ゴミ箱

それでも君に出逢えた

 賑わいを見せる夜の繁華街。
 通りに面して建ち並ぶ店は、どれも活気と客に溢れている。
 港も近いこの町は、いつでも明るく陽気なムードが流れていた。

 だが、どんな町にも影の部分はある。
 メインストリートの奥、一旦狭い路地に入れば、空気はガラリと変わる。
「兄貴。あんまり俺から離れないでくれよ、頼むから」
「あのなぁ、誰が好き好んでおまえみたいな筋肉の塊にすり寄らなきゃいけないんだ」
 兄は端正な顔をこれでもかと歪め、こちらを見上げる。
 そんなに嫌がられても、こればかりは仕方がないのだ。今から行くところは別名暗黒街、合法国家フィガロでその存在を知らぬ者はない。
 そこは王でさえ簡単に手出しの出来ない無法地帯。いや、正確には法はあるのだが、それはフィガロの法とは全く異なる、ただの非情なルールでしかない。
 こんなところに来るのをばあやに許してもらえただけでも、信じられないくらいだ。

「マッシュおまえ、まさか部屋にまで入ってくるつもりか?」
「んなわけねえだろ!! ……兄貴が遊んでる間が、俺の貴重な休憩時間なんだからな」
 ここら一帯の国王である兄の遊郭癖にも困ったものだ、とマッシュは大きな肩を落とした。
 わざわざ買うくらいなら、御触れでも出せばわんさか女は集まるだろうに。
「そうか、いやー、おまえには苦労をかけるな。すまんすまん」
「……もう少し心を込めて言えよな」
 だが、それでもマッシュは兄を止めない。
 国王業がどれほどの責務か、わかっているから。それをすべてこなす兄の、ささやかな道楽を奪い取るほど薄情にはなれなかった。
(全ッ然ささやかじゃねえのが問題なんだけどな)

 暗黒街の遊郭は売られた女たちが働いている場所であり、一応はそれの視察という体で、兄は護衛も実弟のマッシュ一人に限っていた。
 実際、確かに視察はしているらしいのだが、基本的には遊ぶことが目的なのはなんとなくわかっている。
 双子というのは数奇なもので、相手の考えの大半はぼんやりと読めてしまうのだ。
「……じゃ、ここまでで構わん。迎えはいつも通り、朝に来てくれ」
 一見して何の変哲もない宿屋の前で、兄は立ち止まって言った。
「はいはい。お楽しみあれ」
「おまえ、呆れてるな。言っておくがこれは立派な……」
「わかってるよ。俺も早く町を回りたいんだから、兄貴も早く行けよ」
 城から遠出できる機会は、そうない。わざわざ自分を護衛につけてくれている理由には、そういう気遣いも含まれていると知っていた。
「言われなくても、そのつもりさ。じゃあまた後でな」
 やけににこやかな兄を見送り、マッシュはくるりと踵を返した。

 暗黒街を一人で歩くのは、女なら絶対にやめた方がいい。そういう奴らに捕まれば、問答無用で遊郭に売られる。
 だが、男でも出来ればよした方が懸命だ。人間でさえあれば、売れるところは五万とある。マッシュは見た目のおかげで今まで襲われるようなことはなかったが。

 もちろん、ここは国王が来るような場所なんかではない。
 だから、兄はただの貴族としてあの娼館を訪れている。
(……他の腐った貴族連中も、かなりあそこで見かけるらしいし。……もはや公認なんだよな、あの無法地帯は)
 貴族が顔を出しているという事実は、兄の「視察」のおかげで見つかったことだ。
 撤廃しようにも、貴族たちが不思議とそれを嫌がる場所。恐らくなんらかの癒着関係があるのだろう。それが暗黒街であり、フィガロの闇といえる。
(帝国との関係悪化が問題になる前に……早く掃除した方が良いとは思うんだけどな)

 とにかくこの界隈から出ようと、マッシュは入り組んだ路地に向かっていった。
 ここは分かれ道が多く、初めて来たときはかなり迷ったが、二度目、三度目ともなるともう慣れた。

「……?」
 男の、悲鳴がした。
 思わずマッシュは立ち止まり、耳を澄ませる。

(やっぱり聞こえるな……)
 確かに物騒な地帯だが、今までこんなことはなかった。
 生来の好奇心と正義感を振りかざして良いような場所でないとわかってはいても、足はすでに動き出していた。

(もしも貴族の不祥事に関連してれば、見過ごせないよな)

 危険なことに首を突っ込まなければ、なにも得られない。マッシュは人通りの少ない夜の町を駆けた。

「……!おい、大丈夫かっ!?」
 角を曲がったところで、石畳に倒れ伏す男が唐突に視界に入ってきた。
 慌てて駆け寄り、声をかけると、切れて血が流れる唇を動かして男は呻いた。
「どうした? なにがあったんだ」
 傍に膝をつき、マッシュはゆっくりと尋ねた。
「…………おんな、が」
「女?」
「……向こうに……」
「あっちか? ……女にやられたのか、あんた」
 うるせぇ、と切れ切れに言い放ち、男は手の甲で唇を拭った。
 その様をじっと見つめて、マッシュは眉をひそめる。

(格好からして、ろくな奴じゃねえな。多分、女に逃げられたんだろう)

 面倒な事態、なのかもしれない。が、ここで見捨てられるわけもない。
 マッシュは立ち上がり、男が指差した方向に向かって走り出した。

「……ティナをどこに連れていったの」
「な、なんだよこの女!?」
「おい!! なにしてる、早く取り押さえろ!!」
「私は、ティナがどこにいるか聞いてるのよ」
「ぐぇっ」
 一瞬、マッシュはその光景に怯んだ。

(なんだ、これ)

 一人の女が立っていた。その足下に倒れた男たち二人と、女と睨み合う男が三人。
 その全員は一様に呆然として彼女を見ていた。
 ふわ、と女は金の長い髪を風に揺らし、無言で立ち尽くす。
 聞かずともわかる。先ほどの男をやったのもこの女だ。
 相当強い、が。

「おまえたち、何をしてる!?」
 マッシュは、庇うように女の前に躍り出た。
「……っ!?」
 突然現れた体躯の良い男に驚いたのか、女は碧い瞳を大きくさせる。
「貴方、誰!?」
「安心しな。俺はあいつらの仲間じゃねえから」
 小声で言い返し、鋭い視線を男たちに向ける。
「多勢に無勢、助太刀するぜ」
「なんだオメェは!? だいたい誰なんだよ、テメェらは!!」
「汚い言葉遣いだなぁ。それに女一人にこの人数……教育がなってねえんだな、うん」
 いきりたつ男たちを前にして、マッシュは腕を組んで自国の民を憂いた。
 余裕綽々といったそのポーズに、男たちの中で一際身体つきの良い一人がズイっと前に現れる。
「気に入らねぇな、兄さん。正義の味方の真似は他所でやりな」
「女が売られてるとこ見て黙っていられるほど、俺は悪人じゃあないんでね」
「……いいだろう。かかってき……っ!?」
 既に、マッシュは低く腰を落としていた。
「悪いな、ちょっと時間がない」
 それに返事をすることなく、男は体を折ったままで背中から壁に衝突した。
 その光景を見た残りの男たちは、顔を真っ青にして固まっていた。

「なあ、君、誰か探してるのか?」
「えっ?」
 振り返って、呆然とマッシュの戦いを見ていた女に問う。
 こうして繁々と眺めると、女はかなり美人だった。あの腕っぷしの強さを考えると、ひどくアンバランスなほどに。
 女は困ったような表情を浮かべ、マッシュを見上げた。
「ええ、そうなの。私の友だちがこいつらの仲間に連れてかれてしまって……それでここまで来たんだけど」
「おし、わかった。……おい、あんたたち!! 連れてった娘はどこだ?」
 頼みの綱だった大男をやられ、残った男たちは震えるように一方向を指差した。
 それににこりと笑ってやり、マッシュは女に視線を戻す。
「さ、行こうぜ」
「え……でも、貴方には関係が」
「なくないだろ、もうこんなに関わっちまったんだしな」
 親指で、壁にめり込んだ大男を示すと、女は戸惑いながらも頷いた。
「ありがとう。……ええと」
「ああ、そうか。俺はマッシュだ」
「マッシュ。……本当にありがとう。私はセリスよ」
 彼女の微笑みは、やはり驚くほど美しい笑みだった。
「セリスか。うん、じゃあ行くか!」

 巡り合わせとは数奇なもので、出会ってからわずか数分で、彼らは同じ道を走り出していた。

 男たちの指し示した方向は、ほとんど一本道だった。
 突き当たりまで行け、と言われて真っ直ぐ走ったが、律儀に嘘はついていなかったらしい。
「ここにティナが……」
 マッシュの前にいたセリスが立ち止まり、目の前の建物を見上げる。それに倣い、マッシュも首を動かした。
 一見して、ただの安宿といった雰囲気。ここはその裏口だろう。
「あれ?」

(なんか、ここ……見たことあるっていうか)

「行きましょう!」
 あ、と我に返り、慌ててセリスを引き止める。
「待てよ。俺が扉を開ける」
 何が待ち構えているかわからない。女に怪我をさせるわけにはいかないと、問答無用で彼女の前に進み出た。
 ゆっくり回したノブの感触からして、扉は施錠されていない。
 背後のセリスに目配せしてから、マッシュは扉を睨んだ。
「……行くぜっ!!」

「おや?」
 その時、耳に飛び込んで来たのは、聞き慣れた声だった。
 扉を勢い良く開け放ち、赤い絨毯の敷かれた室内が目に入る。
 数人の男たちが、絨毯に寝転んでいる中心。
 そこに立っていたのは、まさしく実兄であった。
「あ、兄貴っ!?」
「ティナ!!」
 マッシュの背後からセリスが飛び出す。
 兄の傍らにおどおどとしながら立っている少女に向かって、セリスは今までにないほど感情的な声を上げていた。
「ティナ、大丈夫だった? 心配したのよ?」
 緑の美しい髪を揺らし、ティナはほわりと微笑む。
「大丈夫よ。この人が助けてくれたの」
 ティナの細い肩を掴み、セリスは心底安堵したように息をついた。
「良かった……」
 そのままその場に座り込むほどに安心している彼女を見てから、マッシュはまばたく。
「ってか兄貴、なんでここに?」
「それはこっちの台詞だ」
「あ、そっか」
 はあ、と兄は憂いのある表情でティナを見つめる。
「さすがに、嫌がるレディは見過ごせないよ」
「でもこれじゃ絶対出入り禁止になるぜ?」
「そこが問題なんだよな」
「……あの、お話し中、悪いんだけど」
 居心地の悪そうな声に振り向くと、セリスが興味深そうにこちらを眺めていた。
「なんだ?」
 問い返すと、答えたのはセリスではなくティナの方だった。
「エドガーさん達、私とセリスを助けてくれて本当にありがとう」
「礼には及ばない。当然のことをしたまでだからね」
 遊郭の客のくせによくも言う、と内心思いながら、マッシュはにこりと笑う。
「君がティナなんだね、本当に無事で良かった」
「ありがとう。……ええと」
「マッシュ」
 ティナにそう名を告げたのは、セリスだった。
 ティナはセリスを見つめてから、またマッシュを見上げた。
「マッシュさん、ね」
「呼び捨てで良いよ」
 そう、と笑ったティナは、子犬のような可愛らしさがあった。
 確かに彼女みたいな娘が暗黒街をうろついていたら、捕まるだろう。
 セリスもかなりの美人なのだし、男を倒してしまうほどの強さがなければ、彼女も危ないところだった。
 そうこう考えていると、兄がやけに低い声で囁いた。
「……三人とも、あまり悠長に話してはいられないみたいだぞ」
「え?」
「騒がしくなってきた。とにかくここから逃げよう」

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