない。これは、フィガロとモブリズの間を結びつけてようやく成った結婚、なのだった。
「愛の力なのかしらね」
 口にしてみると、思いの外恥ずかしくて、セリスは苦笑した。
「だなぁ。あれで兄貴、一途っていうか……まあ挨拶癖は治ってないみたいだけど」
「あれは……治らないでしょうね」
 マッシュが優しすぎるのと同じくらいに、エドガーの悪癖も一度死にかけたくらいでは治らないだろう。それでもティナを不幸せになど絶対にしないことだけは確かだ。 
「式にはみんな来るのかしら? 皆と揃って会うのなんて、すごく久しぶりだものね、楽しみだわ」
「皆にも送ってるって書いてあるぞ、それから……最後はティナからセリスにひと言あるな」
「えっ?」
 手紙の最後、かわいらしい字がすらすらと躍っているのを改めて見つめる。
 これでセリスとは姉妹になるんだね、と無邪気に書いてある。
「姉妹……」
 そうか、とセリスは目を見開く。考えたことがなかったが、確かに。
「そうだな、ってことは、セリスが妹か。……ティナ姉さんだな、あ、それは俺もか?ハハハ!」
 陽気に笑ったマッシュに、セリスはゆっくりと体重をかけて寄り掛かった。エドガーとマッシュが兄弟なのだから、そのお互いの家族同士も、系譜の上では家族になる。
「……家族、って。増えるものなのね」
「え?」
 物心ついた時から、すべて無かったものが。無くなっていったものが。今はすべて、この手の中にある。
 セリスはゆっくりと、自身の腹を撫でた。もう一人の愛しい存在もまた、ここに息づいている。
「当たり前なのかもしれないけど、それってとても……尊くて、奇跡的なことだわ」
「……ああ。そうだな」
 優しく、マッシュが頭を撫でてくれる。マッシュがいたから、今の自分がある。そのマッシュに、また色々なものをもらってしまった。
「じゃ、明日辺りサウスフィガロに帰ろうか! 師匠たちにもこのことを伝えたいしさ」
 にこ、と笑うマッシュは、とてもまぶしくて、あたたかで。それに釣られて、セリスは笑んだ。

 暗い道を、獣のように走ってきた。
 暗闇の底から助け出してくれたひとは別の道を見つめ続けていて、その人生とは交わることはなかった。
 それでも、どんな暗闇の中にあっても、ずっと明かりを灯して傍にいてくれたひとがいた。そのあたたかな光が、苦しいときにいつも優しく支えてくれた。そのぬくもりがなければ、この道の先で、きっと段差に躓いて、ここまで来ることは叶わなかった。
 言葉にならない感謝と愛しさを、ただ彼を抱きしめることでしか伝えられないけれど。抱きしめ返してくれるその力強い腕から、この心は伝わっているのだろうと思う。
 これから続く、どれほど長い階段も、この人となら何も怖くはない。
 失った力以上に、確かなものを自分は彼からもらったから。この世界で、大切な人達と共に一生懸命、生きていきたい。共に戦い、この手で守った未来を、共に進んでいきたい。
 
「なあ、セリス。俺と一緒にいてくれて、ありがとな」
 ふるふる、とセリスは首を緩慢に振った。そして、微笑む。
「ずっと一緒よ、これからも。……だって、私の傍にいてくれるのでしょう?」
 
 

コメント

タイトルとURLをコピーしました