飛空艇は、いつでも空を飛んでいられるわけではない。
燃料は馬鹿にならないし、操縦士だって一人しかいないわけだから、それは仕方がない。
整備士すらも一人しかいないので、着陸している時間は長くなってしまう。
町から程遠い荒野で泊まれば、飛空艇といえども危険の真っ只中というわけだ。
しかし、今飛空艇は完全自動操縦になっており、船の中は安心安全なはずなのだが。
セリスは眉を寄せながら、窮地に立たされていた。
「チェックだ」
こと、と静かに駒を動かし、セッツァーはにやりと笑った。
「……やられた。詰みだわ」
投了します、とセリスは悔しさをにじませて呟く。
「なかなか面白かったぜ」
勝負を決した途端に煙草に火を点けて、セッツァーは姿勢を崩し足を組んだ。
言葉とは裏腹なその余裕綽々な態度に、生来からの勝ち気さが牙を剥く。
「貴方、手を抜いたわね?」
「ああ?」
「四手前に、貴方は私にトドメをさせたはず。違う?」
「なに? ホントかよ」
白々しく盤の上を指で辿るセッツァーを、セリスは腕を組んで睨んだ。
「……なんだよ」
「……白々しいわね。何? 私が弱いから馬鹿にしてるつもりなの?」
「おいおい、ふざけたことを言うんじゃねえ。このオレがそんなことするわけねぇだろう?」
賭博士を自称するこの男が、確かにわざわざ勝負を延ばすわけはないのかもしれない。
だが、それならこの手を見逃すわけもないと思った。
「さぁ、理由を言いなさい。さもなければ寒い思いをすることになるわよ」
「ああ、わかったわかった! 詠唱は止せよ、この頑固者め」
くっく、とセッツァーは愉快そうに笑って両手を上げた。
この男は、こういう時に何故かよく笑い出す。ピンチを楽しんでいるのかなんなのか。
本当に掴めない人だ、と思って、その降参の構えにセリスは片眉を上げる。
それを見て、なお面白そうにセッツァーは口を開いた。
「あんた、負けず嫌いだろ?」
「そうね。だから?」
「だから、あんまり速攻で倒しちまうと泣くかなと思ってさ」
「……誰が?」
「あんたが。チェスなら負け知らず、って顔をしてたからな」
セッツァーの言葉に、セリスはすぐに返事が出来なかった。
チェスに自信があったのは事実だったし、だからこそ四手前の攻防に違和感を覚えたのだ。
セッツァーは駒を動かすことに大した思考時間をかけず、セリスが唸って考えた一手をいとも簡単に壊していく。敗因は、そうして次第にセッツァーの後手に回るようになっていってしまったことだろう。
戦い方を完全に見極められた挙げ句、相手の思うつぼに動いてしまった。
完敗、だった。
「貴方こそふざけたことを言わないでよ。泣くわけないでしょ? 私がこんな遊びで」
帝国では、どんな年寄りもセリスには敵わなかった。社交辞令的に自分を勝たせる人もいたが、本気の人だって多かったはずだ。
それなのに、こんなろくでもない男に踊らされて、負けた。
口では強気を押し通していたが、かなりショックを受けたのは事実だった。
「遊び、ねぇ……じゃあ、今度からは何か賭けるか?」
え、とセリスは目の前の賭博士を見つめた。その紫の瞳は、まるでまんまと獲物を罠にはめた捕食者の、それ。
だが、セリスとてただ狩られるだけの生き物ではない。
負けたという事実に打ちのめされた心を叱咤するために、セリスはすっくと椅子から立ち上がった。
「いいわよ。受けて立つわ」
「賭ける物は、俺は何でもいい。なんならあんたが決めてくれても構わん」
「あら、そう。勝負の前までに考えておくわ」
「……で、あんたが賭けるものだが」
そうして煙草の煙を吐いたセッツァーの傷だらけの顔を見て、セリスはようやく気がついた。
すべて。
すべてがこの男の手のひらであったと。
「な、……そんなこと……ば、バカじゃないの!?」
「おいおい? 受けて立つ! なんて啖呵切ったのは誰だっけなぁ?」
ぐっと真っ赤になって言葉に詰まったセリスを見上げ、セッツァーはにやりと笑んだ。
どうしてこんなにも勝利に意固地に執着しているのか、自分でもわからないのだが。
この男の思い通りになんて、なってたまるか。
セリスは腰に手を当てて、無理やりに余裕綽々に微笑み返した。
「もちろんわかってるわよ? そうね、出来るだけ早い方がいいわね。……勝負は、今夜よ!!」
くっ、と笑ったこの男を、絶対に後悔させてやる。
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