マシュセリ

影と終わりと、そして救いと

 ――白いお月様が静かに佇むからこそ、真っ赤なお日様は明るく輝くのです。
 月には太陽が、太陽には月が。
 自身が欠けることはあっても、相手を欠かすことはできない。それがお月様とお日様なのです。――

 それはいつか読んだ、なんてことはない童話だった。
 所詮は物語、科学的な信憑性はない。だが子ども心に思ったものだ。いつかきっと、自分もそんな関係が得られるのだろうと。

 世界は崩壊した。
 荒れた大地に放り出された人々は絶望し、生を呪って自ら命を絶った。
 そんな世で恩人の死を目の当たりにし、己も死のうと思った。崖から身を投げ、それでも死ぬことができず、恩人の遺言だけを生きる糧として島を脱け出した。

 そして、ようやく。
「久しぶりだな! セリス!」
 一粒の希望を、見つけたのだ。
「生きて……いたのね……」
 幻かとすら思った。だが、埃まみれで満面に笑う彼は、確かにセリスの肩を労うように叩いた。
「当ったり前だ。たとえ裂けた大地に挟まれようと、俺の力でこじ開ける!」
「マッシュ……」
「きっとみんなも生きてるさ。大丈夫。だから、俺たちで探しに行こう」
 にっ、と一年前と変わらず笑む彼に、ただ安堵した。この人は変わらない。変わらず眩しい、希望なのだと。
 彼さえいれば、遺言を果たせる。彼の輝きを守ることは、己の生きる理由だと思った。

 旅は、二人になった。
 だが世界各地の悲惨さは変わらない。立ち寄る村や町はどこも退廃的で、弱き者は虐げられる他なかった。
 宿を探し、通りを歩いていると、不意にどこかからか怒声が聞こえてきた。マッシュは耳聡く立ち止まると、眉を寄せた。
「……今の、どっから聞こえたんだ?」
 再び声が響くと、マッシュは弾かれたようにそちらを見た。今度は女の悲鳴のような声だった。
「行くの?」
「ああ、放ってはおけないだろ」
「……そうね」
「急ごう!」
 駆け出した彼の背中を追い、セリスは剣の柄に手を添える。万が一でも何かあれば、斬る。そのつもりだった。
 細い裏通りを抜けると、やや広がった空間に出た。
 ゴミで散らかったその広場の中心には、三人の男に囲まれ、小さくうずくまる女性がいた。
「おまえたち、何してる!?」
 マッシュの声に、男たちは怪訝そうに視線をこちらに向けた。
「ああ? テメーらこそなんだァ?」
 男の内の一人は、女性の衣服に手をかけている。女性は泣いていた。
「!! 貴様ら、その人から手を放せ!!」
 怒りが腹から頭に登り、思わず抜刀していた。
「な、なんなんだいきなり!? ふざけんなよ!!」
 男たちは一瞬ざわついたが、すぐにそれぞれナイフを取り出し、こちらに差し向けた。
 浅はかな男たちだ、とセリスは口を歪める。ごろつき程度の腕前で、相手になるわけがない。だが、人数で勝っていることと、片方が女であることで、甘く見ているのだ。
「セリス。下がってて」
「なに?」
 だが、目の前にいきなり、マッシュの腕が伸びた。
「あの人を頼む。……さぁて、ちょっとお灸をすえてやるよ!」
 驚いている間に、彼は先に飛び出していってしまった。
 丸腰といっても良い男に、ごろつき三人は女性を打ち捨て、余裕そうに構える。
 マッシュが、にやりと笑ったのが見えた。
「はっ、後悔すんなよ?」
「なんだと? ……っ!?」
 男たちが争っている間に、セリスはそれを回り込んで女性に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「あ、あ、ありがとう……でもあの人が大変じゃ……」
「あの程度なら、彼は心配要りません。行きましょう」
 すらりと剣を鞘に戻してから、女性の腕を引っ張り、寄り添ったまま走り出す。宿屋が最終目的地なので、恐らくはそこで合流できるだろう。

「あの、本当にありがとうございました」
 町で唯一の宿屋についたところで、女性がぺこりと頭を下げた。
「いえ。……一人であんなところを出歩くのは控えた方がいいのでは?」
「それは……難しいんです。町はどこもあんな感じですから……」
「そう……連中は、まさか常習犯?」
「はい。警備の人たちと癒着してるみたいで……注意しても意味がないんです」
 セリスは思わず、唇を噛んだ。そんなことが、こんな小さな町でも横行している。彼らのような枝葉を切っても、意味がないほどに、根本からこの世界は廃れている。
「とにかく、気をつけてください。私たちは明日にはまた旅立ってしまうから……」
 女性とはそこで別れ、セリスは先に宿に入った。
 しばらく待っていると、宿屋の主人と共にマッシュが入ってきた。
「この部屋でいいのかい?」
「ああ、手間をかけて悪いな。……よ、お待たせ。部屋取ってくれてありがとな」
 宿の主人が立ち去ってから、セリスは静かに答えた。
「いいえ。それより、あの男たちは?」
「ん、自警団に身柄は渡しておいた。結構ボコボコにしといたから、これで懲りたと思うんだけどな」
 荷物を置きながら、マッシュは困り顔でそう言う。
 そう、と軽く返して、セリスは視線を床に落とした。
(自警団……)
 癒着している、という女性の言葉が甦る。自警団に引き渡すということは、一時保護されるというだけのことだ。奴らは何度でも繰り返すだろう。彼らを取り締まれるものは何一つないのだから。
「腹減ったな~、なんか食いに行くか?」
「そうね。さっき聞いたら、ここは鹿肉が有名なんですって」
「へぇ! そうなのか、楽しみだな!」
 無邪気そうな彼の笑顔に、セリスも笑って頷いた。

 真夜中、セリスは静かにベッドから脱け出した。
 剣は持てない。わずかでも音を立てれば、彼が起きてしまう。それに、そもそも武器は要らなかった。
 薄着のままで宿屋を飛び出し、そのまま、自警団の使う建物に向かった。
 辺りは暗いが、自警団本部には松明が焚かれ、ほのかに明るい。
 壁伝いに入り口に近づき、中を覗き見てみると、数人、夜勤の者がいるようだ。自覚の有無はわからないが、彼らも犯罪の片棒を担いでいるには違いない。だが、はっきりとしていない以上、今は手は出せないだろう。
「……少し、眠ってもらうわよ」
 スリプルの魔法は、簡単な上に効果が高い。物陰から静かに詠唱し、風に乗って睡魔の波動があたりを覆う。セリスは難なく建物のなかに侵入した。
 入り口付近にご丁寧に館内マップが貼られていたので、道には迷わなくて済んだ。
 昼間の男たちは一応、牢に入れられていた。
 だが安心しきっているのだろう、全員すやすやと眠りこけている。
「あぁ、痛そうだ……」
 ただし、その顔は赤く腫れ上がっていた。マッシュのパンチは、見ているだけで痛い気がするほどのものだ。
 さて、と気持ちを切り替え、先ほど失敬してきた鍵を使い、扉を開ける。
 そして熟睡する一人の男に近づき、その懐をまさぐってみる。思った通り、ナイフが入りっぱなしだった。
 それをするりと抜き取る。
「……んん?」
「ああ、目が覚めたの、かわいそうに」
 いまだ寝惚け眼の男に、セリスはにこりと微笑んでみせた。恐らくはそれが、男の人生で最後の光景になっただろう。
 牢の中は、とても静かに、血の海と化した。
 三人の死体から、とくとくと血が流れ続けている。それもいずれは止まるだろう。
(これで、いい)
 生あたたかな血を頬に感じながら、セリスは頷いた。
(……これでマッシュは傷付かない)
 彼は、優しい。そしてその優しさで誰かが傷付けば、とても悲しむはず。自分の優しさを責めるはずだ。
 だが、彼の光は無くなってはならないものだった。彼は優しくなくてはならない。
 だからこそ。
(私は……修羅に)
 何もかもを寄せ付けぬ、絶対的な戦神。
 彼の心を守るために、この腕はある。

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