平和な昼下がり。何用かわからぬまま客室に呼ばれ、呑気に淹れたての紅茶をいただいていたセリスは、突如として自らの耳を疑う羽目になった。
「俺と、結婚してくれないか?」
「……へっ?」
かぐわしい紅茶を飲みかけた手を止めて、セリスはいきなりそう言ってきたその相手を見上げる。確かめるためにとはいえ、己が口にするのもてんでおかしい単語が、聞こえた気がするが。
「け、けっこん……?今、結婚って、言った……?」
まさかその単語ではないだろうと、机を挟んで向かい合う相手に慌てて問う。ひどい聞き間違いだと笑ってくれると思ったが、しかし返ってきたのは笑い声ではなかった。
「ああ、結婚」
こくりとどこか神妙に頷き返したのは、他でもない、このフィガロ王国の王弟で、かつての旅の仲間のひとり。マッシュその人だった。大きな身体で丁寧に茶器を扱い、落ち着いたふうに茶を口にする。
「ええっ!?だ、誰と?!」
「だから、セリスと。他にいないだろ」
「は、…………えっ?わ、わたしと……結婚?貴方が?」
そう、とマッシュはこくりと頷いてみせる。なにを落ち着き払っているのか、自分がどんな衝撃発言をしたのかわかっていないらしい。
まさか、いきなりそんな、と、セリスはひたすら狼狽するしかない。そもそも前身としてそんな関係でもないというのに。何がどうしてそうなるのだと、茶器を手にしたまま固まってしまった。
あ、とマッシュはなにやら思い出したように、その青い両の目でセリスを見つめた。
「もちろん、本当の結婚じゃないぜ」
「……は??」
「俺を助けると思ってだな、……ほんの少しだけ、俺の妻になってくれ」
ぺこりと頭を下げてみせたマッシュの後頭部を見つめながら、セリスはただただ頭の中で、話を理解しようと必死だった。
世界が崩壊して一年、そして世界を崩壊させた偽神が死んで一年。世界は復興の途上にある。
フィガロ王国はその筆頭として、あらゆる分野において各国の支援に回っている。その舵取りを一手に担う国王エドガーの多忙は、想像に難くない。その支えになろうと一時的に国に戻ったマッシュもまた、同じ様だった。
工業と農業に力を割き、とにかく人が飢えずに生きられて働ける世の中に整え直すこと。それを一番に掲げながら、合わせて世界の新たな秩序のために尽力せねばならないその大業は、未だかつてないものだろう。
そこに、二人に加わった新たな仕事。それは、王家の継続と人口増加のための一手としての、「ご成婚」実現だった。
「王族の結婚ってのは、それはまあ盛大な祝いになるもんなんだ。国民も盛り上がってなんとなくお祝いムードになっていくだろ、そしたら国民たちも結婚する人が増えて、子どもも増えていくんじゃないかって……」
そういうわけだよ、とマッシュが他人事のように語った理屈については、とりあえずセリスは飲み込んだ。これからの世界、若い力が増えていかねばいけないということはさすがにわかる。が、しかし。
「それなら国王のエドガーの結婚相手をしかるべき王族から選ぶべきでしょう、どうして貴方が、しかも私と、……なにもかも理屈が通っていないわ」
「まあそうだよなぁ。この話は家臣たちから出てきた意見だったんだが、そんないきなり一人の女性を決めるなんてことは無理だって兄貴が突っぱねて……」
がりがりと髪を大ざっぱにかいて、マッシュは口を歪めた。
「国民にお手本として見せるだけの結婚をするなら良い、って話になって……」
「手本?……あぁ、」
「まあ、兄貴がそんなことやる暇もないから、じゃあ俺がやるかーってことになってな。で、こうして今、セリスに頼んでるワケなんだ」
「マッシュ。……先にこの話があってくれていたら、私だってもっとすんなり反応したわよ」
慌てた己が恥ずかしいやらなんやら、セリスはきつく腕を組んで、目の前のマッシュを見返す。
「う、すまん……」
「……フィガロのためにと思ったから、貴方もそれを了承したのよね?」
「そ、それはそうなんだが……」
大きな背中を丸めてみるみる小さくなるマッシュをいじめるには少し罪悪感もあった。彼にとっては祖国のために自分ができることをやろうとしただけだ。国のために、と言われてしまえば簡単にそれに乗ってしまうからこそ、彼はやっぱり、王には向いていない。
「説明が足りなかったよな。すまん……」
「一応聞いておくけど……エドガーに言われなかった?相手のレディーをちゃんと尊重して、きちんと説明を……みたいな話」
あっ、というまたしてもすっとぼけた返事に、セリスはついため息を漏らしてしまった。
「……まあいいわよ、どうせ私相手なのだし……今更気にしないで」
自分で口にして悲しくもなるが、裏でエドガーがくすくすと笑っているような気もして、なんともどうしたものやら、頭を抱えたくもなる。
「いや、その……色々と言い方を考えてたら、全部飛んじまって……悪かった」
本当だろうか、と少し睨んでみせると、マッシュは苦笑を返してきた。
「悪かったって、……わかった!今のは忘れてくれ。他のひとに当たってみるからさ」
「ほ、他のひと?」
当たり前の提案に、思いの外動揺する自分がいて、セリスはやや上擦った声でそれをまた問うた。マッシュは居心地悪そうに頭をかいて、自らの首筋に手を当てたまま、こくこくと頷く。
「おう、今度はちゃんと説明してからもう一度……」
駄目、と強く引き留めようとしてしまって、セリスは寸での所でそれを飲み込んだ。が、唐突に身を乗り出したセリスに、マッシュは少しぎょっとしていた。
「おっ?ど、どうした?」
「そ、その……それは、どう、かしら?私相手にこんなのじゃ、心配すぎるわね」
「お、おぉ……?」
「他のひとに迷惑かけるくらいなら、……」
やめておいたら、と、言いたかった。のに、それを躊躇う自分がいて、セリスは僅かに逡巡してから、冷静な面持ちのまま、告げた。
「私が……やる」
「えっ?」
「私がやるわ、つまり……成り代わるのは初めてじゃないもの、任せてちょうだい!」
堂々と言い切って、一瞬、沈黙がふたりの間を流れた。マッシュは目を見開いたまま、何故か控えめな拍手をしてくれた。
「お、おお。……頼もしいぜ、セリス……」
「当たり前よ。今度も完璧にこなしてみせる、……まあ、見ていなさい!」
びしりと胸を張って言い放つと、マッシュが呆気に取られつつ、片手を差し出してくれた。セリスは迷いなく、それを力強く握った。この後にどんな苦労が待っているかもよく知らぬまま。
コメント
またまた新作ありがとうございます!
こ、これは…
先が気になって夜しか寝られないじゃないですか!
続編も期待してます
セリスの慌てっぷりが可愛くてたまらん…
こちらこそ、いつもお読みいただきありがとうございます~
わ~夜はよく寝られていて安心……!
毎日は無理だと思いますが、ちょろちょろ更新していきますので、また覗いてみてください~
更新ありがとうございます
連休中に嬉しすぎです!!
ますます続きが気になってしまいます
やっぱりセリス、可愛いですよね~
路上実習お疲れ様でした
自分は免許持ってないんですが大変という話は聞いているので、持っている人とか尊敬に値します
マジで頑張ってください!
こちらこそ、いつもありがとうございます~🙇
周りがつい応援したくなるようなお茶目で真面目なところがセリスにはあるのではないかなぁと思ってます…
教習の応援もありがとうございます…!春頃には免許とれるかな…助手席空けて待ってますね…(?)
合間にちょろちょろ更新していければと思いますので、気長にどうぞ、よろしくお願いいたします~