●意地っぱり5題
1.だから私は意地をはる
2.意地じゃなくて、本音よ!
3.なんで否定なんかしちゃったんだろ
4.「ゴメンナサイ」を素直に言いたい
5.意地でもこれは譲れない!
1.だから私は意地をはる
まるで金色の波のようだと、しわまみれのシーツに漂う彼女の髪を見つめながら、セッツァーは無表情のままだった。
時間は既に、朝が明けたころか。うっすらと明るみ始めた空が、頭上のカーテンの隙間から見える。
(……こんなもんか)
セッツァーに身体を寄せる女は、未だ眠っていた。その整った顔は、数多の男を虜にするほど美しい。かくあるセッツァーも、そうした男の一人だった。
だが。
今、こうしてこの女を手に入れて、一晩。
セッツァーの胸は、言い様のない虚無感によって満たされていた。
確かに、この女は美しい。だが、それがなんだ。
(こいつも違った、ってわけかよ)
ふ、と苦笑しつつ、セッツァーは自らの前髪を片手でかき上げる。
わかっている。己が真に欲しいものは、あの女なのだ。その欲求を、この女で満たそうとすること自体が過ちなのだ。
それでも。決して満たされないこの心を、この女ならば或いはと、思ったのだ。この女なら、何か与えてくれるのではないかと。
(……つまらねぇな)
身体も心も手に入れてしまった途端から、その予感は消え去ってしまった。結局、同じだった。
これなら、そこらの娼婦でも変わらなかった。
(つまらねぇ。……俺自身が)
この女が、ではなく。自分自身が、ひどくつまらなく思えた。
セッツァーは、無愛想な手つきで目の前の女の頬を撫でる。
いつだったか、この女が尋ねてきたことがあった。
「貴方にも大切なものはあるでしょう?」
見た目の割に、青臭いことを言うものだと、セッツァーは彼女を笑った。
あの日。あの女を失った、あの日から。自分のなかの大切なものも共に、どこかへ消えた。
それからは飛空艇乗りではなく、流浪のギャンブラーとして、無茶な賭け事も数えられぬほどしてきた。そんなことをしてこれたのは、もはや失うものなどありはしなかったからだ。
愛しさなど感じさせぬ手が、がさつに髪を触る。その感覚に、セリスは徐々に目を覚ました。
(……ああ、この人は)
既に私から興味を失いかけている。すぐにそう、わかった。
昨夜、この男が誘ってきたとき。遊びではないように見えた。だからこそ、乗ったのだ。だが。
(お眼鏡には適わなかった、と。そういうことなのね)
セッツァーが探しているのは、このファルコン号の持ち主だ。彼が口にしたわけではないが、それくらいはわかる。
よっぽど魅力的な女性だったのだろう、とセリスは思う。
エドガーほどではないにしろ、セッツァーも相当なプレイボーイだ。それが全て、形のない彼女を探してのことだとしたら。
セリスも幻影の追いかけっこに、また巻き込まれたのだ。腹立たしいやら、呆れるやら。
「……目が覚めたか」
不機嫌そうな声に、セリスはわざとらしくゆっくりと目を開く。
「珍しく随分早起きなのね」
一夜を共にしたとは思えぬほど、お互いに冷ややかな口調だった。
「気が済んだから、早く出ていけとでも言いたいのかしら」
挑発するように、セリスはベッドに広々と寝転ぶ。
「……そう思うなら、別に止めないが?」
「その前に、貴方の勘違いを正さないといけないから」
明らかに苛立っているセッツァーに、セリスは凛として言い放った。
「……勘違い? なにがだ」
捕らえようとする手から逃れ、セリスは生真面目そうな動きでベッドから起き上がった。腰が重たいが、今だけは無視する。
「セッツァー、これで貴方は私の身も心も手に入れたと思ったのでしょうけどね」
背中に視線を感じながら、立ち上がり、足元に散らばる衣服を無造作に集めていく。
「生憎だけど、私はそんなに安くはないの。一度寝たくらいで恋人面されても困るわ」
しばらく返事はなく、そのままセリスは手早く服を身に付けていく。
上着まで着終わった頃にようやく、セッツァーが愉快そうに声を上げて笑った。
「初めてだったくせに、なかなか言うじゃないか」
「……下世話なことを言うのはやめて」
「それは悪いな。だが、アンタのそういうところは嫌いじゃないんだぜ」
くっくと楽しげにそう言われるのは、何も初めてではない。だが、これが彼の本心と言えるかはわからないのだが。
「じゃあ、またお相手してもらえると思っていいわけだな?」
セッツァーの悪戯な口調での言葉に、無性にどきりとした。
サイドテーブルに置いていたイヤリングを付けようとしたのだが、うまくはまらない。
緊張で身体が震えているのだった。
「貴方が真摯な態度なら、考えなくもないわ」
だが、呂律はきちんと回った。ほっとしつつ、一度イヤリングを手のひらに握る。あまりに時間がかかっているのを悟られたくなかった。
「セリス」
突然、名を呼ばれて、びくりとする。
「……何?」
「いや。……近い内に、また呼ぶさ」
ひどい言葉だな、とセリスは顔をしかめた。エドガーならもう少し気の利いた挨拶を投げてよこすだろうに。
「今度は両手一杯の花束でもなければ、乗らないわよ」
精一杯の捨て台詞を返し、セリスはつかつかと部屋から立ち去った。
2.意地じゃなくて、本音よ!
面白いことになった。あの、跳ねっ返り娘。
一夜を共にした程度でいい気になるなよ、と言い捨てられて、こちらもただ黙ってはいられない。
一度とはいえ、陥落した女には違いない。飛び去っても、再び手込めにするのは簡単だ。
楽な勝負だ。だが、そうとわかっていても面白いと思う。いや、面白いのは勝負ではなく、あの女なのだろう。
(ガキくせぇ意地を張りやがって)
見た目の完全さに反して、中身が幼いのだ。駆け引きもまともにできないくせに、世界一のギャンブラーに向かって勝負を挑もうとする。
だが、そういう無鉄砲なところがとにかく良いのだ。あの女の魅力はその美しさではなく、無茶苦茶な性格だった。
セッツァーは荒い手つきでハンガーからコートを引ったくり、肩にかける。そのまま、コートをはためかせるように飛空艇の廊下を歩いた。
普段から早起きする部類ではないので、ホールに出ればテーブルには朝食が既に展開されているのが常だ。まずは腹ごしらえだな、とセッツァーはつかつかと進んでいく。
「……よぉ」
先にテーブルについていたセリスの背後にそっと立ち、わざとらしく声をかけると、セリスはわずかにだけ肩を揺らした。
「何か、用?」
周りを気にしてか、セリスはひどく低い声で答える。だが、顔が赤いのは丸わかりなのだ。
「用というほどじゃない。今朝も腹が立つほど綺麗な顔だなと思っただけだ」
「頭をぶつけたりでもしたの?」
平然とした風に返すその口調は、昨夜のものと変わらない。こういうところが逆に、無性に加虐心をくすぐるのだが。それを理解できるほど、人生を歩んでいないことがこの女の弱点でもある。
セッツァーは何食わぬ顔のまま、背後からいきなりセリスの額に腕を回し、手のひらを押し当てた。
「ち、ちょっと何するのよ……!」
「お前、顔色悪くないか? 熱でもあるんじゃないのかと思ってな」
「……誰のせいでっ!」
「おいおい、何が言いたいんだ?」
挑発するように耳元で囁くと、セリスは途端に口を強く引き結んで黙った。
「……無理な意地は張らない方が、身の為だぜ?」
「そんなもの、張ってません! 張る意味もない」
「ぎゃんぎゃん吠えるな。負け犬はなんとやらに見えるぞ」
力強くセッツァーの腕を払い落とし、セリスは怒りに満ちた目で睨む。だが、それだけだ。
返す言葉がないのだ。まさしく負け犬ではないか、とセッツァーは薄く笑う。
仲間たちのいるこの空間で、このじゃじゃ馬を口論で打ち負かす。それだけでも、何故だかこの上なく楽しかった。
「……負け犬は、貴方のほうよ」
しかし、その絞り出すようなセリスの声に、セッツァーはぴくりと眉を上げた。
「ほう?」
「欲しいものが手に入らないからって、八つ当たりしないでくれるかしら」
「俺は、欲しがったもので手に入らなかったものはないぜ」
「……本当に、貴方には欲しいものなんてあったの?」
今度は、セッツァーが黙る番だった。
窮鼠猫を噛むというが、セリスを追い詰めた結果がこれだった。
(欲しいものなんて、なかったかもしれないだと?)
確かに、毎回、獲物を手にした途端に空虚になっていた。なんだこんなものかと、急速に冷めてしまうのだった。
それらは本当に、欲しかったのだろうか。
「……青二才がわかったような口を利くもんだな」
考えることも、セリスと話すことも。したくない。
セッツァーは嫌みな表情を浮かべ、その場から離れようとした。
「青二才でも」
だが、強い言葉が、どうしてもこの身体を縫い付けるのだった。
「貴方を一番知ってる人間は、私なのよ」
意志のこもった瞳が、セッツァーの目を射抜いた。どうしてかはわからない。ただ、この瞳は、ずっと以前からセッツァーを惹き付けてやまない。
「……それ、アンタが言った言葉と矛盾してるぜ」
一度寝たくらいでわかった気になるなよと、言ってのけたのはそちらだ。
「してないわ」
セリスは悪びれもせずに、堂々とそう言い切ってみせた。
ついに、セッツァーは吹き出すように笑ってしまった。この女の無茶苦茶加減は、本当にわけがわからない。それでいて、実現力も持っているのだから困ったものだ。
(セッツァーの、バカ)
くつくつ笑いながら、朝食の席についた男を横目で睨みながら。セリスは忌々しげにパンをちぎり、口に放り込んだ。
わざとらしく挑発されたのはわかっている。さぁ俺になびけ、とアピールされて、はいそうですね、となるわけがない。
セッツァーは、何もわかってはいないのだ。
意地を張るのは、そうしなければいけないからだ。張るなよと言われたって、それはできない。
(だって、そう。貴方はそういう私にしか目を向けない)
あの男は、そういう女を求めているに過ぎないから。一見して、穿った見方をするような人間に見えるが、その実、誰よりも虚像を愛している。
セッツァーは、張りぼてを追いかけているに過ぎないのだ。
(私は知ってるのよ、貴方も気づいてない貴方に……)
セッツァーを一番知っている人間なのだ、というのは、苦し紛れに出た言葉ではない。
それだけが、セリスの誇りなのだった。セッツァーという船を操舵するための、唯一の方法でもある。とはいえ、まともに舵は切れないのだが。
(私だって、無駄な意地なんて張りたくないのに)
はぁ、とセリスはミルクを一口流し込む。味はあまりわからなかった。
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