ゴミ箱

解呪の言の葉

 崩壊した大地には、かつて家屋が建っていたであろう場所がたくさんあった。世界崩壊の天変地異か、裁きの雷か、それらがいつから壊れているかはわからない。ただ共通しているのは、どこにも人の気配はなく、痩せ細った鼠が一瞬、陰に見えるだけということだった。
 そうした景色を何度も目にする度、マッシュは立ち止まって手を合わせ、祈った。かつてこの場所にいた人々が、ここではないどこかで安寧に暮らせるようにと。それはかつての仲間であるセリスとようやく再会した後も変わらぬ習慣だった。
 祈るという行為に、どういう反応をすべきかわからなそうな顔をしていた彼女は、けれどもマッシュが手を合わせる姿を二度ほど見たくらいから、隣に立ち、同じように手を合わせるようになった。
 科学国家である帝国に宗教がないことは有名なことで、だからこそマッシュは、祈ることをしてほしいとは決してセリスに言わなかった。セリスは生粋の帝国人なはずで、祈りなど、しないのだと思っていた。
「セリス。その……いいんだぞ、無理してやらなくても。こういうことする文化じゃないんだろ?」
 隣に並び、見よう見まねで手を合わせた彼女を見て、マッシュは苦笑してそう言ったが、彼女は困ったような表情でマッシュこちらを見上げてきた。
「あ、……ええ、そうなんだけど……私も彼らに祈りたくて。……でももしかして、簡単にやっていいことではない?」
「えっ? いいや違うんだ、やっちゃいけないなんてことは、誰であってもないよ。祈りってのは気持ちが大事だからな。セリスが祈りたいなら、その気持ちのまま、そうしてくれればいいんだ」
 返すと、セリスはほっとした顔で、自身の両手をぎゅうと握った。
「なら、良かった。これからは私も一緒にさせてもらうわね」
 ああ、と頷いて、マッシュは再び祈りをささげるセリスの横顔をじっと見つめた。
 もしかしたら、こんな時だからこそ、彼女にはこの祈るという行為が必要なのかもしれない。何とはなしに、そう思った。

 ツェンを出てから二週間、マッシュとセリスはモブリズを目指して旅を続けていた。
 その日は、辺りが突然暗くなり、いきなり雨が降ってきた。勢いよく降る雨に、仕方なく、古ぼけて壊れかけた家屋に逃げ込んだ。朽ちた木材の隙間から雨が入り込んできていたが、外にいるよりかは何倍もマシだ。
「雨が止むまでは少しここにいましょうか」
 濡れた前髪をかき上げながら、セリスはきょろきょろと辺りを見回している。
 同じように周囲に目を配りながら、マッシュは独り、首を傾げた。ここの雰囲気は、どこかと似ている気がする。どこだったか、 濡れたせいもあるのだろう、少し寒気がしていた。室内というにはあまりに開放的な空間は、深刻に雨漏りしている。
「……家族が住んでいたのかしらね、ここには」
 セリスの呟きに、マッシュは振り返る。彼女の視線の先には、雨風に傷んだ絵画が飾られていた。色は滲んでしまっているが、確かに親子四人らしきものが描かれているように見えた。
 はあ、とセリスが白いため息を吐いた。不思議なほど白く見えたが、それほどまでにここは冷えきっているということだろう。早く雨が止まなければ困るな、などと思いながら、曇天を見上げる。ざあざあと降りしきる雨は、一向に途切れそうになかった。参っちまうな、と苦笑してセリスに視線をやった、その時。ゆらりと、彼女の身体が揺れる。
「セリス?」
「……さむい……」
「寒い? ああ、そうだな、なんだか冷えるよな、ここ……」
「さむい、寒い、寒い……さむい、……」
「おい、……セリス?」  自身をかき抱くように縮こまり、ガタガタと震えだしたセリスの様子は、明らかにおかしかった。
「ああ、っ……! ……いやっ、やめて………! わたしに、入って、こないで……っ……!!」
「セリス!!」
 その場に踞って震える彼女に駆け寄り、肩に触れる。恐ろしいほど冷えていた。何がなんだかわからないまま、マッシュは思わず、セリスをぎゅうと抱き留めた。
「セリス、しっかりしろ!! どうした?!」
「あ、あ、マッシュっ、……! 誰かが、わたしの、なかに、」
 セリスが、爪を立ててマッシュの腕を力一杯掴む。まるで、すがるかのように。彼女の視線は、ここにはなかった。どこか多くを見つめている。マッシュには見えない何かを、見つめている。
 この場に繋ぎ止めるように、セリスをきつく抱きしめる。だが彼女はぼろぼろと泣き出したかと思うと、突然、がくりと脱力した。
「セリスッ!!」
 それから、セリスは目覚めなかった。

 マッシュはセリスを背負って、近くの村まで駆け戻った。ほんの小さな村だったが、干し肉を分ける代わりに寝床を貸してもらえた。
 セリスは一向に目覚めなかった。相変わらず身体は冷え、時々何かにうなされているのが痛ましかった。一体なぜ、こんなことになったのか、マッシュには何もわからなかった。できることは、ただ彼女の身体をあたためてやることだけだった。
 二日経ち、あまりにセリスが良くならないのをどう思ったのか、村の老婆が一度看てくれることになった。旧帝国の村ではあったが、老婆の出で立ちはシャーマンのような、明らかに宗教的なものだった。
「憑かれているね、この娘」
 開口一番、老婆はそう言った。マッシュは思わず首を傾げる。
「なんだって?」
「……いや、憑かれているというのは正しくない。悪しき怨念を自ら呼び寄せ、吸い込んでいるんだね。強い渦のように、……人ではない力で、呼び寄せている」
「……人ではない力……」
 老婆は忌まわしそうにセリスを眺めていた。まるで、醜悪なものでも見るように。
「どこを歩いてきたかは知らないが、あらゆる土地のものを背負っているように見える。これを全部綺麗にしない限りはこの娘は起きないね。……最も、眠ることでこれらを引き留めているのもこの娘だが」
「? ……婆さん、どういうことだ? それは」
 どうもこうも、と老婆はマッシュをちらと見る。
「おぬし、僧だろう。おぬしからも強い霊性を感じる。……おぬしに災いが憑かぬようにではないのかね」
「えっ?」
「その娘はさながら氷の牢だな。しかしいつまでも保ちはしない……人間に怨念を封印しようなど、どうしたって器が壊れるだけだよ」
 はあ、と老婆はため息を吐き、くるりと踵を返す。
「あっ、ま、待ってくれ。頼む、どうやったらセリスを目覚めさせてやれるのか、教えてくれ」
「何度も言わせないでおくれ。怨念を呼び込み、眠りによって封印しているのはこの娘だ。娘の心が変わらない限りは、死ぬ前に起こすのは難しいだろうよ」
「……眠ってるやつの心なんて、どうやったら変えられるって言うんだ、婆さん」
「そうだね、誰にもできはしない。……変えられないなら、無理やりにでも怨念を引き剥がす他ないね」
 老婆は、えもいわれぬ表情でマッシュを振り返った。怨念を引き剥がす方法があるのなら、最初から教えてくれればいいのに、と思ったのも束の間、老婆は想像だにしない返答を投げて寄越した。
「まずは怨念に乗っ取らせるんだ、この娘の身体を」

 文句を言いながら老婆が用意してくれたのは、怪しげな魔術道具や動物の死骸だった。これらのアイテムで怨念に力を与え、セリスの意識を一旦深く沈める。そうすれば、身体の表面を奪った怨念と直接対話できるようになるはずだという。
「失敗したら、……なんてのは聞く必要もねえよな?」
「当たり前だね。この娘の心が壊れるだけさ」
「どのみち待っていてもセリスは帰ってこない、……なら俺は、セリスを取り戻すために、婆さんに賭けるぜ」
 老婆はにわかに、ふんと鼻で笑う。
「助けてどうするんだい。この娘、……忌々しい力を持ってるだけじゃない、」

コメント

タイトルとURLをコピーしました