襲いかかってきた魔物を切り捨て、セリスは剣を鞘に収めると、一度肩で息をした。少し数が多かっただけで、限界には程遠い。
「大丈夫か?セリス」
それなのに、青いバンダナを揺らし、ヘーゼルの瞳で心配そうにセリスの顔を覗き込んだのは、リターナーの同志であるロックだった。
セリスは一瞬ぎくりとして、口元に手をやる。そして平静を装おって、ロックを見やりもせずにこくりと頷いた。
「……問題ない、いちいち気にしなくていい」
ロックはきょとんとして、そうか、とだけ答えると、それ以上は何も言わず、カイエンとマッシュのほうに向かっていった。
それを横目で見やってから、セリスもややゆっくりとそちらに向かった。まだ心臓が早鐘を打っているのを感じながら。
幼い記憶を、思い出そうとしたことはない。冷たく寒い、孤児院の記憶。間もなく帝国軍に拾われて、孤児院での生活は短かった。それでも、思い出す必要性もないほどその薄暗い記憶はセリスに深く刻み込まれていた。
男の吐息。
(大丈夫、痛くないから)
(大丈夫、怖くはないから)
そんな言葉とは裏腹に、その行為は体を引き裂くかのごとくセリスを蝕み、泣き叫んでも行為は止まらず、大人の体躯に押さえつけられて。
こんなこと、今考えるべきではない。セリスは思わず首を振って、その感覚を葬り去った。三人から少し離れた位置に立ち、セリスはぎゅと唇を引き結ぶ。
「よしっ、コーリンゲンの村はすぐそこだ。疲れもあるし、今日は村で休もう 」
ロックが少し場違いな明るく声でそう言うと、フィガロのモンク僧、マッシュがそれよりも明るく、賛成!と答えるのが聞こえた。フィガロの王家の血を引くというこの男、陽気さなら一番で、適当に返事をするだけでもにかりと笑うので、比較的気が休まる相手といえばそうかもしれなかった。その声に、セリスは顔を上げて頷いてみせた。
もう一人の仲間であるドマのサムライ、カイエンもまた、ロックの提案ににこりとして応えたが、ロックとマッシュの二人が歩きだした途端にセリスに視線を寄越すと、表情を一変させた。ドマは帝国に毒でもって滅ぼされた。元帝国将だったセリスに対して憎悪や疑念を剥き出しにするのは、至極当然のことだった。
「……私に何か用か?」
努めて冷静な声で問いかけると、カイエンは厳しい目付きでセリスを見据えた。
「貴様に用などありはせぬ。ただ、恩人に対してその態度を取り続けるというならば、その程度の人間であると自ずと知れるものだと思っただけでござる」
ロックへの態度を言っているのだろう。セリスは返事出来なかった。
「おいおいカイエン、どうかしたか?」
「いや、なんでもないでござるよ。村まで急ぎましょうぞ」
「おう、そうだな。セリスも離れすぎずについてこいよ!」
険悪な雰囲気は、マッシュの大きな声で吹き飛ばされる。カイエンは眉間をやわらげると、くるりと踵を返してそちらへ歩いていった。ややあってから、セリスもその後を追った。
コーリンゲンの村は、戦争とは無縁なほど穏やかだった。だが、この村にも以前、帝国の小隊が急襲したことがあったのだという。
ロックの恋人は、その時に命を落とした。そして彼は、リターナーとなった。そんなことを、ロックは宿屋の食堂でぽつぽつと語った。
セリスには何を言う資格もなかった。地味な水差しからコップに水を注ぎ、乾いた唇を湿らすようにほんの少しだけ、口にした。
「……皆、帝国に何かを奪われ続けているのでござるな」
ぎゅうと音がするほど、カイエンは拳を握りしめていた。
「拙者は……言うに及ばぬほど、あらゆるすべてを……かの国に奪われた。拙者の力不足があったとはいえ、あのような非道をこれ以上野放しにはできんでござる」
「そうだ。その為には……まずは帝国にこれ以上の力を与えないことだ。エドガーもバナン様も、ティナのことは必ず守りたいと言っていた」
「ティナのあの姿は……なんだったんだろうな」
マッシュが不意に、セリスに視線を向けた。何かの返事を期待しているようだったが、残念ながらセリスは答えを持ち得ない。
「……ナルシェでも言ったが、私はあのような姿は見たことがない」
セリスはそう答えて、口を閉ざした。少なくとも人間では、ないのではないか。そうは言えなかった。言ってしまえば、同じ力を持つ己もまた、そうということになりはしないかと。
「彼女とはほとんど交流もなかった。生まれながらにしてあの力を持っていたために、特別な待遇がなされていたことは確かだが……」
無理に続けた言葉は、暗に、己とは違うのだと、言いわけめいたものになってしまった。そうか、とマッシュはあっさり頷いて、たくましい腕を組む。
「ってことは……ティナの親御さんはどんな人だったんだろうな?」
「えっ?」
「?だって、そうだろ。生まれながらにってことは、そのご両親ももしかしたら同じ力があったのかもしれない」
「あ、……ああ、……言われてみればその通りだが」
単純な推察なのに、セリスはそれを考えもしなかった。ティナも孤児院か何かから拾われて来たのではと、ずっと思い込んでいた。そうでなくば、必ず親が帝国内部の権力者として台頭しているはずだ。それがないのだから、ティナの親戚は帝国の人間として生きてはいない。
「……少なくとも、彼女の親戚は存在していないのだと思う。他にそういった力を持つ者は聞いたことがない」
「なあセリス、そもそもそういう力は血縁で受け継がれるものなのか?」
「それは……私にもケフカにも子はいない。わからない」
セリスもケフカも初期からこの魔導の力を手に入れたが、戦に実用するほうが優先だったこともあって、子を成すことは実験していない。それは救いでもあった。
セリスは唇を噛んだ。あんな、おぞましい行為。二度としたくもない。されたくない。思い出したく、ない。
「……セリス?」
マッシュの不思議そうな声に、はっとする。
「とにかく……これ以上は私にわかることはない。……すまない」
「いや……国家機密なんだ、いち将軍とはいえ知らないことの方が多くても仕方ないさ。俺たちリターナーも、帝国の内部まで潜入できた者はほとんどいない」
「なんだよ、ロックだったら簡単にできるんじゃないのか?」
「まあな。必要になれば、必ず俺がやり遂げてやるさ」
「ほう、やはりロック殿は素晴らしい密偵なのでござるなあ……」
「密偵っていうか、ドロボーなんだろ?」
「……トレジャーハンターだ!」
ロックの言葉に、マッシュとカイエンは笑っていた。釣られてセリスも少し、笑ってしまった。
夜になると、辺境の村は真っ暗な闇に閉ざされる。天を仰げば美しい星が大きく見えたが、暗闇を打ち払うにはあまりに微かだ。
なかなか寝付けず、セリスは虫の音だけが響く暗闇をふらりと歩いていた。
昼間から、なにか、南の方に感じるものがある。強いちから、のようなもの。夜になり人影が辺りから消えると、その感覚はより鋭敏になった。たしかに、そちらに、いる。そう思う。コーリンゲンの子どもたちは、南に光るものが飛んでいったのを見ていた。それは恐らくティナに違いない。では、この感覚の大元はティナの魔力だろうか。
この世から消えていたはずの力を持つ彼女を、世界が欲している。帝国も、リターナーも、彼女の秘密を暴きたがっている。だがどうにも、祝福されたものではない真実がそこに横たわっているような気がして、セリスは眉をしかめた。
不意に、ざくり、と枯れ葉を踏みしだく音が辺りに響いた。わざと、こちらに気づかせようと音を鳴らしたのだろう。気を遣っている人間の足音だとわかっていれば、不必要には警戒しなくてもいい。
「おっ?セリスか?」
「ああ」
ひょこりと暗闇から現れた明るい金髪に一度またたいて、セリスは簡素に応える。大きな人影がマッシュだとはっきりわかると、セリスは体をそちらへ向けた。
「お互い夜更かしってのは珍しいな」
「……そうだな。あまり不審な行動はできないから」
「カイエンのことは……」
「気にしていない」
セリスははっきりと首を振り、言い切る。ああいった態度自体をいちいち気にしていたら、どんな軍部でもやってはいけない。
「ドマは……独特で美しい国だと聞いたことがある。そのすべてが毒に汚されたというなら、……憎まれても仕方がない」
「……俺は兄貴の言ってた通り、帝国に住む人間すべてを憎んでいいとは思わない。きっと自分の国を憂いている人たちが、セリスみたいな人たちが隠れてるはずだ。……隠れるしかできない人たちも、きっといるんだ」
いつになくまじめなその声色に、セリスは思わず目を見張る。思い返せば、マッシュがリターナーとして戦う理由を、よく知らない。
俺の話なんてつまらんかもしれないが、とマッシュは前置いて、言葉を続けた。
「俺も昔は、不幸なことを帝国のせいに違いないって、憤って……どうして正面から戦わないんだって、そんな周りのことも憎らしく思えた。けど……戦うことはみんなにできることじゃない。戦えない人たちを守れるほどの力。それほどを持ちえなければ、戦うことを簡単には選べやしないんだ」
「……その通りだと思う。帝国は……戦えない者たちの命さえも容赦なく奪うのだから」
ああ、とマッシュは相変わらず低い声で応える。だが、暗闇でにこりと笑んだのが見えた。
「そんなのを相手にして、セリスは戦うことを選んだ。俺は、それはすごいことだと思ってるぜ」
「すごくなど……」
ドマでの悲劇だけではない、帝国大陸に存在していたマランダを始めとする諸国でも同様のことが起きた。だからセリスはここにいる。弱いものをなぶるのは、許せない。どうしても、見て見ぬふりはできない。
「ロックも俺も、セリスが一緒で良かったと思ってる。きっと本人は言わないだろうけど、……ああ見えてカイエンもセリスの剣の腕、認めてるんだぜ」
セリスはほんのわずかな無意識のうちに、マッシュの言葉を噛みしめていた。そうして、己の肩から、力みが消えているのに気がつく。わずかでも安堵している己に驚いた。ふう、と一息ついて、セリスは薄く笑う。
「わかった。もしかしたら、剣ならわかりあえるかもしれないな。……わざわざそれを言うために?」
「ハハ。いんや、セリスは偶然見かけただけなんだけどなあ」
コーリンゲンは俺にとっても思い出の村なんだよ、とマッシュは困ったように呟いた。
「ま、南に向かうなら明日からは野宿だろうからな。ベッドが恋しくなる前にそろそろ休もうぜ」
「マッシュ」
「うん?」
「その。……ありがとう。……少し気が楽になった」
マッシュは一瞬動きを止めてから、快活に笑った。
コーリンゲンから遥か南に位置する、貴族の町ジドールまでは、徒歩で行けばそれなりの日数がかかってしまう。渡されていた路銀には余裕があったので、コーリンゲンでチョコボを借りて南下することになった。
「よしよし。あーっと……セリスはチョコボ、乗れるか?」
チョコボの頭をわしわしと撫でてやりながらロックが純な目で問いかけてきて、セリスは思わず苦笑してしまった。
「心配ない。さすがに魔導アーマーだけが移動方法ではなかったからな」
どうやらロックはサウスフィガロを脱出した時以外でも、よく魔導アーマーに追いかけられてきたらしい。そのせいで、帝国はほとんど魔導アーマーを使っているのだと思っていたようだ。
チョコボの騎乗は旅なれたロックやマッシュほどは上手くはないが、軍人としての並み程度には乗れる。ギサールの野菜を鞍に改めて積みこみ、手綱をしっかり握りしめると、セリスはチョコボを走らせた。
疾走するチョコボに跨がり、ひたすら平原を南へと進んで、二日目。チョコボの速さであればほとんどモンスターから逃げられるので、ここまでほとんど体力を消費せずに済んでいた。
夜営のためにチョコボをちょうどよい洞窟へと入れ、そのすぐ外に火を焚いてテントを立てる。相変わらず全員手付きが良いので、完全に日が落ちるまでには準備が出来上がってしまった。
「恒例の……あれを作るか」
火の前でロックがもったいぶって言うと、カイエンがこくりと頷いた。
「ほしにくと雑草の汁物でござるな」
「ざ、雑草じゃなくて……野草って言ってくれると雰囲気が出るんだけどな」
「何を言われる、雑草は素晴らしいですぞ。そのみなぎる生命力たるや……」
最近知ったのだが、カイエンは案外、話が長い。うんちくを語りだすとしばらく話し続けている。セリスは邪魔をしないよう一歩遠巻きにしながら、カイエンが語るドマの話を聞いた。
ドマには七草粥という文化などがあり、雑草といわれる植物を好んで食すこともあるのだという。
「なあ、カイエン……それより早く煮込まないか?ほしにくを戻すにも時間かかるんだしよ」
そしてマッシュは案外、空腹に根を上げるのが早い。
「む……そうでござるな。ところでこの……ぎさぁるの野菜とやらは、我々は食べることはできないのでござろうか……?」
「食べない方がいいぞ。……少なくとも俺は二度と食べないぜ」
ロックが珍しくひどく苦い顔をするものだから、そこまでのものなのか、とカイエンは目を剥いていた。
「さてと、セリス、ほしにくを切ってくれるか?」
「ああ、わかった」
食事の準備用の小さなナイフをロックから受け取り、ほしにくをテントから取りに行こうとした、その時。獣の臭いが一瞬、鼻をかすめる。近くにいる。
「……モンスター!囲まれるぞ!」
ナイフをテントに投げ捨て、代わりに腰の剣をするりと抜いて暗闇を睨み付ける。一寸遅れて、後ろからはドマ刀を引き抜く流麗な音が響いてきた。
「火に寄ってきたでござるな。……人間がいるとわかっているなら……彼奴ら、人の味を知っているでござるよ」
「俺たちの食料狙いじゃなくて、俺たち狙いってことか」
ザリ、と誰かのブーツが地面を滑る音がする。見えはしないが、全員おそらく態勢は作り終えている。
「ったく。飯時なのは俺たちの方だってのに……火はどうする?消すか?」
「今さら消しても遅い、火を背に陣を……」
マッシュの問いかけに、セリスは構えながら思わずそう言いかけて、だがその一瞬、セリスは己の間違いに気がついた。
「いや、チョコボの洞窟を背に半円を!」
チョコボは大切な旅の足だが、モンスターにとっては鶏と変わらない、ただの肉だ。後ろに下がって構え直すその刹那、火に照らされたカイエンが口角を上げているのが見えた、気がする。
「上!来るぞっ」
一番目ざとく反応したのはマッシュだった。鋭く降下してきた一閃を、正確に籠手で叩き落とす。遅れて飛び込んできた四つのそれも、流れるような拳ですべて撃墜してしまった。地面につぶれるように倒れたのは、鳥のモンスターだった。
「さっすが、やるな!マッシュ」
「おう!だがこいつら、主役じゃあないな」
次々飛来する嘴の鋭い一撃を、マッシュが叩き、漏れたものはロックが投擲武器で仕留める。その間、セリスとカイエンはただ真っ直ぐに、耳を澄ませていた。
「ああ、もっと大きな気配が……」
「……来るでござるよ!」
ベキベキ、と木がへし折られる音が響くと、大きな生き物がこちらを目指して唐突に走り出したのが見えた。かなり大きい。二足歩行のできる、醜悪なモンスターだ。長引かせればこの夜営地がめちゃくちゃになってしまう。チョコボはマッシュとロックがいれば大丈夫だと信じ、セリスは低く構え、火を避けて右前方に一気に飛び出した。モンスターの左脇腹を下から切り上げるつもりだったが、振り上げられた左腕に邪魔をされ、一度間合いを取り直す。途端、モンスターが大きく悲鳴を上げた。
「こちらががら空きでござる」
ドン、と地面に重たいものが落ちる音。それがモンスターの右腕だと気づいて、セリスは思わず笑った。ドマの侍、その切れ味の鋭いことは疑いようがない。
痛みがあるのか大きく身体を振り回し、暴走し始めたモンスターをキッと睨み上げ、セリスも再び剣を構え直す。セリスの使う剣は、片刃の刀ほど切れ味は鋭くないため、剣の重さを利用して、叩き切ることになる。まずはやつより高くなるための足場が欲しい。
刹那にすべてを計算し終えて、セリスは跳躍した。
「凍れ!ブリザド!」
ないものは作ればいい。氷でできた即席の足場を使い、モンスターの頭上に躍り出る。
「首が無ければそうは動けまい!」
体重を乗せて、斜めに一気に剣を振り下ろす。外鱗を裂き、骨格を打ち砕き、スッと剣が軽くなった瞬間に一寸遅れて、緑の体液が勢いよく吹き出た。
と、と地面に着地したのと同時に、やつの首もドンと落下した。追いかけるように、その胴体もズシンと後ろに倒れ伏す。
ふう、と一息、全員がついた。
「カイエン!セリス!ケガないか?」
「ああ。そちら は?」
ぱたぱたと両腕を振っていたマッシュは、こちらの問いにぴっと親指を上げてみせる。
「ロックも無事!もちろん、チョコボもな」
「少し、疲れたけどな……鳥の群れってのはどうしてこう、面倒なんだ」
はあ、とため息をついてみせたロックの頭を、チョコボがはむはむと啄んでいる。感謝なのか、鳥に対する意見の抗議なのか、よくわからないがとにかくロックはチョコボに好かれやすいようだ。その姿に、思わず頬がゆるんでしまう。
辺りが落ち着いてきて、セリスは体液を払い落としながら剣を鞘に納める。モンスターの体液の臭いが立ち籠めていたが、この臭いはモンスター避けにもなる。今夜は少し臭うが安全だろう。火も消えずに残っているのは幸運だった。
「……なかなか、良い太刀筋だったでござるよ」
「えっ?」
「足場を作るのは拙者にはできない……いや、思い付かない芸当でもあった。判断力も……なかなかのものでござるな」
こちらに背を向けながらカイエンが呟くように言った言葉に、セリスは思わず瞬く。どうやらほめられている、ようだ。
「……いや、こちらこそ。侍の技は目が冴えるようだな、刀の威力も凄まじい」
ついほめかえすと、カイエンはぎょっとした顔で振り向いた。そうして、己が仲間にこうした言葉をかけたことがないことに気がつく。
「……そのように素直にしていればよいのでござる」
え、と聞き返そうとするより早く、ゴホンゴホンとカイエンのわざとらしい咳払いに有耶無耶にされてしまった。
無沙汰に振り返ると、ほらな、という表情で、マッシュが笑っていた。
翌朝、再びチョコボに跨がり南下すると、昼過ぎには貴族の町、ジドールにたどり着くことかできた。ティナの魔力の気配は、確かに近づいている気がするのだが、弱っているのか、近すぎるのか、急に方角がわからなくなっていた。だがこの町にはティナの姿はなく、人々に聞いてみると今度はここから北へ光が飛んでいったという。
「北……ゾゾか」
ちっ、と舌打ち紛れにロックが言うので、セリスは首を傾げた。
「ゾゾ?……聞いたことがない」
「地図にはあんまり載ってないだろうな。あそこは吹き溜まりみたいなところさ。治安が悪いなんてものじゃない」
「……そんなところにティナがいるってのか?」
「どうかな。案外、そんなところだからこそ身を隠せるのかもしれない」
ジドールからゾゾは程近く、半日チョコボを走らせれば着くが、チョコボを停めておける場所がないので、仕方ないが歩いて向かうことにした。近づくにつれ空は曇り、雨が降りだす。異様な天気だった。
「ひどい雨だな……なんなんだ?こんなに降るなんて普通じゃないぞ」
ゾワリと、肌を撫でる異質な魔力に、セリスははっと頭を上げた。頬にあたる雨すら構わず、じっとその一点を見つめる。
「何か、……上にいる」
「上に?」
「呼んでいる、……気がする。ティナではないと思うが……敵意はない、と思う」
不意に視界が陰って、顔にぶつかる雨が止む。マッシュが自身の外套を屋根のようにしてセリスの頭上に広げてくれていた。
「あの建物の上か?」
「あ、……ああ」
「何がいるかわからんとなれば、慎重に登るに越したことはないでござるな。……ここは拙者が前を」
するりと音もなくカイエンがセリスの前に出て、ちらとこちらを見た。
「……本調子ではなかろう。良いな?」
セリスよりもマッシュやロックの方が意外そうな顔をしていたが、カイエンは先に階段を上り始めてしまったので、それに気づく様子はなかった。
「ありゃあもうセリスにガミガミ言わないぞ、きっと」
くつくつと笑って言うロックに、マッシュも肩を震わせている。
「マッシュ殿、」
「は、ハイッ!」
「セリス殿を頼み申すぞ。我ら唯一の方位磁石ゆえ……」
「お、おう……任せとけって!」
口調は慌てながらも、マッシュはセリスの肩をぽんと軽く叩いて前へと促して、カイエンの後に続いて高層の建物の階段を上りだす。
「さ、行こうぜ。今回はセリスは真ん中だ」
ぽかんとしてその場に立ち尽くしてしまいそうなセリスに、ロックが笑って肩をトンと叩いた。その笑顔は、なんだか嬉しそうでもあって、なおさら恥ずかしくなる。
「……お手柔らかに、頼む」
顔を隠すために外套のフードを被り、セリスも階段に足をかけた。
上ればのぼる程、魔力の波動が強くなる。肌を突き抜けて五臓にぶつかるような違和感。本調子でないのは事実だった。
先に階段を上るカイエンの斬撃が、頭上で閃いたのが見える。モンスターか何かがいるのだ。
「!……マッシュ、加勢に……」
「わかってる、任せとけ。ロック!セリスのこと頼んだぜ」
「えっ、ちょ、ちょっと……!」
前を行くマッシュは、加勢しに行こう、と思っていたセリスを置いてカイエンの元へ駈け去ってしまう。
「ハハ、張り切ってるな。こうなると元将軍も肩無しだな」
呑気そうにロックが後ろから笑っているが、セリスは眉をしかめた。
「上り詰める間に腕が鈍ってしまう」
「腕が鈍る、か……そうなれば、どれだけ平和だろうな 」
ロックは手すりを掴み、暗い空の向こうを見つめた。どこを見つめ、どこを思うのか。いや、誰を想うのか。
「……セリス殿!ロック殿!お早く!」
計り知れない胸中を見破れはしないかと、そんなロックを見つめたが、頭上からかけられた声に意識が奪われる。
「変なやつがいるのでござる!」
「変?」
「とにかく上へ!マッシュ殿が押されているのでござる!」
「そりゃとんでもないな、セリス!行こう!」
階段を駆け上がると、雨音に混じって激しい殴打の音が聞こえてくる。ここまで水しぶきが飛んできていた。
「くっそ、変な足だな!!」
外套を脱ぎ捨て、雨ざらしでマッシュが構えている。相対するのは赤い胴着の、変な男だ。気配はモンスターだが、どうみても体躯の大きな男に見える。人型のモンスターは珍しい。
「!マッシュ、右!!」
ひゅ、と男の足が伸びた。言葉通り、伸びたのだ。間合いを掴みかねたのか、マッシュの腕の防御は遅い。
「ぐっ」
これほどの修行僧のマッシュが押される相手とは、と思ってここまで来たが、実際むしろよく対応しているほうだ。
「こうなると拙者では助太刀もできぬ……」
「ああ、私たちがいては邪魔になるだけだろうな……」
数歩階段を下がり、マッシュから距離をとる。その間も戦いからは目が離せない。狭い足場をものともせず着地した途端、予備動作もほとんどなく伸びる足が、マッシュの左肩を激しく打った。つい見ているこちらが顔をしかめてしまうほどだった。だがその衝撃に体軸を動かすこともなく、マッシュはにやりと笑う。
「ッは!いってぇな!だが、そろそろおイタが過ぎるぜ……!」
ひゅん、と飛んできた足を、マッシュは両手で捉えて、脇でがっちりと挟み込む。
「そぉらっ!!!」
そのまま無茶苦茶な膂力で男を持ち上げると、手すりの向こうへと勢いよく投げ飛ばした。
「ええっ?!」
ポーンと飛ばされた男は、そのまま雨と共に建物の下へ落下していった。マッシュはちらと下を覗き込み、そして目を背けた。
「さすがマッシュ殿、あれを手で掴むとは……」
「……おう、みんな!片付いたぜ。はやく上ってこいよ、奥の行き止まりに部屋があるんだ」
遠慮して遠巻いていた距離をつめ、セリスはマッシュに近寄る。乱れていた息はそのほんのわずかな時間で戻ってしまうらしいが、受けた打ち身はそうではないだろう。
「行く前に……先に回復を」
「ああ、大したことねえけど……お願いするよ」
珍しく防御しきれなかった時の怪我が、赤黒くアザになっている。それに触れないように手を添えて、セリスは目を閉じた。
「ん。楽になる感じだ。……ありがとう」
「いいえ。まったく、あまりヒヤヒヤさせないでくれ」
「なんだ心配してたのか?ハハ、ありがとな」
腕をぐるぐると回してから、マッシュは陽気に笑った。
「さ、行こうぜ。ここがどうやら最上階みたいだ」
セリスは、こくりと頷いた。
ゾゾの最上階にいたのは、時々暴れながら眠りにつくティナと、自らを幻獣と語るラムウという老人だった。とても信じられる話ではないが、下から感じていた魔力は確かに、その老人から発せられている。それを見ればセリスは頷く他なかった。
己の力に翻弄されているティナを救う手だては、帝国の魔導研究所にあるという。そこには捕らえられた幻獣たちが、帝国の魔導実験に消費されているのだと、ラムウは言った。
魔大戦ののち、結界の奥に逃れた幻獣たち。ガストラはその結界を打ち破り、幻獣を狩った。そして帝国の魔導研究所で彼らから力を奪い取り、セリフやケフカを始めとした人造魔導士に注入し、魔導アーマーを造り、帝国軍を比類なき強さにさせた。ラムウの語る話は、セリスの知っている帝国内部の記憶とよく合致していて、恐らくは、真実なのだろうと思えた。
自ら魔石となったラムウの協力を得て、捕らえられた幻獣を救いだし、ティナを救うために、帝国へ向かわなければならない。
雨が降りしきるなか、上ってきた階段を今度は下ってゆく。全員がラムウの話を反芻し、なにかを考えていた。ティナより先に自身の力の秘密を知り、自然、セリスの足取りは重くなる。
「……ラムウ殿の語る話は、誠でござろうか。拙者にはなんとも……すぐには理解しきれんかった」
重たい雰囲気を裂いて最初の一言をあげたのは、珍しくカイエンだった。
「そうだな、こんな時に兄貴がいてくれれば話は楽なんだけど……少し整理したい気はするな。下りながら、簡単にでいいからさ」
ぽりぽりと頭をかきながら言うマッシュの提案に、全員異論はなかった。
「まず……帝国に行くっていうのは確定でいいんだよな?それってつまり、魔導研究所ってところにラムウのじいさんたちの仲間がいて、実験されてるって話を……信じるってことだよな」
「……嘘ではないと、私は思う」
「セリスはその研究所っての、知ってるのか?」
「ああ。私が……この力を得た場所だ。ラムウの仲間たちから無理やり奪った力が、私に移された場所……」
「そのことも本当なのか……?」
「わからない。私たちは眠らされて力を植え付けられた。何をどうされたのかは明かされなかった」
「そうか……。そういえば、そこにいる幻獣がティナを救えるかもってのは、どういう意味なんだろうな」
「そうでござるな。セリス殿には癒しの力がある。……ということは、そうした力を持った幻獣がいるのでは?」
セリスは答えずに押し黙った。そんなことよりも。本当に、ティナは何者なのだ。あれは本質的に、自分とは全く違う。羨ましいほどに力に満ちている。だが生まれながらにそれほどの魔導の力を持っていたにも関わらず、何故帝国に従わせられなければならなかったのか。それは、帝国がティナを洗脳し意のままに操ったからだ。生まれながらに力があったとしても、自分を守れるわけではない。
後天的にこの、今となっては呪わしいとさえ言えるこの力を得たことを、それでも後悔はしていない。この力がなければ抜け出せない地獄があったことを知っているからだ。だが、もっと早くに力を持っていたとしても、きっと違う地獄を見ただろう。ティナが見てきた地獄は、彼女の苦しみもがき暴れる姿を見れば、嫌でも伝わる。
苦しみばかりが、世界に広がっている。帝国の覇道がために。
「整理した現状、一度本部に連絡を取らねばならんでござるな。……セリス殿?」
窺うように、カイエンが声をかけてくる。セリスはこくりと頷いて、応えた。
「帝国には私が行く。内部にはそれなりには詳しいつもりだ。それに、話を聞いてくれる人も……いるかもしれない」
研究所でおこなっていることに異を唱える者は、ゼロではない。やってはいけないことをしているのだと、帝国の民自身が自覚をしなければ何も変えられない。その一歩を、元凶の場所で進められるかもしれない。
「水くさいぜ、セリス。俺も一緒に行くさ」
「ここまで来たら、行くしかねえよな。兄貴の代わりに一肌脱がせてくれよ」
「……拙者も、ここで降りるつもりはござらんよ」
三者からの同意に、思わずセリスはこくこくと何度も頷いた。
「……ありがとう、ロック、マッシュ、カイエン。私が持つのは呪われた力だが、正義のために振るうことを貴方たちのその信頼に誓おう」
それは違うでござる、とカイエンが静かに片手を上げた。
「その剣の腕は自身で鍛えたものでござろう?そこまで磨いた実力は、決して嘘でも呪われてもいないではないか」
これはな、努力家だなってほめてるんだぜ、とマッシュが耳打ちしてきて、セリスは一瞬考えてから、つい笑ってしまった。
「マッシュ殿!」
ハハハ、という笑い声は、ゾゾに降りしきる雨の音を上書いた。
とはいえ、帝国に行くその手段は現在、ひとつもない。ひとまずジドールに戻り、ナルシェやフィガロにいるエドガーに宛てた報告書をまとめながら、帝国へ渡る道を探すこととなったのだが、その解決は案外早く見つかった。
「お、オペラ歌手に成り済ます?わ、私が?」
「そうだ!名付けて身代わり潜入大作戦!」
慌てているままのセリスの肩をロックが楽しげに押し、気づけばオペラ座の奥で、セリスは台本を渡され立ち尽くしていた。
「ろ、ロック……冗談はよしてくれ」
「まさかあ!飛空艇を手に入れるにはこれしかない、そうだろ?」
にっこりと笑い、ロックは親指をぐっとあげて見せる。なんでも、オペラ座の人気歌手マリアの誘拐を予告した男が飛空艇を所有しているらしく、誘拐当日は飛空艇で現れるに違いない。そこをセリスが代わりになり、飛空艇に潜入し、奪い取る。そういう計画らしい。
「もちろん俺達もできる限りの協力をする。セリス一人に放り投げるつもりはないさ」
「そ、そうか……だが……」
「予告日まで時間はあんまりないんだ、さっそく練習しよう!」
「ええっ……ろ、ロック!あまり無茶を……」
あの日、地下牢で出会った時以来に、ロックに手を握られた。見た目よりもずいぶんと男性的な、がしりとした手のひら。降りほどくほどには嫌ではなくて、どこか心が疼くような手のひら。
「頑張ろうぜ、な?」
困ったように眉を寄せながら言われて、セリスは何も返せなくなる。どうしてこの人は、こんなにもどこか、遠くを見つめるのだろう。このヘーゼルの瞳はどこを見ているのか、きっとずっとわからないと思った。だがきっと、かつての恋人を見つめているのだろうと、ふと思った。
「おいロック、調子どうだ?」
ひょこりと仕切りのカーテンから出てきた顔は、とても高い。マッシュの背の高さは圧倒的だ。
「はは、俺の調子じゃなくてセリスの調子を聞いてやってくれ」
「ん?どうしたんだ、調子悪いのか?」
「い、いや……そういうわけではないが」
「緊張してる?」
「……少しはな」
「そりゃそうだよな。でも練習する時間はあるんだし、心配するなよ」
「そうだろうか……根拠もなく言い切らないでほしいものだな」
「なんだ、ほんとに元気ねえな。これじゃカイエンがガッカリするぜ?」
マッシュの言い種に、ついムッとする。どういう意味だ、と追求するより早く、マッシュが笑って言葉を続けた。
「せっかくセリスがドレス来てオペラやるの楽しみにしてるってのにさ」
「ええっ?!そ、そっち?!」
きょとんとするマッシュに、横でロックがくつくつと笑い出す。マッシュは瞬きしながら、たくましい腕を組んだ。
「?おお、俺も楽しみにしてるぞ」
「も、もういい!早く練習しましょう」
いたたまれなくなり、セリスは台本を握り直してそう言い捨てて、くるりと踵を返した。赤面している己は、恐らく見られずに済んだと思いたい。
「なんだ?セリスのやつ。照れてんのか?」
「さてな。……なあマッシュ、」
「ん?なんだよ」
セリスが去った部屋で、ロックはどかりとテーブルに腰を下ろした。その仕草はひどく投げやりに見えた。
「俺がコーリンゲンで言ったこと……覚えてるか?帝国との戦いの始まりを」
「……ああ」
「帝国に向かって、俺は自分を……抑えられるだろうか」
え、と思わず呟いて、マッシュは腕を下ろしてロックの目を見つめた。ロックは床の一点をじっと凝視していた。
「ロックおまえ……」
余裕のあるように見せかけるのがうまい男だなと、マッシュは苦々しく笑う。セリスの緊張はほぐそうとするくせに、自分の気持ちを後回しにして、こんなにも追い詰められている。
ぽん、とロックの肩に手を置いて、マッシュはにっかりと笑んだ。そして、もう片手で自らの胸板をとんとんと叩いてみせる。
「一人で抱え込むと、ここがやられるぜ。……ダメそうなら俺が殴ってでも止めてやる。任せとけ」
「……バカ、おまえに殴られたら俺が死ぬだろ」
肩が凝るような練習に練習を重ね、ようやくその日は夕方に解放された。
「いやあ、なかなか厳しかったな、先生たち……」
「あんなのが普段からなのかなあ、あれじゃ参っちまうと思うんだが……」
練習を受けたわけではないが、横で見ていたロックたちのほうが辟易しているようだ。かくいうセリスも、ようやく終わったと大きなため息をついて脱力した。
ロックの交渉もあり、オペラ座の団長がしっかりした宿を手配してくれたらしい。ジドールに戻ると、小さな城のような建物に迎え入れられた。既にカイエンが手続きをしてくれていたため、すぐに各自に部屋の鍵が手渡される。セリスは受け取るや否や、すぐに自室へと向かった。無駄に広い居室のこれまた広いダブルベッドの上にぼすりと腰かけ、ひとつ息をついてから、ベルトから鞘を外す。
「今日はすっかり剣の手入れをする時間がなかったな……」
幸いにしてややお高い宿は部屋の中が明るいので、寝る前にやっても大丈夫だろう。しっかり手入れをしておかなければどのみち眠れないのだ。その行動が呆れるほど身に染み付いている。
ごそごそと手入れ道具一式を取り出そうとして、はたと思いとどまる。そういえば、昼間のうちに買っておかなければならないものがあったのだ。すっかりオペラの騒動で忘れてしまっていた。砥石がもうないというのに。
「参ったわね、すっかり忘れてた……カイエンなら持ってるけど……」
果たして貸してくれるだろうか。急ぎでもないのにカイエンを訪ねるのもなにか変な気がする。どうしよう、とセリスはしばらく考えて、しかし結局立ち上がった。
とんとん、と上質な木のドアをノックして、セリスはきゅと唇を引き結んでから、意を決して声をかける。
「夜分遅くにすまない、カイエン……私だ」
中から聞こえていた人の気配が、途端に消え去る。無人の部屋に語りかけているような錯覚を覚えそうな一瞬の後、どたどたと足音がこちらに向かってきているのがわかった。この体重は一人しかいない。
「ま、マッシュ?」
「よう!カイエンに用事か?」
ドアを開けた途端にやたらとにこにこと上から見つめてくるマッシュに、少し気後れしつつ頷くと、招くように大きくドアを開いてくれた。部屋の中はセリスのものと同じつくりだが、テーブルに置かれた小物から煙が一筋立ち上ぼり、不思議な香りに包まれていた。ドマの香だろうか。
「カイエン、その……すまない、頼みがあるのだが」
「頼む前から謝る者がどこにいるのでござる」
ぴしゃりと言われ、それもそうかと頭をかく。カイエン、とたしなめるようにマッシュが呼んで、カイエンはぷいと顔を背けた。
「その。砥石を貸してくれないか?」
ちろ、とカイエンはこちらを見る。そして、首を横に振った。
「剣を持ってくるといい、拙者が研ごう」
「えっ?」
「ええっ?!」
背後のマッシュのほうが大きな声を上げたので、思わずセリスは振り向く。あり得ないことだぞ、とマッシュが目で伝えてくる。
「け、けど自分のものだから自分で……」
「剣を見ればすぐにわかる、あまり得意ではなかろう」
うっ、とセリスは言葉に詰まる。手先が器用な方ではないのは事実だが。
「しかし……」
「明日も練習なのでござろう?」
「だがやはりすべて任せきりなのは……」
「心配せずとも剣を折るような細工はしないでござるよ」
「まあ、まあ。お言葉に甘えさせてもらって、今日はやってもらったらいいじゃないか」
「マッシュ……」
「んで、次とかに研ぎかた教えてもらえばいいだろ?そしたら自分でやれるようになるし。な?カイエン、いいだろ。秘密の技術ってわけじゃないんだろ?」
「それは……そうでござるな」
そうと決まれば早く剣持ってこようぜ、とマッシュが肩に手を置いて、ドアの方に促す。セリスはそのまま押し出されるように一度部屋を出た。
「良かったな、セリス」
一緒に廊下に出てきたマッシュに、にっかりと笑われる。
「あ、ああ……少し驚いたが」
「あれは仲間だって認めてるってことだよ。だからそんなに気後れするな」
頭上にマッシュの手が出されて、顔に影がかかった瞬間、セリスは思わず硬直した。頭の中に、幼い頃の光景がちかちかとフラッシュバックする。大人の手のひらが、真正面から近づいてきて。セリスを捕らえて、そして。
手を出した方のマッシュもまた、自分の手に驚いた表情をして一瞬固まっていたが、すぐにその手をサッと引いた。
「……悪い」
「いや、……こちらこそ、ごめんなさい……」
目の前の相手はあの時の大きな人影ではないというのに、何を今更と、セリスは自嘲した。
「……剣を取ってくる、少し待ってて」
「ああ」
逃げるように自室に戻り、剣の鞘を掴んでようやくセリスの口から安堵の息が漏れる。心臓がうるさい。どんなにひどい顔色をしているのだろう。数度深呼吸してからカイエンの部屋へ行くと、マッシュの姿はなかった。
カイエンに研がれた剣を使う間もなく、セリスはオペラの本番に向けてドレスを着せられていた。二日間に渡る練習は凄惨を極め、気分的にはげっそりしているが、ようやく本番と思うと緊張する。着替えを手伝ってくれたスタッフがセリスをほめてくれたが、どちらかというとドレスに着られているような感じがして素直に受け取れなかった。
ドレスに引きずられるように控え室に向かうと、ロックがテーブルに腰かけて待っていた。
「ロック」
「ん?セリス、……!」
途端、ロックは急にバンダナを目深に下ろす。
「え、ええと……さらわれる準備はできてるか?」
「そうだな、飛空艇の制圧は任せておいてくれ」
「頼もしい言葉だ。……でも今日は少し、……似合わないぜ。おまえ、キレイだよ」
「え……」
セリスは返す言葉がない。ありがとうとでも言えば良いのだろうか、だがドレスはオペラ座の資産だし、着付けてくれた人のおかげだ。
「そ、それはそうと……マッシュは?昨日からあまり見なくて……」
「ああ、あいつならもう客席にいると思うぞ。狙われてるってのにマリアさんが来てるらしいから、その警備に行くって」
「そう……」
一昨日の夜から、マッシュとはあまり会話できていないのは気のせいだろうか。
「ちなみにカイエンは一般の客席に混じって警戒してくれてる。俺は舞台袖でセリスが立派にさらわれるのをサポートするつもりだ」
顔を逸らしながら、ロックは親指を立ててみせた。
緊張のなか、幕は開けた。始まってしまえば早いもので、予想した通り、劇のクライマックスでセッツァーは飛空艇と共に現れた。そして軽い身のこなしで舞台に乱入すると、混乱する周囲には脇目もくれずにセリスを抱き寄せた。銀の長い髪と、装飾の多いコートに身を包んだ貴族然とした男だったが、その顔には傷痕が多く走っていた。
「美しい花嫁だ。愛のフライトと洒落こもうぜ?」
どんな嫌な男かと思って待っていたが、セッツァーの手つきがひどく優しいので、とりあえず飛空艇にたどり着くまでは大人しく従うことにする。
「よしよし、いい子だ。そのまま大人しくしていてくれよ?」
なるだけ顔を凝視されないよう、ばれないよう、押し黙ってうつむきながらセッツァーにしがみつく。すぐに飛空艇まで引き上げられ、甲板に足が着いてもセッツァーはセリスの腰から手を離さなかった。
「あ、あの……」
「うん?」
「……ふ、船酔いかもしれないわ、少し休ませてもらえないかしら……」
「わかった、すぐに俺の部屋に案内しよう」
「い、いきなりは……恥ずかしいわ。お願い、小さい部屋はないかしら……」
ふ、とセッツァーは余裕げに笑む。笑った目付きはひどく鋭く、見透かされているのではないかと思ってしまう。
「いいぜ。気持ちを落ち着けてくるといい」
言って、するりと腕を取るとそのまま手の甲を握りしめて、セッツァーが頭を寄せた。静かに唇だけをそこに当て、ちらりとセリスを見つめる。エドガーを上回るかもしれないキザだと考えることで、なんとか正気を保つ。
「来な。こっちだ」
言葉とは裏腹に優しく手を引き、セッツァーが小部屋を案内してくれる。船内はごうんごうんとよくわからない機械音が響いていた。ここからがセリスの重要な仕事だ。セッツァーが部屋から離れたのを見計らって、申し訳ないとは思いつつも、床板の木を剥がし、船底に降りる。運良く船底が近くて良かった。ドレスの中に手を突っ込み、隠しておいた縄ばしごを取り出す。なかなかゴワゴワしたが、これがなければ皆ここまで上がっては来られない。魔法で梯子を落とすための穴を開け、ぱらりと下へ投げ入れた。そして素早く部屋に戻り、床板を元に戻す。なんとかやりきれた、と達成感がじわじわとせりあがってくるが、あとは大人しく待つだけだ。うまくセッツァーから逃げること以外は。あれはいつまでもハッタリでかわしきれるような簡単な男ではない。
「気分はどうだ?」
なんの遠慮もなく、唐突にセッツァーが部屋に入ってくる。
「あら、レディの部屋に入るにはまずノックとは習わなかった?」
「俺の船だ。好きにさせてもらうぜ」
「そう、……でも、すぐに私の船になるわよ」
「ほう?話が早くて助かるね。さ……今度こそ俺の部屋に案内しよう」
「ええ……」
まずい、もう断れない。内心では早く三人が来ることを祈って、セリスはゆっくりとセッツァーの手を掴んだ。
セッツァーの部屋は比較的広かったが、室内の調度品が多くあまり隙間がない。窓から見えるのは白い雲だけで、あまりにも逃げ場がなかった。
「あ、ええと……この花瓶とても綺麗だわ」
「よそ見するな」
ぐんっと手を引かれ、セッツァーに抱き寄せられる。恐ろしかったが、その怯えを見せてはいけない。キッとセッツァーの目を見返して、押し黙る。セッツァーは少し愉快げに目を細めて、セリスの顎を軽く掴むと引き結んだままのその唇に親指を当てた。
「いい顔だ。……楽しくなるといいんだが、さてどうかな?」
言うが早いか、押し倒されてくるりと視界が回る。上げそうになった声は必死で飲み込んだ。ぼふんとベッドに倒れたところに、セッツァーが覆い被さる。肩を押され、身動きできない。
「あ、……」
「困った女だな、……」
ぐんっ、と顎を上に向けられて、セッツァーが睨むようにセリスを見つめた。
「ふっ、マリアの真似は悪くなかったがな」
「えっ?!」
「何を企んでる?小部屋に入って何か仕込んだんだろう?」
セリスはびくりとして身体をよじらせた。セッツァーは愉快そうにその指先を布地のないセリスの肩にすべらせている。
「最近退屈してたんだ、相手をしてくれるっていうなら喜んで。なあ、お嬢さん?」
セッツァーの顔が近づいてくる。どうしたらいいか、考えなくては。だが恐怖で身体がすくんでいた。する、とシルクのドレスの肩が下ろされる。ダメだ、と思った瞬間。
「セリス!!!!」
それはドアを体当たりで開け放つという、無茶苦茶な登場だった。
「マッシュ?……」
初めて見るその激昂した姿に、セリスは思わずぽかんとしてしまう。
「やれやれ、そう来たか。床に穴でも空けたか?」
セッツァーはまったく動じていない。
「セリスから離れろ!!」
「うるさくて敵わんな。おまえの女なのか?」
「ば、ッ……そういうことを言ってるんじゃねえ!大怪我したくないなら大人しく離れろ!」
「ひとの船で騒ぐなよ。まったく……おまえら本当に何をしに来た?」
セッツァーはややつまらなそうにセリスから身を離して起き上がって、マッシュを見据えた。セリスはその隙に慌ててベッドから逃げ出し、マッシュの後ろ手に隠れる。
「何もされてないか?」
「え、ええ……」
「すまん、遅くなって。……怖かったよな」
マッシュの青い目が、ひどく申し訳なさそうに揺れた。
「い、いえ……元々こういう計画だったもの、大丈夫……」
ぽんぽんと優しく肩を撫でるその手は、今は怖くはない。
「おいマッシュ!おまえ縄のぼるの速すぎるぞ!」
「セリス殿!マッシュ殿!ご無事でござるか!」
どたどたと二人が飛空艇に来たのが聞こえると、セッツァーはあからさまにため息をついた。
「まったく……うるさいやつらだ。それで?俺に何の用なんだ」
話を聞くと、セッツァーは元々、地上の法に縛られない空飛ぶカジノを運営する奇特な男だった。だが帝国が魔導兵器を搭載した空軍を編成し、幅を利かせるようになってからというもの、平和にギャンブルというわけには行かなくなってしまったのだという。
その結果でオペラ座に誘拐に来るのはよくわからないが、とにかく帝国に対して感情があるのは確かなようだ。それならば話は早い。無理やり奪うよりも話し合いができれば、平和を目指すリターナーとしても面目が立つ。
相変わらずマッシュの傍になんとか立ちながら、セリスはもう一度腹に力を入れた。
「私たち、帝国に渡りたいの」
「それで俺の船をぶんどろうって?考えが浅はかだな……操縦はできると思ったのか?」
ロックがややムッとしたのをちらりと見て、セッツァーはなるほどな、と呟いて喉を鳴らして笑った。それから小さいテーブルに腰かけ、置いてあったワインを手持ちぶさたに飲み始めた。
「それは確かにそうね、……だからあなたに船を動かしてほしいの」
「俺に運び屋をやれってことかい?なんの報酬もなしに?」
「報酬なら平和になったらなんとか……出すわ。約束する」
へえ、とセッツァーは細い眉を上げる。
「約束ね。誰が担保するんだ?」
「……俺がする」
「おまえが?ただのモンク僧だろ」
「俺の兄はフィガロ王だ。約束は守ると誓う」
「フィガロの?……ほう。そうか」
そうか、とセッツァーは二度独りごち、一瞬天井を見てから、セリスに視線を移す。嫌な予感がして、思わずびくりとしてしまった。
「それなら俺はやはり当初の予定通りに行かせてもらう」
「どういう意味だ?」
「俺がもらうのはその女だ」
セリスが指をさされた途端、マッシュはまたひどく険しい表情で怒った。
「セリスは物じゃねえ!取引はしねえぞ」
「マッシュ、怒らなくていいから……」
「どうしてだ!無理やり人をどうこうしようなんておかしいだろ!」
「帝国に行けるなら私はそれでいい、それで取引成立で構わないわ」
「駄目だ!」
珍しく烈火のごとく怒るマッシュに、ロックもカイエンも圧倒されていたが、それでもやはり二人も同じ意見らしい。
「セリス殿、まだ他に方法があるかも確かめておらんでござるよ」
「そうだ、そんな軽々しく自分を捨てるような言い方するなよ。マッシュが怒るのも当たり前だ」
「ご、ごめんなさい……」
つい謝ると、カイエンがムッと声を上げた。はたと顔を上げて顔を見ると、ひどく驚いている。
「そ、そのような晴れ着でそのようにしおらしくなるのは似合わんでござる」
ええと、とセリスは傍のマッシュを見上げる。いつもならすぐに茶化すように翻訳してくれるのだが、今ばかりは少し困った顔をするだけだった。
「俺はどっちでもいいんだ、早くそっちで話をまとめてくれ。あまり退屈にさせないでくれよ」
ワインをぐいっと飲み干し、セッツァーは足を組んでこちらを見やる。
「……わかったわ」
話を進める他ない。しおらしくしている場合している場合でもない。これもまた戦いなのだということなのだろう、セリスは自分を奮わせて、マッシュの前に立った。
「おいセリス……」
「ギャンブルで勝負にしましょう。あなたと私、お互いを賭けて」
「ほう?」
「ただ約束するより刺激的であなた好みでしょう?」
「ふふ、よくわかってるじゃないか。ゲームは何にする?ブラックジャック、ポーカー、ダーツ、ルーレット……なんでも選べるぜ」
手品のようにコートからそれにまつわるアイテムを取り出すセッツァーに、そうね、と返してセリスは困惑する内心を隠して腕を組む。悩んだ瞬間、ずいっとマッシュが前に出た。指先に美しいきらめきが見える。
「コイントスだ」
「ほう。いいセンスしてるじゃないかあんた。いいぜ」
「セリス、手を貸して」
広げた手のひらに、美しい金貨が手渡される。同時に、低い声で耳打ちされた。表に賭けろと。
「セリスが勝てるよう、おまじないさ」
ニッと笑い、ぽんと肩を叩かれる。
「……じゃあ、やるわよ。私は表に賭けるわ」
「なら俺は裏で構わん」
指の上にセットして、一息。それから勢いよくコインを跳ねた。掴みそこねて、コインは床に落ちた。表を上にして。セッツァーがゆったりとした動きで、コインを拾い上げる。
「……私の勝ち?」
「まあ、そうだな。……残念だ、この俺がただの運転手扱いとはな」
セッツァーはコインをしげしげと見つめて、マッシュに返した。
「……ふっ、昨今のモンク僧ってのはずいぶん面白いことをするもんだな」
マッシュはあからさまに渋い顔をしたが、セッツァーはやたらと愉快げだ。
「リスキーな生き方だが、気に入ったぜ。さて……全員でまずは空けた穴を塞いでもらおうか。船体が直ったら早速向かうぞ、帝国に」
与えられた部屋でドレスを脱いで、ベッドに腰かけた途端にセリスは大きなため息をついた。ひどく疲れていた。
身体が、震えている。セッツァーに組みしかれた時に、大声で喚きたい衝動が喉元まで来ていた。その恐怖は消えたわけではなく、まだ内側でぐるぐると渦巻いている。これから帝国に向かうというのに、こんなことではいけないとはわかっているのだが。
顔を上げたとき、トントンと足音が近づいてくるのに気がつく。聞き覚えのない足音だ。
「いるんだな?入るぞ」
「……ノックしてって言ったじゃない」
「船主は俺だ。……ああ、普段はそういう風なんだな、悪くない」
セッツァーは悪びれもせず、セリスに近づく。どきりとして身体を硬直させると、ふ、と鼻で笑われた。
「手は出さないつもりだ、今はな」
じと、と見上げると、セッツァーは苦笑した。
「……あんた、男が怖いのか?」
「え?」
「俺の目は節穴じゃない。……よくそんなトラウマ持ちであんな男くさい連中といられるな」
「……三人ともあんなことはしないわ」
「そりゃあそうだろうが。……悪かったな、さっきは。怖がらせるつもりはなかった」
言うなりセッツァーはセリスの隣に無遠慮に腰かける。まさか謝るとは思っていなかったので、セリスはただ驚いて目を剥く他ない。
「大した女だな。あんなに恐れている同族たちと一緒に行動して、オペラの代役をやって、帝国に歯向かって」
「同族って……私は男性恐怖症じゃないわ、決めつけしないで」
「ほう?扇情的な文句だな。自覚あるか?」
軽薄そうにセッツァーは笑む。セリスが押し黙っていると、唐突に手のひらを差し出されて、思わず眉を寄せた。
何、と問うと、握手だ、とだけ返される。納得のいかないまま、セリスは仕方なくおずおずとセッツァーの手を握った。
「誤解するな、怒らせに来たわけじゃない。……これくらいから始めるべきかと思ってな」
「あのね、勝手に始めないでくれる?」
「ほう、聞けばいいのか?手に触れてもいいかって?」
駄目に決まってる、そう言い返そうとして、しかし自分の震えが止まっていることに気がつく。
「一人でバカみたく塞ぎこむより良いとは思うんだが。どうだ?」
「ど、どうって……わからない、そんなこと……」
「肝心なところはわからないか。やれやれ……ま、それはそれでかわいらしくて構わんよ、俺は」
口角だけを上げて笑うセッツァーに何か言ってやろうと思ったが、すぐに浮かばない時点で負けたのだと悟った。
「おいー!床塞いだぞ!どこだセッツァー?」
「おっと。うるさい連中が来たら敵わん。邪魔したな、……ここは自慢の一室さ、ゆっくり休め」
結局、ありがとうとは言えないままセッツァーは去っていった。雲を掴まされたような、不思議な人だと思った。飛空艇にふさわしい人間とはああいうものなのかもしれない。
立ち上がって腰に剣を下げて、セリスは独りこくりと頷く。しっくり来る。少しずつ気持ちを落ち着けよう、そう思って窓に視線をやると、飛空艇の機械音に負けそうなほど控えめなノック音が響いた。
「セリス?俺だけど……いいか?」
そのひどく気後れしたような声に、セリスは苦笑する。ドアの向こう側で大きな肩を縮こまらせているのだろう。
「ええ。入って大丈夫よ」
カチャカチャと陶器がぶつかる音がして、セリスは首を傾げた。入ってきたマッシュは、紅茶のセットを手にしていた。
「紅茶、好きか?嫌いなら出直すけど」
叱られた後のような表情で問うものだから、セリスは思わず噴き出してしまった。なんだよ、と慌てたマッシュに礼を言って、奥に招く。
「あ、柄に合わないっていうのはわかってるから言わなくていいぞ」
「そんなこと思ってないわよ」
「……そうか?」
「でもどうして急に……」
「うん、まあ……謝りにきたついで」
「謝りに?……さっきのこと?」
マッシュはその大きな手のひらに似合わず手慣れた手つきで茶器を扱い、セリスに真っ赤な紅茶を差し出してくれた。カップは飛空艇のものだろう、セッツァーらしい趣味に思えた。
「熱いうちがいい、先に飲もうぜ」
「あ、ええ……いただきます」
ふうふう、と少し冷ましてから、一口。香りよい茶葉の風味が鼻を抜けて、熱が喉を通り胸まで落ちていく。紅茶をゆっくりと飲むのはいつぶりだろう。最後に飲んだのは帝国には違いない。
「おいしい」
「良かった。セッツァーも良い茶葉くれたんだ、あいつ……悪いやつってわけじゃないんだと思う」
「そうね、いまいち掴めない人だとは思うけど……」
「まあそれは良くてさ。……その。さっきは怒鳴り散らしてすまなかった」
なんだそんなこと、とセリスはカップを包むように持ったまま笑った。
「私は……別に」
「いや。でかい声聞いてびっくりしたろ。あの時はつい……カッとなって、っていうか……セリスが心配でさ」
心配。その為に、あんなに怒ってくれたのか。一番に縄ばしごを上り、来てくれたのか。嬉しさが込み上げて来る前に、奇特な人だなと、セリスは思考を上塗りした。
「……。そうね。一番に来てくれて本当に助かった」
そんなことない、とマッシュは軽く首を横に振る。
「なあ、セリス……」
「なに?」
「……昔、なにか……なにか、」
「え?」
「……いや!なんでもない。とにかくだな、自分を犠牲になんてもう考えないでくれよ。もっかいやったら怒るからな」
嘘のように穏やかに、マッシュは笑む。
「……それは怖いわ」
セリスも釣られてくすりと笑った。マッシュはそんなセリスをじっと見つめる。
「な、なに?」
「……カイエンが言ってた通り。素直にしてるほうがいいな」
ふ、と笑って、マッシュは紅茶を仰ぎ飲み干した。言葉の意味を追及する前に、マッシュはその大きな体躯を伸ばし始めてしまう。
「さあて!帝国につくまでゆっくりするかな。これから何が起こるかわからないしさ」
「……そうね。でも……私は誓った通り、正義のためにこの力を振るうだけ」
ただそれだけ、とセリスは独りごちた。不意に眺めた空には、暗雲が立ち込めていた。
帝国の監視に引っ掛からぬよう、飛空艇は夜の間に大陸の端に着陸した。セリスたちが戻るまではここに待機して、帰りもジドールまで送ってくれる。
「俺はこいつを整備していつでも飛ばせるようにして待っている。……無事に戻れよ、セリス」
セッツァーは口角だけを上げて笑み、セリスたちを送り出した。
「あいつ……無事を祈るのはセリスだけかよ」
「まあ、セッツァーらしいよな」
理解の言葉は投げるものの、珍しくマッシュの声色に刺がある気がする。
さて、とカイエンが気を取り直したふうに声を上げた。
「拙者、帝国に足を踏み入れるのは初めてでござる。ついつい……緊張してしまいますな」
そう、と応えて、セリスは目を見張った。カイエンの握られた両拳が、異様に力んで硬い。カイエンのたたえている感情は本当に、緊張なのか。きっと違うだろう。己の憎しみと戦っているのだと思う。
「カイエン……」
「そういえば、拙者の研いだその剣。はからずも……最初に振るのはこの地になってしまったでござるな」
カイエンはなんとも言えない表情だ。忠誠の厚い侍にとっては、セリスのような反逆者に対して複雑な気持ちになるのだろう。祖国相手にどこまで剣を振るえるものなのか、掴みそこねている。
「……ええ。ああ、そうだ、帰りの飛空艇で研ぎ方を教えてくれないか?」
「うむ、構わんでござる」
刃など、いくらでもこぼれてもいい。それほどのことをしなければこの国は救えないはずだから。
帝国大陸は、隣国であったアルブルグ、ツェン、マランダを属国とし、大陸すべてを支配下に置いている。魔導研究所があるのは大陸の中心、帝国首都ベクタだが、そこに辿り着くまでに帝国支配下とされた各町の有り様を見ることになった。
駐屯する帝国兵による私的な暴力、恫喝、強盗。治安維持という名目など、そこには存在しなかった。
「許せぬ、帝国……」
露骨にそう呟くカイエンの一方で、ロックとマッシュは眉を厳しく寄せるだけだが、目立つわけにはいかず、何もできずに立ち去るしかないのがもどかしいのは皆同じだった。
「帝国兵の横暴にとどまらず、大陸には最近、剣を弾くほど硬いモンスターが増えているとも聞く。……想像以上に……暮らしはつらいだろうな」
弱者は虐げられ、強者は笑いながら非道なおこないを止めない。帝国を止めなければ、こんな形がいつまでも続く。セリスも拳を強く、握りしめた。
帝国首都ベクタは、鉄と蒸気と排煙の町だ。景色は悪く、遠くを見通すことはできない。町に入るとすぐに、長年潜入していたリターナーと合流することができ、魔導研究所への潜入も案内してくれた。
小さな廃棄用シャフトから廃棄場へと出て、メインの研究区画へ向かう。研究所の中に入ってしまえば、わずかではあるが記憶を頼りにしてセリスが先導することができた。研究所のなかは人の声は時々するが、まったく人とは出会わない。
「なんと広い研究所か……」
「驚くことではない、ここは国家予算の二割ほどを与えられている。……異常なところだ」
恐らく幻獣がとらえられているであろう奥のセキュリティエリアに向かうには、許可された人間の身体が必要になる。まずは位の高い研究者でも捕まえなくては、と思っていた時、突然背後から急激な魔力の高まりがして、セリスは身構えて振り返った。それに遅れて、他の三人も身構える。
「おまえは……!」
後ろに立っていたのは、虚ろな目をした背の高い男だった。手のひらをこちらに向けて、どこかを見ている。感情もなくただ魔力をためている。
「?!なんだこいつ……」
「皆気をつけて!!こいつは魔法を使う!」
セリスはすらりと刀身を引き抜き、両手で真上に掲げた。
「魔法は私が集める!」
暗い顔の男の手から、雷の閃光がセリス目掛けて一直線に走っていく。それをすべて、剣を媒介としてセリスが魔力として吸いとる。魔封剣はセリスが編み出した魔法無力化の技だが、こんなところで役に立つとは思わなかった。
セリスに魔法があたっていないことに驚いたのか、男はわずかに不思議そうにする。その隙を、カイエンが逃さない。一気に踏み込んでその腕を切り落とした、そう思った。異常に気付き、真っ先にカイエンが素早く態勢を立て直す。
「切った感触がない!何故?」
男は変わらずうすぼんやりとして立ち尽くしている。腕は、もちろんその胴体についたまま。
「今あいつには防御魔法がかかっている!壁があるものと思ったほうがいい!」
「防御魔法?!それはその技でなんとかできないのか?」
「無理だ、すまないがそこまで万能ではない!だが時間が経てば魔法は弱まるはずだ!」
へえ、とマッシュは納得した表情で身構え直す。
「持久戦ってわけか……望むところだぜ。ロック!退路確認よろしくな!」
「ああ、任せておけ!」
「カイエン、いくぜ!」
カイエンとマッシュは左右に別れて男に詰め寄っていく。男は防御魔法を帯びている自覚があるのか、セリスに魔法を投げ続ける一方でマッシュたちには目もくれなかった。
不可思議な光景だった。斬撃も、殴打も、まるで受け付けないというのは。その間、セリスは両手を力一杯掲げ、魔力の流入に耐え続ける。
「くっ、刀が先に根を上げてしまうでござるな……」
「下がってろカイエン!」
カイエンが一歩引いた途端、マッシュの攻撃のスピードが上がった。蹴りも加えて左右に打ち分ける、怒涛の猛攻だ。あんなにも人間は動けるものなのかと、いっそ呆れる程の。
「……う…っ!!」
マッシュの猛攻とほぼ同時、セリスの腕にビリッと痛みが入る。やつの出力が上がった。それはつまり、焦りだしたのだ。
「マッシュ……!!もう少しだ……!」
「ああ!わかってる!」
直にさわっているマッシュも、それを感じているのだろう。恐らくあとは時間の問題だ。
「くっ……!」
だがそれはセリスもまた、同じだ。あの男、これほどに魔力を持つとは。後続の人造魔導士がセリスよりも機能が上なのは当たり前なのだが、かといってここで負けるわけにはいかない。
ぶしゅ、と腕が裂けた瞬間、ロックが叫んだ。
「セリス!!」
その呼び声に、反応したマッシュが一際鋭い蹴りを叩き込んだ。 蹴り飛ばされた男の身体が、かつてないほど大きく揺れた。
「カイエン今だ!!」
「承知!!」
と、と靴音がひとつ響いた瞬間、大きな弧が閃く。音もなく羽ばたいた美しい弧は、今度は迷いなく男の首を切り落とした。
「ツバメ返し……と、覚えておくといいでござるよ」
ドンと床に首が跳ねて、当たりは突然静かになる。
「セリス!腕が……早く見せろ!」
剣を握ったままその場に座り込んだセリスに、ロックが素早く駆け寄ってくる。自身のバンダナを手早く傷に巻き付けると、ぎゅうと縛った。
「だ、大丈夫、自分で回復できる……」
「バカ!良いから任せとけ、……なんでこんな傷ができたんだ?サウスフィガロの洞窟じゃこんなになってなかったじゃないか」
「あれは……掘削機がメインで魔導兵器としては雑魚だった、けどこいつは……違う、人造魔導士のひとりだ……」
「人造魔導士……ということは、セリス殿と同じ。……顔を知っていたのでござるか?」
「ああ。……魔導実験の後、正気に戻らずここの警備に置かれたとは聞いていた。……私を上回る魔力を入れられたのだろう」
ロックが容赦なくポーションを肩にかけるのが終わるのを見計らって、セリスはゆっくりと立ち上がって魔導士の男の死体に歩み寄った。男の離れていた身体は、マッシュが首を腹に置いて再び集まっている。人間相手だったからか、マッシュは死体を整えてやっていた。セリスが近づいてきたのに気がつき、振り向いたその表情はひどく複雑だった。
「セリス」
「こいつの腕があれば奥へ行ける。もらっていくぞ」
この戦いでは魔封剣として振るうのみだった剣を手に言ってから、セリスは躊躇いなく男の腕を切り落とした。いつもより切れ味がよい。カイエンの研師としての腕は確からしかった。
「鍵は手に入った。行こう」
冷ややかに言い捨ててから、セリスはカイエンに向き直って小さく言った。
「剣、確かにいい切れ味だった。ありがとう」
認証に先ほどの腕を使い、セキュリティエリアの奥への扉が開かれた。無沙汰になった腕は捨て置く他ないが、それはいけないとマッシュに咎められた。せめて返してやってほしい、と頼まれて、まるで自分がひどい外道のようだったが、間違いでもないかもしれない。仕方なく一度魔導士の元へ戻り、腕は傍に置いてやった。
そうしてようやく、魔導研究所の奥へと足を踏み入れた。初めて入るその空間的には、多くの巨大なビーカーが立ち並んでいた。
「これは……幻獣?!」
「苦しんでいる……早く解放してやろう!」
手分けしてビーカーのスイッチを切ると、魔導の抽出から解き放たれた幻獣たちは疲弊しきり、そのまま魔石となってしまった。
「間に合わなかった……のか?」
「いや、魔石の内に感じる力はこれまで以上だと思う……とにかく早くティナの元に戻ってみないと」
セリスは魔石を集め、貴重品の取扱いに長けているロックに渡す。
「さあ、もうここに用はない。早く脱出を……」
言いかけた時、奥のドアが開いた。研究者が来てしまう。セリスは誰よりも早く咄嗟に剣を抜いて、相手の喉にあたるような高さまで振り上げた。が、その姿にハッとして、手を止めた。
「シド?!」
「せ、セリス?!戻ってきていたのか!怪我はないか?心配していたんじゃ!」
「えっ?ええ、大丈夫、この通り元気だわ」
独特な白衣に身を包んだシドの姿は、久しぶりに会うとはいえ全く変わらない。慌てて腕を下ろして懐かしさに気を取られていると、シドはセリスの腕を掴んで全身をチェックし始めた。突然そんなことをされたものだから、呆気に取られてなすがままになってしまった。
「……セリス。その人は知り合いなのか?」
ロックが身構えたまま剣呑とした雰囲気で問うたので、セリスは慌てて頷いた。
「あ!そ、そう。みんな大丈夫、彼はここの研究者のひとりで信頼できる人だから」
「む、そちらの方々はどなたかな?セリス」
「ああ、彼らは私の仲間で、リターナーの」
「リターナー!ではあの噂はやはり事実なのだね?」
「噂?」
「セリス将軍はリターナーにスパイとして潜入していると……そちらの彼らも協同スパイなのだね?」
スパイ、と呆然とカイエンが呟いたのが聞こえた。セリスは顔から血の気が引けていくのがわかった。
「違う、スパイじゃない!私は」
セリスは咄嗟に三人の方を振り返る。そんなわけがないと、弁解するつもりで。だが、背後の気配に刮目する。魔石の魔力が高すぎて気がつかなかった。こんなにも嫌な魔力は、他には誰もいないというのに。
「ケフカ?!」
「おや。バレてしまいましたか」
「貴様ッ、いつから!!」
「そんな寂しいこと言わないで、ずうっと見てましたよぉ?そりゃあね」
上段の通路に肘をつき、こちらを見下ろしながらニタニタとケフカは笑んでいる。色濃い唇のメイクが、おぞましさを増させていた。
「引きずり下ろしてやる!!ブリザド!!」
魔力を集中し、鋭く尖った氷のつららをケフカ目掛けて一斉に飛ばす。が、届かずケフカの魔力で粉砕され、粉々にされた。
「くッ!」
「フフ、セリス。もう芝居はいいのですよ」
「……何!?」
「ここまでリターナーへの潜入ご苦労。魔石の発見に皇帝は喜ばれることでしょう」
は、とセリスは一瞬、呆然とした。足場が見えなくなるような、突然冷えきるような、恐ろしさが身を捕らえた。
「ち、違う……!私は!」
こんなところで、そんなことで仲間割れをしてしまえば、ティナを助けられない。どうやって言葉を尽くせばいいのかと、思い至るほどの時間もなく、後ろを振り向いてその疑惑を必死に否定しようとして。
「セリス殿!!前を!!」
「え、」
ドン、と膨大な魔力が背後で発射されたのは、わかった。ほぼ同時に、セリスの横を駆け抜けた人影も。理解が及ぶ前に、割れた美しいドマ刀が床に突き刺さった。遅れて、シドが悲鳴をあげたのが聞こえる。
「カイエン……っ!?」
「おやあ、とんだ邪魔者ですねェ……」
「セリス!!油断するな!!」
倒れ伏したカイエンに目を向けてしまった瞬間、マッシュの叱咤がセリスの意識をケフカに戻させた。マッシュの長い足が、セリスの前にするりと躍り出る。セリスを背にかばうように立ちながら、マッシュはケフカを睨みあげた。
「ロック!ここは任せろ!!」
その掛け声に、セリスははっとする。そうだ。魔石を持ち帰ることが最重要なのだから。ここでケフカを止め、ロックの脱出さえ成功すればいい。
「ふーー……虫けらが多いと疲れますねェ……ま、逃がしませんけど」
パンパン、とケフカが手を叩いた。それを合図に、研究所の壁を壊して魔導アーマーが左右に現れた。セリスは咄嗟に、倒れたカイエンに魔法の障壁を唱えて包むと、こちらに向けて放たれた魔導レーザーを前に一回転して避ける。
「シド!!ロックと一緒に逃げて!!」
言い捨てて、剣を振り上げる。魔導レーザーごとき、いくらでも吸ってやる。
「……わかった!!じいさん!道案内してくれ!」
だが、このままでは囲まれる。なんとかして二人が逃げる隙を作らなくては。それに、動けないカイエンもなんとか戦いから離さなくては。どうしたら。
ビリッとした感覚に、思考が邪魔される。魔導レーザーはあまりにも鋭く、重い。実際浴びるよりはましだが、吸いきれない魔力が身体を焼いていた。だが、無駄にレーザーを打った魔導アーマーの懐にマッシュが的確に潜り込み、破壊している。あと何体分吸えば終わるのか、と計算している間に、割れた壁から増援が駆けつけてくるのが見えて、セリスは半ば、絶望した。どう考えても、そんなには無理だ。
「逃げろ逃げろ、できるものならなぁ?ヒョヒョ!」
「セリス!!無理するな!!」
マッシュの言葉が宙に浮く。このままでは全員、ここで死ぬ。ロックとシドとカイエンを逃がし、敵をすべて倒さねば。そんなこと、できるのか。腕の怪我が、再び裂けて開いた。血があたりの床を汚す。
「せ、セリス殿……」
うめくカイエンの呼び声が、セリスに最後の閃きを与えてくれた。普通では思い付かない芸当をできるのがこの魔導の力だと、そう言ってくれたのはカイエンだった。逃げられないなら、勝てないなら、相手をどこかへ消せばいい。
「……マッシュ!!下がれ!!」
「は?!下がる?!」
振られた魔導アーマーの腕を頭を下げて避けながら、マッシュは場違いにすっとんきょうな返事をしたが、そのまま跳ねるように後ろに下がってくれた。
「私に任せて!!」
「セリス!?」
下がってきたマッシュと入れ替わりに前に駆けて、セリスは詠唱した。
「テレポ!!」
ぐにゅ、と空間が歪んだ。瞬間、セリスは研究所から消えた。ケフカと魔導アーマーを道連れとして。
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