ゴミ箱

意義

 ナルシェ防衛戦に一応は勝利したリターナーだったが、慣れない雪山での戦いに怪我人も少なくはない。
 ティナが西の果てに飛び去った今、魔法を使えるセリスはその手当てに終始していた。
「……おお、治った……」
 魔法を初めて見たのだろう、腕に巻いた包帯を外してリターナーの男は呆然と呟いた。
 礼の言葉は勿論ない。
 さっきまで、どうせ殺すんだろうとか貴様の情けなど要らんとか散々喚いていたのに、と黙ったままセリスは思った。
 仕方のないことだ。憎しみの対象でしかない帝国の人間であり、かつ将軍位にいた人間に、どうして仲良くしようなどと思えるだろう。
 リターナーの指導者であるバナンは、セリスの能力を認めただけだ。信頼しているとか、そういうことではない。
「他にはいないのか」
 ベッドの並ぶ部屋で、セリスは淡々と告げる。
「じゃ、じゃあ俺も……」
 躊躇いがちだが、他の者たちも声を上げ始めた。
「怪我を見せろ」
 血の滲んだ包帯をそっとめくり、怪我に手のひらを向け、意識を集中させる。
 男たちにもう言葉はない。
 ただの治療マシンだとでも言われているようで、空しかった。
 その空しさもおこがましい気がして、何も感じてはいないという顔をするしかない。
「体力は治っていない。安静にしていろ」
 事務的に伝え、背中に突き刺さる視線に耐えながら部屋を出る。廊下はうすら寒かった。
 私はティナの代替品にすらなれないのか、とわずかに唇を噛む。
 帝国では何もかもが与えられた。地位も、名誉も、勲章も。魔法だって、そうだ。
(……私は今まで、何一つとして自ら勝ち得たものはなかった。私そのものが、すべて与えられたもので出来ていたんだ……)
 これからは、なすべきことを自ら見つけ、決めなくてはならない。
 怖い、なんて似合わない感情だ。生まれながらにして戦うことしか求められていない存在が、恐怖するなど。
 帝国を変える。そのために出来ることは、戦うことだ。
 恐れるな、なにもかも。逃げるな、何からも。

「ずいぶんと肩が強張っているね」余裕のたっぷりこもった言い方に、セリスは目を鋭くさせて振り返った。
「……フィガロ王。……いや、エドガー」
「覚えていてくれて嬉しいよ」
 名前で呼べと命令したことか、名前そのもののことか、それはセリスにはわからない。
 整った顔をやわらかに動かし、エドガーはすぐ傍に近寄って笑む。
「何故こんな所に?」
「偶然通りかかっただけさ。この神の采配に感謝申し上げたい気持ちだよ」
「……よく意味がわからないが」
 おや、とエドガーは驚いたふうに眉を上げた。
「君は運命を信じていないのかい?」
「運命? ……ずいぶん陳腐な言葉を使うものだな」
 セリスは目の前の飄々とした男を睨むように見上げる。
 エドガーはとくに臆す様子もない。
「そうかい? ありふれた言葉にこそ、真理が隠れていると私は思うのだがね」
 思わず眉を寄せたことに、エドガーがくすりと笑った。
「なにを笑う?」
「いや、すまない。君にしては幼稚な表情だったから、つい」
 嬉しくて、と続け、エドガーは自らの顔に困ったふうに手を当てる。
「もっと心を開いても良いと思うよ?」
 この男の言葉はいちいち神経を逆撫でする。己の立場やら何やらを考えていないのだろうか、とすら思えて、セリスは苦虫を噛み潰すような表情をして背中を向けた。
「ああ……ロックならまだ眠っていたけど?」
「別に、ロックの所に行くなんて言ってないだろう!」
 くす、と鼻で笑われ、言葉にならない感情が胸のあたりに物凄い勢いで沸き上がる。
 なんだこれは、と思う前に、気づけば怒鳴っていた。
「私に何が言いたい!!」
「言っても構わないのかい?」
 至極穏やかに問われて、セリスはエドガーの深い碧の瞳を見つめた。
 この男は、話が上手いと改めて思った。
 巧みに話の矛先を変え、自分に非がないようにしている。
 腹が立つというより、最早呆れた。
「……もう、いい」
 急に何かが失せて、セリスは頭を下げた。
「突っかかったりして、すまなかった」
 そうしてあっさりと謝ってから、セリスはそのままその場をあとにした。

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