階段

守りたい人

 波の音が聞こえる。ざあざあと一定のリズムを刻むその音だけが、世界のすべてかのようだった。それ以外の音は、まるでなにも聞こえない。人々の営みの声、鳥のさえずり、虫の音は、いくら待っても耳に届きはしなかった。それが一体どうしてか、果てしない暗闇の中ではわからなかった。
 ふいに、潮騒とともに思い出す。笑った顔が、本当に似合う人。まるですぐそこに彼がいるような気がして、セリスは目を開けた。

「……?」
 目の前には、古びて傷んだ天井があった。絶え間ない波の音が、遠くから聞こえている気がする。しばらくぼんやりとそのまま耳を澄ませてから、四肢に力を入れてみて、自分が五体満足に生きていることを知る。
 何がなんだかわからず、ベッドを軋ませてセリスはゆっくりと上体を起こした。小さな、小屋だ。見覚えはない。
 ここはどこで、自分は一体どうしてこんな風に寝ていたのか。思い出そうとしても、断片的な映像しか頭に浮かばなかった。皇帝の裏切りでレオが死に、決戦に向かい、そして、そして。
 その時、ガシャンと何かが落下した音がして、セリスは弾かれたようにそれを振り返る。
「……シド?」
 そこに立っていたのは、素朴な男性だった。帝国一の科学者という威厳もなにもなく、ただ朴訥とした雰囲気だった。それがシドであるとわかるのは、幼い頃に見慣れたその姿に戻っていたように見えたからに違いない。
 足下で割れた皿を気にもせず、シドはセリスをただ呆然と見つめていた。
「セリス……気がついたのか」
 そうして涙ぐんだシドは、以前よりひどく痩せ、衰えているようだった。

 シドは、目覚めたセリスに様々なことを教えた。世界崩壊のあの日、帝国大陸全土は、地震の後、巨大な津波に襲われた。流されるままこの孤島に流れ着き、生き残りを探している最中に、浜辺でセリスを見つけたこと。意識を失ったままのセリスは、一年間眠ったままだったこと。
「私……そんなにも眠っていたの? 信じられない……」
 通りで頭だけでなく体全体が重いような気がするはずだった。一年もの間、寝たきりで動かしていないのなら当然のことだろう。
「おまえが眠っている間、段々と島の草木は朽ちていき、海は濁っていった。他に島にいた人達もついに絶望し、海に身を投げて……この島にいるのは、もうおまえとわしの二人だけだ」
「二人だけ……」
 ケフカのせいで世界は引き裂かれた。そうだった、とセリスはようやっとそのことを思い出した。ケフカを斬ったものの殺せず、奴は暴走し、飛空艇は大破して仲間達は皆、空の彼方に放り出された。
「世界は……もうこの孤島以外にはないのかもしれん」
「……みんな、……死んでしまったのかしら……」
 帝国に屈せずに生きる者達、あるいは屈しながらもその日を生き延びていた者達。そして共に帝国と戦った、仲間たち。そのすべてが。
 窓から見える海の向こうに、陸地は見当たらない。今は何も考えたくないと、セリスは目の前のシドを見つめた。
「……私の看病を一年もしてくれてありがとう、シド」
「いや……わしは魔導研究で苦しむティナやおまえを、ずっと見ないふりをしてきた……これくらいで贖罪になるとは思っていないよ……」
「シド……もう、過去のことよ。それに……私はこの力を受け入れているわ。何度も私や仲間を救ってくれた」
「セリス……わしを、許してくれるのか……」
「シドは私にとって唯一の親代わりの人なのに、許すもなにもないわ」
 本当は、ガストラ皇帝とレオも。だが二人は死んだ。ガストラの最期は、飼い犬に裏切られて、惨めなものだったのを思い出す。
 幼い自分を知り、育ててくれた人は、もうシド以外にはこの世にいない。帝国の記憶はすべて、国が滅びるとともに消え去ってしまった。こんなにも呆気なく、帝国は潰えた。
「そうだ。シド、……おじいちゃん……って、呼んでもいい?」
 えっ、と一旦シドは顔を上げてから、すぐに目元を手で押さえる。
「……ああ、いいとも……こんなわしで、良いのなら……」


 まずは体力を取り戻そうと、セリスは朝晩と剣を振るった。剣は飛空艇の上で手放したような記憶はあったが、セリスと共に島に流れ着き、シドが手入れをしてくれて、今も変わらぬ切れ味のまま、その刀身は鈍く光っていた。
 孤島でのシドとの生活はひどくささやかで、あたたかなものだった。ただ二人きり、荒廃した世界にいながら、血の匂いを感じることのない日々。終わりを待つだけの、閉じた世界。海で採った魚をシドに渡し、剣を片手に海辺へ舞い戻る。帝国にいた頃には考えもしなかった、素朴な一日。
 世界の終わりが来たというのならば、このままシドと二人でずっと小さな島で過ごしていたいと、そう思った。その一方で、日に日に迷いは大きくなっていく。
 本当にみんなは、死んでしまったのか。本当に、自分にできることは、何もないのか。このままゆるやかに終わりを待つだけが、本当に自分の望みなのか。
 遠く広く、茜の海は何も答えない。波の音を聞きながら、セリスはひとり、浜辺に座った。長い影が、砂浜に伸びる。
 確かめたい。世界の全てを。
「……でも、……」
 シドを置いていくことは、どうしてもできなかった。本当にこの孤島以外に世界がないとしたら、シドはたったひとりになってしまう。
 膝を抱え、セリスは小さく踞る。
 シドを置いて行く気はない、のに、体力が戻ってきた今も毎日剣を振るっている。それは、体が鈍ってしまうから、というのを理由にし続けるには、無理がある。
「……どうしたらいい? 私は、……」
 進むべき道がわからなくなって、或いはそんな道などあるのかすらもわからず、縋るようにじっと海を見つめる。
 真っ赤な海。いつか、見たことがある。そう思って、セリスははっとした。
 砂浜に、何か光るものが埋まっていた。震える指先で、それを掘り出す。姿を現したのは、一枚の小さなコインだった。世界にひとつしかないだろう、両表のコイン。大切な預かり物。
「あぁ、そうだった、……そうだわ」
 途端、忘れかけていた誰かの声がぐるぐると脳内を駆け巡った。どうして今まで忘れていられたのか不思議なくらいに、その声は鮮明だった。苦しい時に隣にいて、励ましてくれた。寄り添おうとしてくれた。最後の最後まで、彼は戦う意志を秘めた目でセリスを見ていた。
 彼はきっと、生きている。生きていて欲しいと願って、あの時魔法をかけたのだから。このコインがセリスの手元にある限り、彼は生きているはずだ。
 行かなくては。突き動かされるような衝動に、セリスは立ち上がっていた。

 居ても立ってもいられず、とにかく慌てて小屋に帰って、セリスは大声でシドを呼ぶ。
「おじいちゃん! ……おじいちゃん?」
 小屋にいたはずのシドの姿が、なかった。セリスは狭い小屋の中を必死に探す。まさか、そんなに人が隠れられるような場所などないのに。そしてようやく、ストーブの横に不自然な扉があるのに気がついた。
「?……なにかしら、この……」
 不審に思いながらその扉に手を掛けようとして、突如その扉が開いた。
「! なんじゃ、セリス!? 帰っていたのか」
 扉の内から現れたシドは、セリスの姿を見てひどく驚いたような表情を浮かべる。
「おじいちゃん?なにしてたの?」
 セリスのシンプルな問いかけに、しかしシドはずいぶんと思案してから、ひとり頷いた。
「うむ。見せた方が早いじゃろう……こっちへおいで。たった今完成したところじゃ」
 シドに手招きされ、よくわからないままセリスはその扉の奥に足を進める。シドの持つ小さな火種だけが、狭い通路を照らす。
 開けた空間にあったのは、小さなイカダだった。
「……?これは……どういうことなの?」
 ふ、とシドは笑う。
「おまえが毎日剣を振るっているのを、わしは見ていた。おまえは希望を捨てていない……前に進む意志を、捨ててなど、いない。ならばわしは、おまえに希望を預けようと思ったのだ」
 希望。たったそれだけの言葉が、ひどく胸に響いた。
「わしの心配はいい。おまえが行きたいのなら、その心のままに、そうしなさい。……もう帝国はこの世にない。将軍でもリターナーでもない、ただのセリスとして、おまえのその足で、行けるところまで行ってみるといい」
「……おじいちゃん」
「わしがおまえにしてやれるのは、こんなことだけじゃ」
 セリスは、砂浜で見つけたコインをぎゅうと胸元に握りしめる。行きたい。そう、思った。自分には何も出来ることはないかもしれない。何も為し得ないかもしれない。それでも、ただ、行きたい。潤みそうになる目を拭い、強く頷いた。
「ありがとう、おじいちゃん。私、みんなを見つけて、きっと……帰ってくるから……!」


 シドに見送られ、セリスは茜色に染まる海を小さなイカダで旅立った。
 冷えた風と潮の流れはセリスをゆっくりと運んでいく。この先に何があっても、何がなくても。進む足を、止めたりはしない。
 誰もいない海の上、ちっぽけな自分をただ感じる。これまでの旅路をひとり思い返して、後悔に背中を掴まれそうになる度に、ただひとつ持つ小さなコインを握り締めて、祈った。迷わずに、折れずにまっすぐ歩き続ける強さを、己に分け与えてくれるよう。
 やがて、眼前に大きな影が見え始めた。
「……あれは……何?……」
 天を貫こうかというほどの、醜い塔が建っていた。寄せ集めの瓦礫が積み上がったかのような、歪な山。その頂上から感じられる、禍々しい魔力。
 間違えようもない、ケフカの魔力だった。一年前のあの日、皇帝を殺し、飛空艇をへし折り、仲間達を傷付け、世界を壊したあの、力。
 あそこに、ケフカがいる。セリスはじっと、それを睨んだ。
 奴は生きている。そして今なお、世界を破壊しつくそうとしている。
 孤島でのんびりと過ごすことなど、どのみち許されなかったのだろうと、セリスは思った。いつか奴に見つかり、あるいはずっと監視されていて、滅びの時を自ら選ぶことすらできなかったのだろうと。
 あんなものが聳え立つこの世界に、どんな希望が残っているというのだろう、と、不意に不安が心の隙に芽吹く。それでも、そんなことよりも。ただ、今は前に進まなければ。コインを握り締め、自らをひたすら励まし続けるしかなかった。

 やがて、塔の根ざす大陸が見えてきた。広大な大地の影に、息を飲む。どうやら、そのすぐ傍に町もあるようだった。
 世界はまだ、滅んでいなかった。
 良かった、とセリスは思わず呟いて、うまく表すことのできない感情を胸に抱きながら、大陸に渡った。

コメント

  1. 以前からのストーカー より:

    修正作業、お疲れ様でした!
    だいぶ佳境に近づいてきましたね
    この後のダンカン師匠との再会やらその後のムフフ(死語か?)が楽しみでたまりません

    ただ1つだけ気になっていることが以前からありまして…
    フンババの属性は雷なのでサンダガだと回復させちゃうような気が…

  2. な、な、な、なんて初歩的なミスをそのままにしていたんでしょう……?!仰るとおりです……ご指摘ありがとうございます!修正しておきます……
    10年くらい謎のシーンになってたわけですね……(笑)

    • 以前からのストーカー より:

      お疲れ様です!

      忙しいところに嫌味ったらしい指摘、申し訳ないです
      この間フンババ戦やったもので…
      日記を拝見しましたがお仕事が相当大変そうですね
      自分はテレワークなので通勤ないだけ楽してるので多少忙しくても問題ないんですが、たらこさんは出張だの出勤だの会議だので飛び回っているようでお身体が心配です
      体壊さないよう本当に気をつけてくださいね

      • いえいえ!とんでもない、最終的に直さなきゃならない点だったので、むしろご指摘助かります!ありがとうございます。
        ピクリマ進めてたら気付いてたかもなのにな~…
        ご心配もありがとうございます~ごはんは食べられてるので、大丈夫です…!

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