ゴミ箱

旧意地っ張り5題

 飛空艇は、いつでも空を飛んでいられるわけではない。
 燃料は馬鹿にならないし、操縦士だって一人しかいないわけだから、それは仕方がない。
 整備士すらも一人しかいないので、着陸している時間は長くなってしまう。
 町から程遠い荒野で泊まれば、飛空艇といえども危険の真っ只中というわけだ。
 しかし、今飛空艇は完全自動操縦になっており、船の中は安心安全なはずなのだが。
 セリスは眉を寄せながら、窮地に立たされていた。

「チェックだ」
 こと、と静かに駒を動かし、セッツァーはにやりと笑った。
「……やられた。詰みだわ」
 投了します、とセリスは悔しさをにじませて呟く。
「なかなか面白かったぜ」
 勝負を決した途端に煙草に火を点けて、セッツァーは姿勢を崩し足を組んだ。
 言葉とは裏腹なその余裕綽々な態度に、生来からの勝ち気さが牙を剥く。
「貴方、手を抜いたわね?」
「ああ?」
「四手前に、貴方は私にトドメをさせたはず。違う?」
「なに? ホントかよ」
 白々しく盤の上を指で辿るセッツァーを、セリスは腕を組んで睨んだ。
「……なんだよ」
「……白々しいわね。何? 私が弱いから馬鹿にしてるつもりなの?」
「おいおい、ふざけたことを言うんじゃねえ。このオレがそんなことするわけねぇだろう?」
 賭博士を自称するこの男が、確かにわざわざ勝負を延ばすわけはないのかもしれない。
 だが、それならこの手を見逃すわけもないと思った。
「さぁ、理由を言いなさい。さもなければ寒い思いをすることになるわよ」
「ああ、わかったわかった! 詠唱は止せよ、この頑固者め」
 くっく、とセッツァーは愉快そうに笑って両手を上げた。
 この男は、こういう時に何故かよく笑い出す。ピンチを楽しんでいるのかなんなのか。
 本当に掴めない人だ、と思って、その降参の構えにセリスは片眉を上げる。
 それを見て、なお面白そうにセッツァーは口を開いた。
「あんた、負けず嫌いだろ?」
「そうね。だから?」
「だから、あんまり速攻で倒しちまうと泣くかなと思ってさ」
「……誰が?」
「あんたが。チェスなら負け知らず、って顔をしてたからな」
 セッツァーの言葉に、セリスはすぐに返事が出来なかった。
 チェスに自信があったのは事実だったし、だからこそ四手前の攻防に違和感を覚えたのだ。
 セッツァーは駒を動かすことに大した思考時間をかけず、セリスが唸って考えた一手をいとも簡単に壊していく。敗因は、そうして次第にセッツァーの後手に回るようになっていってしまったことだろう。
 戦い方を完全に見極められた挙げ句、相手の思うつぼに動いてしまった。
 完敗、だった。
「貴方こそふざけたことを言わないでよ。泣くわけないでしょ? 私がこんな遊びで」
 帝国では、どんな年寄りもセリスには敵わなかった。社交辞令的に自分を勝たせる人もいたが、本気の人だって多かったはずだ。
 それなのに、こんなろくでもない男に踊らされて、負けた。
 口では強気を押し通していたが、かなりショックを受けたのは事実だった。
「遊び、ねぇ……じゃあ、今度からは何か賭けるか?」
 え、とセリスは目の前の賭博士を見つめた。その紫の瞳は、まるでまんまと獲物を罠にはめた捕食者の、それ。
 だが、セリスとてただ狩られるだけの生き物ではない。
 負けたという事実に打ちのめされた心を叱咤するために、セリスはすっくと椅子から立ち上がった。
「いいわよ。受けて立つわ」
「賭ける物は、俺は何でもいい。なんならあんたが決めてくれても構わん」
「あら、そう。勝負の前までに考えておくわ」
「……で、あんたが賭けるものだが」
 そうして煙草の煙を吐いたセッツァーの傷だらけの顔を見て、セリスはようやく気がついた。
 すべて。
 すべてがこの男の手のひらであったと。

「な、……そんなこと……ば、バカじゃないの!?」
「おいおい? 受けて立つ! なんて啖呵切ったのは誰だっけなぁ?」
 ぐっと真っ赤になって言葉に詰まったセリスを見上げ、セッツァーはにやりと笑んだ。
 どうしてこんなにも勝利に意固地に執着しているのか、自分でもわからないのだが。
 この男の思い通りになんて、なってたまるか。
 セリスは腰に手を当てて、無理やりに余裕綽々に微笑み返した。
「もちろんわかってるわよ? そうね、出来るだけ早い方がいいわね。……勝負は、今夜よ!!」
 くっ、と笑ったこの男を、絶対に後悔させてやる。

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